ノスタルジィ・グルメ

まるがにみどり

第0話 「はじめに ~母の格言~」

こんにちは「まるがにみどり」です。


最近まで、食べ物エッセイ

「最後になに食べたい?」

を掲載させていただきました。


「最後になに食べたい?」

のテーマは


「人生の悔いや悲しみも忘れてしまうような『食べ物』」


でして、いわば私の人生でベストグルメをまとめてみました。


でもそれだけじゃありません。

今まで食べて来たもので、印象に残っているものはまだまだあります。

私の食の記憶と探求は、まだ溢れてきているし、まだ止まらない。


ですので、ここで紹介していく食べ物は


「長く思い出に残るもの」

「また食べたいと思うもの」

「いつか食べたいと思うもの」

「もう、食べる事が出来ないもの」


こんな食べ物たちについて語っていきたいと思います。


さて、今回の本題についてですが。


母について


母は、昭和11年(1936年)に産まれました。

産まれたのが「台湾」なんですね。


当時、台湾は日本統治下におかれ、「日本国の一つ」でした。

台北に住み、自宅は金鉱主という事で、暮らし向きはかなり良かったと聞きます。


食生活も豊かでした、終戦までは。


日本本土ではまだ馴染みの無かった

「医食同源」が根ざす国で11歳まで育ちました。


なので私たち子供にも、色々な料理を作ってくれました。

昭和の片田舎としては、食生活はそこそこ豊かだったと思います。


そんな母は、料理好きということだけでなく

「信念」の元に調理を続けていたことを知る出来事がありました。


出来事と言うよりは、私が10代の時に告げてくれた二つの言葉。


「人間、どんなに偉くなろうが、貧しくなろうが

 どんな地位や立場になっても『食べる事からは逃れられない』」


「食べる者に手を抜いたり、お金を掛けなかったりすると

結果病気になります。病気になると、医者と薬にお金を払います。

結局、人間の身体はお金がかかるように出来ています。

それなら、良い食事にお金を使ったほうがいい」


これが「母の格言」です。


異論は認めますが、私の中では「真理」です。


なので、逃れられないならいっそ


立ち向かってやろうじゃないか


世の食べ物ども、どんどん攻めてきなさい

私は逃げも隠れもしません。


全身で受け止めて、この身に吸収してやろうじゃないですか。


あ、ただ

お財布の中身の範疇で、お願いします。


という訳で、この国の片隅の庶民が味わって来た

もしくは、味わいたい食べ物。


そんな話を、させて下さい。


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