第2話 花狩り


 ようやく意識を長く保てるようになったのは、虫の声も絶えた、冬の入り口のことだった。


 体を自由に動かすことはできなかったが、視界の許す限り、耳の届く範囲で周囲の様子を知ることはできた。

 ここには深傷を負った男と、鮮やかな辰砂色の髪を結わえた女の二人きり。日の光も隙間風も容易く侵入できるような粗末な作りの住まいであるが、おおよそ他の人間の気配は近くに感じられなかった。


 囲炉裏に爆ぜるたきぎを女がつつくたび、マシブの香りが漂う。鉄瓶に沸いた湯を桶に移し替えて、女は横たわる男のそばへとやってきた。

 手拭いから絞られたしずくの跳ねる音がして、しばらくすると男の視界に辰砂の髪がこぼれ頬をくすぐった。


「そろそろ、ご自分でお顔を拭いてみますか?」


 女は男の手に熱い手拭いを握らせると、まるで子供に教えるかのように自らの手を添えて、顔を拭うのを手伝った。

 それが終わると女は傷の手当てに移る。男の腹を裂いた傷は、長い時間をかけてようやく塞がりつつあった。


 やがて体も起こせるようになった男は、自分の腹に花が咲いているのを見てぎょっとした。しかしなんのことはない。花はただ皮膚に密着していただけで、驚いて息を呑んだ拍子にすべてぱらぱらと床に零れ落ちた。


「虫殺しと、痛み止めのお薬になるんですよ」


 花のひとつひとつを拾い上げて、女は微笑んだ。

 晴れた視界のもとで目にする女は、エニスの民とは違う、はっきりした顔立ちをしていて、異教の民カシャラムの血族であることは一目でわかった。

 名をウルカといった。



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 ウルカは世話をするうえで必要なこと以外は、何も問わなかった。代わりに、ツェヴェルが疑問を抱くものは敏感に感じ取り、その都度語って聞かせることを厭わなかった。


 なぜここにいるのかという戸惑いを、ツェヴェルが瞳に泳がせると――

「あなたをここに連れてきたのは、今はここにはおりませんが、わたしのお祖父ちゃんなんです。とても助かるような状態でないのはわかっていたけれど、放っておける人じゃなかったんですよ。お祖母ちゃんは死人に情けをかけても無駄だ、って怒って出ていっちゃって。お祖母ちゃんの言うこともわかるけれど、わたしはお祖父ちゃんの味方。だってわたしも、畑を荒らす憎い山獅子だろうと、怪我をしていたら心配になってしまうくちですもの」

 意外によく回る口で、そう答えた。


 萎えた体を慣らすため、娘のあとを付いて歩くようになると、ウルカはそれは喜ばしい顔で尋ねもしないことまで喋るようになった。

 ウルカの家の周りにはたくさんの野花が咲き乱れ、彼女はそれを手折って町に納める「花狩り」を生業としているといった。彼女の摘んだ花や草木が、高貴な人々の寝所や食卓を彩るのだという。

「野の花を摘むのにお金はかからないのに、町の人は忙しいから花の名前を覚える手間も惜しいんですって」

 これはマィロ、タチバカマ、ハサノキ……と一つ一つの名を呼んでウルカが花を集めるので、男もいつしか草木に詳しくなっていった。


 野花が雪に埋もれ怪我が治る頃にはすっかり男はウルカに心を許し、自らツェヴェルと名乗り、素性を明かす決意をした。



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