第25話 断罪 裁きの法廷開幕 ―ワンワン裁判―

ボールを咥えたまま立ち止まったコタロウに、鬼みたいな顔のモンスターたちが追いついてきて、せっかく開いた出口までの道をまた塞いでしまった。私は思わず息を呑む。


それでもコタロウは平然としている。――というか、袋叩きにされても鋼鉄の体には傷ひとつ付かない。


「大丈夫だよ」とでも言うみたいに、ボールを咥えたまま尻尾をぶんぶん振って、『獲ったよ〜♪』と自慢げにこちらを見る。


「リン、コタロウに煙玉を使わせて、それとしばらく動かないように命令して」


背後からはーちゃんの声。私はすぐ頷いた。


「うん。コタロウ! 『バイト』、そのあとは『ステイ』だよ」


命令を聞いたコタロウが、咥えていた白いボール――マダム・バタフライから買った煙玉を鋼鉄の歯でぱきっと噛み砕く。瞬く間に白煙がふわっと広がり、コタロウの姿が霧みたいに消えた。


向こう側から悲鳴混じりの声が飛んでくる。

タゲがコタロウから四人へ移っていくのが分かった。


盾の人が盾を構え直し、必死に押し返しながら叫んだ。


「クソッ! 道がふさがれた!」


短剣の人が飛び退きざまに蹴りを入れ、噛みつきを何とか防ぐ。


「マズイでござる! もうヒーラーは限界でござる⁉︎」


杖の人が震える手で杖を掲げ、小さな光を放つが、すぐにかき消える。


「もう【挑発】を使うMPが……残ってない⁉︎」


大剣の人がうなり声を上げて振り下ろし、二、三体のモンスターを弾き飛ばす。けれど、新手がすぐ押し寄せてきた。


四人は必死にもがいていた。杖の人の回復はもう続かず、盾の人の腕も震える。短剣と大剣が前に出て道をこじ開けようとするが、モンスターの壁は波みたいに押し戻してきた。


大剣が唾を吐き、血のにじむ手で柄を握り直す。振るたびに数体は押し返せるのに、すぐ次の群れが雪崩れ込んでくる。


「クソッ、やられた。もう逃げられん。まさか同じ……MPKの同業者だったとは⁉︎」


私は一歩前に出る。クマ吉がどしんと横で構え、はーちゃんは銃口を下げたまま冷ややかに目を細める。短剣の人はステップで噛みつきをいなしたが、背後から棍棒を食らってよろめく。


「失礼ね。私たちを、あんた達と一緒にしないでちょうだい」


四人の視線がこちらに揺れる。盾の人がモンスターの棍棒に胸板ごと叩かれて膝をつきそうになるが、歯を食いしばって持ち直す。


「そ、そのクマは⁉︎ なんでレアモンスターがここにいるでござる⁉︎ そいつは確かに倒されたはず!」


短剣の人がクマ吉を指さして慌てる。杖の人の回復は弱々しく、光の粒はすぐに途切れた。


「ああ、別に私たちはレアクエストなんか始めてないのよ。召喚獣をレアボスに見立てて、あんた達がMPKを仕掛けてくるか、確かめたの」


「クマ吉、名演技だったね。上手い、上手い♪」


「くま〜♪」


「僕たちは、まんまとあなた達に騙されて、MPKを仕掛けてしまったわけですか?」


「そういうことね」


短剣の人がモンスターの横腹に刃を滑らせるが浅く、反動で体が揺れる。


「クソ、お前ら何者だ? あまりにも手際がよすぎる。まさか初心者を装ったMPKギルドなのか⁉︎」


「人聞きの悪いこと言わないでちょうだい。私たちは好きで仕掛けてるんじゃないわ。降りかかる火の粉を払っただけ。どう? 仕掛けた自分たちが、逆に仕掛けられる気分は?」


言い合っている間にも、四人の体力はじわじわ削られていく。

盾の人は押し返す腕が震え、短剣の人は受け流すだけで精一杯。杖の人の光は途切れ途切れで、大剣の人は赤い数字を背負って息を荒げていた。


「ふざけるな! いいわけないだろう! 死んだら二週間かけて稼いだ経験値が全部消えるんだぞ!」


大剣の人が血を吐きながら振り下ろす。


「正直、死にたくないでござる!」


短剣の人の声は上ずっていた。


「も、もう……限界です。アイテムロストも嫌だ……」


盾の人が盾を構えたまま、頭を下げる。


「ね、ねえ、お願いだよ。僕……死にたくないんだ。僕たちが悪かった。謝るから助けてよ。お願い!」


杖の人の呟きは、泣き声みたいに震えていた。


「拙者らが悪かったでござる! 助けてほしいでござる!」


「すみませんでした! もう二度とMPKなんかしませんから、助けてください!」


「すまなかった……俺たちシュガー同盟は今日限りで解散する。だから助けてくれ!」


私は、はーちゃんを見上げる。彼女の目は冷たく揺るぎない。


「はーちゃん……なんか可哀想だし、助けてあげても」


でもはーちゃんは首を横に振った。


「リン、いくらリンのお願いでもこれだけはダメ。自分がやられて嫌なことを他人にして、いざ自分の番になったら許してくれ? そんな都合のいい話あるわけないでしょ。それにこの人たちは心から反省なんてしてない」


「え……?」


「今まで色んなプレイヤーを見てきたから分かる。この人たちは、助かるためならどんな嘘でも平気で吐くタイプよ」


「は、はーちゃん⁉︎」


「ほんと、コイツらを見てると昔のことを思い出して情けなくなるの。だからリン……ここで許すわけにはいかないのよ」


その瞬間、杖の人がふっと顔を上げ、意地悪な笑みを浮かべた。


「あ〜あ、大抵はこれでコロッと騙されて許してくれるのにな〜。残念」


短剣の人も苦笑を貼り付けて肩を揺らす。


「ちっ、騙されないのか!」


大剣の人が膝をつきながらも吠えた。


「仕方ありませんね。負けを認めて全滅しましょう」


そう言いつつも、最後に睨みをきかせて吐き捨てる。


「だがな……お前らの顔と名前は覚えた。ダンジョンやフィールドで見かけたら嫌がらせしてやる。それだけじゃない。リアルでも探し出して嫌がらせしてやる!」


ぞわり、と背筋が冷える。モンスターの咆哮より、その言葉のほうが怖かった。


「ね! 言った通りでしょう? 反省なんてするタマなら、MPKギルドなんてやってるわけないのよ。だから徹底的にやらないとね♪」


はーちゃんは冷ややかに言い切った。


「はーちゃん、やり過ぎたらダメだよ? 約束」


私は小指を差し出す。背後ではモンスターの爪が石を削る音がするのに、はーちゃんは落ち着いて小指を絡めてくれた。


「リン、分かってるってば。約束!」


「うん、約束! えへへ」


「はあ……リン、なんて天使な笑顔」


だけどその間にも、四人はモンスターの波に押し潰されそうになっていた。


はーちゃんが腕を組んで目を閉じた。しばらく考え、ぱんっと手を叩く。


「そうね。この人たちが今後、他のプレイヤーにMPKを仕掛けたら……ネットに今日のことをばらまく」


「え、ば、ばらまくって……はーちゃん何を……」


「ふっふ〜。初心者の洞窟で、私たちにMPKを仕掛けたあげく逆にやられたことをネットで広めるのよ。MPKギルドが、初心者に逆MPKされたなんて知れ渡ったら……いい笑い者だわ。間違いなく一生涯、他のプレイヤーに馬鹿にされ続けるでしょうね♪」


「なっ! 俺たちを脅すつもりか⁉︎」


はーちゃんの口元が黒く笑う。


「脅すなんて人聞きの悪い……真実を述べているだけよ、ストーカーさん」


「えっ? はーちゃん、この人たちストーカーさんなの?」


はーちゃんが冷ややかに口を開いた。

「さっき『リアルで探し出して嫌がらせしてやる』って言ってたでしょ」


大剣の人の肩がびくりと揺れる。短剣の人は苦笑を貼りつけたまま目を逸らす。


杖の人は青ざめ、盾の人は額から汗を流す。


「現実で探し出すとか、個人に触れるような発言は『脅し』として扱われる。運営や警察に相談すれば、アカウント停止、出禁、最悪は法的措置だってあり得るわ」


四人の顔色が一気に曇った。赤いダメージ数値より、その言葉の方が効いている。


「ゲーム内のチャットでも『現実で危害・嫌がらせ』を示唆したログがあれば十分に問題視されるの」


はーちゃんは肩をすくめ、きっぱり言い切った。


「だから――あなたたちのセリフ、規約的にも法的にもアウト」


四人の顔色が一気に悪くなる。


「ふざけんな! あれは言葉のアヤだよ! ゲームの中の話だ! 誰も真に受けるもんか!」


大剣の人が血走った目で叫び、肩で息をしながら剣を振り回す。


「そうだ。訴えても証拠がない!」


杖の人は唇を震わせ、必死に強がるように言った。


「でござる! まだ実装されていないでござる。証拠がなければ誰も信じないでござる!」


短剣の人は肩で荒く息を吐き、笑いながらも額から汗を流している。


「はっはっ、ない知恵を絞ったのに残念だったな」


盾の人は口角を引きつらせて笑うが、その足は後ろへじりじりと下がっていた。


 ――その瞬間。


「わう?」


煙の向こうから、コタロウの声がした。『証拠?』って言ってるみたいに聞こえる。

次の瞬間、白煙を割って駆け出したコタロウが、私たちの足元まで来てちょこんと座った。


「あっ、コタロウ? どうしたの?」


「わん、わん!」


するとコタロウの胸部装甲が左右にスライドし、スピーカーと小型レンズがにゅっとせり出す。目が光り、光の線が空中に走った。


洞窟の灰色の空間に、発話者タグと時刻と場所まで付いたログが立ち上がった。

(え? いつの間に?)


四人の動きがぴたりと止まった。

息まで止まったみたいに。


『今回は俺たちの負けだ。だがな、お前らの顔と名前は覚えたからな。ダンジョンやフィールドで見かけたらMPKで嫌がらせしてやる。それだけじゃない。リアルでも探し出して嫌がらせしてやる!』


声、抑揚、間。何度でも再生できそうなクリアさで、洞窟に響く。

四人の表情は強張り、盾の人の腕から力が抜けた。


私は小声でつつく。


「はーちゃん、これって……」


「うん、完璧。音声も映像も残ってる。これなら運営に出して通るわ」


私は思わずコタロウを抱きしめてしまった。


「コタロウすご〜い! えらい、えらい♪」


「ワン!」


コタロウは尻尾をぶんぶん振り、嬉しそうにくるくる回った。

はーちゃんは肩をすくめて苦笑した。


「……もう、私も大抵のことじゃ驚かなくなってきたわね。録画機能にプロジェクターとスピーカー……ほんと、十徳ナイフみたいで便利だわ」


「だね、はーちゃん。冷蔵庫とか電子レンジ機能もつけば――」


「リン、そこはルンバくらいにしときなさい」


「そっか〜。でもそれも便利そう♪」


「わん♪」

「くま〜♪」


四人の耳にはもう私たちのやり取りすら届いていないようだった。必死に言い訳を重ねる。


「なっ! これは俺たちの会話……⁉︎」


「まさか録画機能が実装されていたでござるか⁉︎」


「まずい、こんな証拠があったら……」


「ぼ、僕は関係ない! 捕まるならアタッカーだけだよね⁉︎」


「てめーら!」大剣の人――アタッカーが怒鳴るが、もう遅い。


盾の人が青ざめたまま、杖の人の袖を掴んだ。

「……ここで粘っても、ログが残る。運営に出されたら終わりだ」


三人は露骨に下がる。守りを捨てて突破を狙うが間に合わず、次々と轟沈。ドロップが床に散って消えた。


大剣の人だけが残った。肩で息をしながら、血まみれの大剣をまだ握っている。


「クソが! 俺に全部擦りつけて逃げやがった」


はーちゃんが一歩前へ出て、私はその肩に寄り添うように半歩踏み出した。クマ吉とコタロウも横に並び、まるで裁判官みたいに前を見据える。


「仲間にも見捨てられて哀れね。で? ストーカーさんはどうするの? このまま映像を運営と警察に出してもいいのよ?」


大剣の人は数秒、私たちとログ映像を見比べ、それから大剣をぽとりと落とした。


「……わかった。もうシュガー同盟は解散だ。もうMPKはしねぇ。これでいいだろ」


私は思わず口が動いた。


「あのMPKさん。人に迷惑をかけるのはいけないけど、普通にゲームで遊ぶのは問題ないから……だからまた一緒に遊ぼう」


「……バカじゃねーの? 俺と遊ぶ?」


「うん。だってロールプレイングなんでしょ? 次は別の役をやればいいんだよ」


はーちゃんがため息をひとつ吐いて、少しだけ表情を緩めた。


「仕方ないな。リンがそう言うなら今回のことは水に流す。ただし——これ以降に誰かへMPKを仕掛けたのを見つけたら、このログをネットにばらまく。運営にも提出、警察にも相談。いいわね?」


アタッカーは苦笑いして肩をすくめる。


「……変な奴らだな。調子が狂うぜ。へっ、じゃあな、次は正面からだ」


彼は身を翻し、武器も構えず群れへ踏み込むと、HPをゼロにして消えた。


床のドロップが淡く光り続け、戦闘ログだけが静かに残った。


コタロウが「わん」と短く鳴き、クマ吉が「くま〜」と胸を張る。


「今度は一緒に楽しく遊べるといいな」


私がつぶやくと、はーちゃんがぎゅっと抱きしめてくる。


「リン……なんて天使! 尊い! 尊いわ!」


私は笑い返して——ふっと気づく。視線の波。

さっきまで四人を睨んでいた赤い目が、今度は一斉にこっちへ。


「や〜、はーちゃん抱きつかないで〜……あっ! そういえば、はーちゃん」


「ん? どしたのリン?」


「うん。MPKさんたちはいなくなったけど……このあとどうするの?」


「このあと……?」

「わう?」

「くま〜?」


はーちゃんが私の手を握り、顎で前を示した。


「みんな……ふぉ、フォーメーションRよ!」


咆哮が轟き、地面が震える。

私は深く息を吸い、短剣を握り直した——。


……To be continued



次回予告

戦場は舞踏会。私の鉛弾がリズムを刻み、硝煙がドレスのように翻る。

さあ、ステップを踏みましょう、リンを守るための円舞曲ロンドを。

私のリードについてこられるかしら?


次回、『鉄壁のフォーメーションR! 〜シャルウィーロンド〜』


虚構が軋み、心が吠えたとき、世界は書き換わる。



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