第2章 幸運覚醒編
第17話 リンと初めての高校生活―ちっぽけな願い―
「リン、起きな」
布団の中に沈んだまま、私は声の主をぼんやり探す。
「ん〜、はーちゃん、もう少しだけ……ぐぅ」
枕に顔を埋めてゴロリと転がる。気持ちよさのピークで、現実から逃げたい。
「気持ち良さそうに寝ているところ悪いけど……遅刻するわよ? 高校生活初日から遅刻なんて、リンらしいけどね」
その言葉で、眠気が一瞬にして引いた。初日――まずい!
「いま何時⁉︎」
眠気が吹き飛び、目を見開いた私に、はーちゃんが淡々と告げる。
「八時ジャストよ。私は新入生代表の挨拶があるから、あと十分で支度できなかったら、先にいくからね?」
「は、八時!」
私はベッドから跳ね起き、化粧台の前へダイブ。ブラシを握りしめ、髪を一気にとかし始める。心臓が忙しい音を立てている。
「まずいよ、初日から遅刻なんて⁈ お母さん、なんで起こしてくれなかったの!」
廊下に向かって叫んだ瞬間、背後から冷静な声が飛んできた。
「いや、おばさん、七時から声を掛けていたけど、リンが全然起きてこないって言っていたわよ」
勉強机に脚を組んで座るはーちゃんが、呆れ顔で肩をすくめる。
「えー! まったく記憶にないよ」
焦りながらパジャマを脱ぎ捨て、昨晩準備した制服と下着に手を伸ばす。手がちょっと震える。
「リン……またノーブラで寝たでしょ? 型崩れするからやめなさい」
「だって苦しいんだもん! それに私、はーちゃんほどスタイルよくないし」
「リン……大きくても肩こるだけよ」
「はーちゃん……高校でそんな話しちゃ、ダメだからね?」
「いやいや、リンに言われるまでもなく、こんな話しないわよ!って早く着替えて、あと五分しかない。先に玄関に行くからね」
はーちゃんはそう言って、スタスタと部屋を出ていく。
「待ってよ、はーちゃん!」
私は制服のボタンを留めながら部屋を飛び出し、机の上の新品の学生鞄を掴む。
階段を駆け降りつつ、口に咥えていたヘアバンドを両手で広げ、一瞬で頭に通す。
洗面所へ滑り込み、顔をパシャパシャ、歯をカ ガガッと磨き、タオルとヘヤーバンドをカゴへポイ。
そして玄関へ全力ダッシュ。
おろしたての制服の襟を整えながら、真新しいローファーに足を滑り込ませると、背後から落ち着いた声がした。
「鈴、おはよう。今日から高校生なんだから、もうちょっと落ち着いて行動しなさい」
「おはよう、お母さん」
お母さんが呆れ半分、微笑み半分でコップを差し出してくる。
「騒がしい朝がまた始まったわね……遥ちゃんみたく、もう少し早く起きて、余裕を持って行動してほしいわ。はい、これくらいは飲んでいきなさい」
私は野菜ジュースを受け取り、喉に流し込む。冷たさが胃に落ちていく。
「ぷは〜、ありがとうお母さん。今日、入学式に来るでしょう?」
「もちろんよ。お父さんと二人で行くわ。遥ちゃんの親御さんは来られないみたいだから、私たちがバッチリ二人の写真を撮るわ。お父さんなんてスマホで十分なのに、わざわざカメラなんて買ってきたのよ?」
「カメラ……スマホがあるのにね」
「『レトロなとこがいいんだ〜!』って、張り切っていたわ。まあ、自分のお小遣いで買ったんだからいいけどね。ほら、そろそろ行かないと……あっ! そうそう、帰りに入学のお祝いに食事に行くから、遥ちゃんも誘っておいてね」
「わ〜い♪ 私タクアン食べ放題の店がいいな、じゃあ行ってきます」
「そんな店、あるのかしら……いってらっしゃい」
玄関のドアを勢いよく開けると、門の前にはーちゃんが待っていた。
私は駆け寄りながら、玄関横の犬小屋をつい見てしまう。胸の奥が少しだけきゅっとした。
それでも私は笑って、はーちゃんの隣に並んだ。
「リン遅いよ、早く行こう」
「はーちゃん、ゴメンね」
私たちは家の前の道を並んで歩き出す。犬小屋は空っぽ。でも、ゲームの中には――コタロウがいる。あの一週間、泣き疲れていた私の毎日は、彼のおかげでカラッと晴れた。
死んだはずのコタロウが、なぜかオンラインゲームで転生して、また一緒に過ごせるようになった。
不思議で、ツッコミどころは満載だけど、嬉しいものは嬉しい。
おかげでレベルも上がって、今日はレアクエストに挑戦なのだ。……寝不足の原因でもあるけど。
「リン、昨日寝るの遅かった?」
「ん〜、みんなでレアクエストに挑戦することを考えていたら、寝られなくなっちゃった」
「うん、うん。私も攻略サイトで情報を集めていたら、寝るのが遅くなったわ」
「はーちゃんもか〜、やっぱりあのゲーム楽しいよね。コタロウもいるし」
「だね。レベルも上がってパーティーで連携も取れるようになったし、今日のレアクエストは楽しみだわ」
「うん♪ 入学式が終わったらさっそくって、そうだ! はーちゃん、お母さんが入学式の帰りに、ご飯へいこうって、いくでしょ?」
「いくよ〜♪ うちの両親そろって海外で、家には家政婦さんしかいないからね」
「じゃあ、お母さんにメールしとく」
私は耳につけたイヤー型スマホの操作に触れ、空中へホログラムを呼び出す。指が勝手に踊るみたいに、母へメッセージを打ち込んだ。
「お母さんに、はーちゃんも行くってメールしたよ。あっ! もう返事がきた……お母さん返信早すぎ! まだ十秒もたっていないのに」
「お? たしか、おばさんのスマホって、最新の脳波コントロールスマホだっけ?」
「うん。この間、誕生日のお祝いにお父さんがプレゼントしていた。『脳波コントロールなんてなんか怖いわ〜』とか言って、おっかなびっくり使っていただけど……」
「見事に使いこなしているわね。考えるだけで文字が打てるってすごい便利。私も欲しいけど、スマホを変えたばかりだからな〜」
「はーちゃんのも最新だよね……私のなんてお父さんのお古だよ! かわいいスマホが良かったのに男性向けのデザインで形がかわいくない! あのクマ吉みたいなレトロで可愛いスマホが欲しいな〜」
「いやいや……あんな形のスマホを使っている人がいたら、普通に引くからね? クマのデザインが入ったスマホならまだわかるけど、完全にクマの形したスマホなんて、メーカーの企画段階で却下されるから」
私は頬をふくらませる。可愛いは正義だと思うんだけどなぁ。
「え〜? かわいいのに……あっ、はーちゃんバスが来てるよ」
「あれに乗れないと遅刻だよ。リン走って!」
「待ってよ、はーちゃーん!」
全力疾走で飛び乗って、ギリギリセーフ。初日から遅刻は、かろうじて回避できた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ここは、白い。どこまでも白くて、風も匂いもない。
僕はただ、その真ん中で、浮かんでいるみたいに佇んでいた。
目の前の空間に、光の板が現れる。
そこにはご主人様と――僕によく似た、でも僕じゃない存在が映っていた。
あいつは強くて、頼もしくて、笑いながらご主人様の前に立つ。僕にはできなかったことを、当たり前みたいな顔でやってのける。
少しだけ、胸がちくっとする。でも、不思議と嫌じゃない。むしろ、ほっとしている自分がいた。
「愉快、愉快、あの猟犬、なかなか楽しませてくれる」
静寂を裂いたのは、重々しいのにどこか楽しげな声だった。
「いやはや、これは面白いものを見せてもらったわい」
その声が形を与えるように、白の空間が揺らぎ、老人の姿が浮かび上がった。
「まさかそういうオチで来るとはな。獣の本能はワシを笑わせて楽しませに来ているようじゃな。おもしろい……だがそれだけじゃと、飽きるかのう」
老人が笑っている。長いひげ、やけに澄んだ目。僕はあれは知っている……あれは神を名乗った『何か』だ。
「ふむ。あの娘、たしか最初の門を超えていたな。ならば神気を……器の資格をもっておるはずじゃ」
老人はあごに手をやり、ひげをいじる。
「そうじゃ! 少しばかりワシが手を貸して、世界を面白くしてやろう」
老人は愉快そうに目を細めた。
老人の周囲に、淡い光の粒が舞い始める。まるで雪のように、静かに、しかし確実に世界を覆っていく。
「あの娘にワシが更なる『試練』を与えてやる。果たして猟犬よ、あの娘を守り切れるかな?」
老人の声が低く響くと、光の粒が雪のように降り注ぎ、白の世界はざわめきを増した。
「勝てぬ者には滅びを。だが、それを打ち破った者には――神気が覚醒するかもしれん」
老人は声を低め、楽しそうに口角を吊り上げた。
「さて……娘はどちらを選ぶかな? 泣き叫んで潰えるか、笑って運命を超えるか。フハハハハハ!」
白い世界が、その哄笑に呼応するように震える。
僕は思わず歯を食いしばった。
ご主人様。どうか、怖がらないで。
『あいつ』は、強い。僕よりずっと強い。
だから、信じてあげて。
そして、お願い。
もう一匹の僕。もう一緒にいてあげられない僕の代わりに――笑ってあげて。
僕は尻尾を振る。
届かない場所からでも、願いは届くと信じて。
…… To be continued
次回予告
レアクエストを目指して、いよいよ初ダンジョンへ。
入口に集うプレイヤーたち、ざわめく焚き火、胸の鼓動は高鳴るばかり。
そこで私たちを待っていたのは――ちょっとクセの強い出会いだった!
次回『ダンジョン前に潜む妖艶なる商人!?』
虚構が軋み、心が吠えたとき、世界は書き換わる。
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