花たちの物語

宵雨 小夜

とっておき

 


***



 カーディガンにくるまるように歩く私たちの頬を秋の風が冷やす。そのヒヤリと冷たい風に乗って甘くほろ苦いカラメルのような香りが鼻をかすめた。





「なんか甘いにおいしない?」





 撫子が隣で鼻をスンスンしながら私に尋ねてきた。





「これ、桂の枯れ葉。この道ずっと桂が街路樹として植えられてるから。」




 道路沿いに植えられた桂の木はすっかり紅葉し、私たちの歩く道を秋色に彩っていた。




「え!これ葉っぱからしてるの?てっきり近くに焼き菓子屋さんでもあるのかと思ったよ~!残念!でもいいにおいだねぇ。」





***


  



 私たちは同じ高校に通っている。さらに言えばクラスも三年間一緒。撫子はさらさらの綺麗な髪に白い肌、長い睫毛が印象的な切れ長の瞳、背はすらりと高く、お喋りでクラスの皆に慕われる人気者である。




 そんな撫子と初めて話したのは入学式の日だった。




「紅葉って名前素敵だねぇ。私も下の名前が植物だからなんか親近感湧いちゃった〜!」




 撫子はホームルームが終わってすぐ私の机にやって来てそう言った。人と話すことがあまり得意ではない私は目の前に現れた綺麗な女の子にどきどきしながら、「うれしい、ありがとう。」と答えた。



 この日をきっかけに私たちはよく話すようになった。


 

 それからすぐに一つ隣の駅に住んでいること、二人とも甘いものに目がないことが分かり、時間を見つけては二人でカフェや菓子店を開拓するようになったのだった。





***





「待ちに待った『とっておきモンブラン』の季節が来たね~!」


 


 撫子は半分スキップをするように私のとなりではしゃいでいる。風になびいた撫子の髪が陽の光を浴びてきらきらと揺れている。




 私たちが今から向かおうとしているのはメイプルという喫茶店である。その喫茶店では毎年秋になると『とっておきモンブラン』というちょっと特別なモンブランが食べられるのだ。



 ベースは栗だがわずかにほうじ茶の粉末が練り込まれておりほのかに香ばしい香りがする。上にはクルミとドライイチジクが乗っている。



 それをホットミルクとセットで頼むのが私たちのこの時期のお決まりだった。




 はじめて食べた時はその美味しさが忘れられず、翌日も二人でメイプルに行ったのが懐かしい。翌年の秋も二人で幾度となく通った。秋になるとメイプルに通いすぎるあまりに菓子店開拓が一旦ストップしてしまうほど私たちのお気に入りだった。




「でも、来年からは撫子は食べられないかもなんだよね。」



「もう!言わないでよ~!考えないようにしてるんだから!」




 撫子は来年から美容師になるための専門学校に進学するために上京することが決まっていた。




「紅葉買って持ってきてよ~!かわりに髪の毛切ったげるから。」



「さすがに東京までは持っていけないよ。休日に戻ってこられそうなら一緒に行こ。」




 やだやだと駄々をこねる撫子をなだめつつ私たちは桂の香りに導かれるようにメイプルへと並んで歩いた。





***





「いらっしゃい。お、今年も来たかお二人さん。モンブランでいいかな?」




 メイプルのマスターは私たちの顔を見るなりそう言った。





「「もちろんです!」」





 そう撫子と同時に答えて、あまりに声が揃ったものだから二人で顔を見合わせて思わず吹き出した。



 店内は他に客はおらず、私たちは定位置になっている窓際の二人掛けテーブル席に座った。窓からはちょうど西日が差し込み、テーブルは柔らかな暖かさに包まれていた。



 喫茶店らしいコーヒーの香りの奥にどこか優しくあたたかなほうじ茶の香りが漂っているのに気がつき思わず頬が緩む。







「こうやって二人で学校帰りにここに来るのもあと何回できるんだろうなあ。」



 撫子が窓から外を眺めつつ呟いた。



「急にセンチメンタルだね。」



「さっき紅葉がこの先の話なんかするから、寂しくなっちゃった。」



「ああ、ごめん。」



 なんだか少し気まずくなって互いに黙ってしまったところにタイミングよくマスターが『とっておきモンブラン』とホットミルクを持ってきてくれたので少しほっとする。



「おまたせ。僕が元気な間はうちの店ちゃんと続けるから卒業しても二人でおいで。」



 そう言ってマスターはカウンターに戻っていった。



「これは来なきゃだね。」



「だね。」



「とりあえず今は目の前にあるこの子を食べなきゃね!」




 とたんに目をキラキラ輝かせる撫子は本当に無邪気な子どもみたいで、いとおしい。クラスでの撫子はお姉さん的存在だ。ほかの子は知らない、私と甘いものを食べるときだけに見せる顔。




「ほら、紅葉も食べよ!ホットミルク冷めちゃうよ~!」

 



 撫子に急かされ、まずはホットミルクに口をつける。モンブランも美味しいのだけど、このホットミルクあってこその私たちの『とっておき』なのだ。




「染みるねえ。」



「紅葉いつもそれ言うよね。なんかおばあちゃんが湯飲みでお茶飲んでるみたいに見えてきた。」




 そんなことを言い合いながらモンブランに手をつける。ずっしりとした栗のペーストとクリームを頬張ると、甘い栗の香りと香ばしいほうじ茶の香りが鼻を抜ける。




「やっぱり美味しすぎるよ~!」



「ほんとどう考えてもこれに勝るモンブランはない気がする。」




 しみじみ美味しさを味わいつつも美味しすぎてあっという間にお皿が空になる。これも毎年の恒例だ。そんなことを考えながら、ふと顔を上げるとこちらを見ていた撫子と目が合った。




「どしたの?」



「あ、いや。やっぱ私って前髪切るの上手いなあって。」



「自画自賛?でも本当に上手いと思う。ありがとうね。」



「ふふ、どういたしまして!」




 夕陽に照らされた撫子の頬が少し赤みを増し、照れているのが分かってなんだかこちらまで気恥ずかしくなってしまった。





***





 今日のお昼休み、突然撫子から「紅葉、前髪目にかかってるじゃん!切ったげようか?」と言われたのだった。あまりに突然ではあったが最近前髪が邪魔だったのは事実で、美容師志望の撫子が普段自分で前髪を切っていることを知っていた私はその提案に甘えることにした。




「じゃあこの袋、顔の下に持って目つぶって。」




 そう言いながら撫子は私にコンビニの袋を差し出した。大人しく言われた通りにすると、「じゃあ切ります!」とやたら威勢良く撫子が宣言をするので思わず笑うと「動かないで!」と怒られた。



 目をつぶって静かにしていると撫子の気配だけが感じられて急に鼓動が早くなる。ハサミのヒヤリとした触感が額に触れる。その冷たさは頬の熱さを強調するようでどんどん鼓動が早くなる。



 昼休みの教室は賑やかなはずなのに自分の鼓動と撫子の気配で周りの音は耳に届かなかった。



誰もいない教室で二人きりでなんだかいけないことをしているような気がして、とても長い時間が経ったような気がした。



髪を切るハサミの音だけが響く。




「はい、できた!」




撫子のその言葉が合図となり、昼休みの賑やかな教室が戻ってきた。頬の熱さだけがさっきの時間が夢ではないと言っているようだった。鏡を見ると確かに綺麗に前髪が切り揃えられている。





「実は人の髪の毛切るのはじめてだったから緊張したあ。」と顔をパタパタと扇ぐ撫子の頬は鏡の中の私と同じくらい紅かった。






***




「まさか人の髪の毛は切ったことないなんて知らなかったなあ。」



 茶化すように言うと撫子は目をこちらから逸らしながら反論してきた。



「ふつう人の髪の毛切る機会なんてなくない?」



「まあ確かにそうか。じゃあ、撫子のはじめてのお客さんは私ってこと?」



「そうだね、お客さん第一号だ!今後ともご贔屓に!」



「お言葉に甘えて、またお願いします。」




 お互いのかしこまった物言いが面白くなって二人とも笑いながら、冷めたホットミルクで乾杯をした。





***




「お先で~す!」




 遅番の人たちに挨拶をし、職場である美容室の扉を開けるとこちらに冷たい風が吹き込んできた。




「うう、カーディガン一枚じゃ寒かったな。」




 腕で身体を包み込むようにして暖をとりつつ帰り道を急ぐ。こんな日はお鍋でもしようかなと考えながら歩いていると急にどこからか甘くほろ苦い香りが漂ってきた。




「あれ、この辺お菓子屋さんとかあったっけ。」




 そういえば、昔もこんな話をしたような気がする。たしかあの時言われたような。お菓子じゃないよって。そうだ。なんか葉っぱからにおいがするんだった。たしかあの木だ、メイプルまでの道に植えられてた木。




「モンブラン、食べたいな。」




 まっすぐ帰ろうとしていた進路をこの辺りに最近できたらしいケーキ屋さんに変更する。



 スマホを頼りにそのお店にたどり着くと、遅い時間ではあったがショーケースには何種類かの可愛らしいケーキが残っていた。ちゃんとモンブランもある。




「このモンブラン二つお願いします。」




 白い制服に身を包んだ店員さんが手早く箱詰めをし、「お気をつけてお持ちください」と笑顔で手渡してくれたその箱を持って次はコンビニに向かう。



 モンブランと言えば『あれ』がなくては。




***




 コンビニから出てきた私の手には右手にモンブランが入ったケーキの箱が、左手には1リットルの牛乳が握られていた。




「これ端からみたらどう見えるんだろうな。」




 まあいい。両手にものを抱えて家に帰った私を見てあの子が笑ってくれるだろう。そしてケーキの箱の中身がモンブランだと知ったらとても喜んでくれるに違いない。



 喜ぶあの子の顔を想像して思わず頬が緩む。



 そうだ、次の休みには二人で地元に帰ろう。



 あの私たちの本物の『とっておきモンブラン』を食べにメイプルに行こう。



 マスターに「今年も来たか」って言ってもらおう。



 とりあえず今晩は仮の『とっておき』で。



 そんなことを考えながら私は家に向かう速度を早めた。

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