第2話:証言A ——「増え続ける不在票」

取材記録ファイル02

対象者:坂本健太(仮名・二十歳・大学生)

取材場所:東京都S区 坂本氏の自宅アパート

日時:二〇二三年五月二十二日 午後一時


前回の取材で牧村里美氏が見せた不可解な変化、そして彼女から送られてきた音声データに残されたGPS情報。

それらが指し示していたのは、S区の一角にある広大な「更地」だった。

私はその更地の周辺を調査対象エリアと定め、近隣住民からの情報を重点的に洗うことにした。

そこで浮上したのが、メールをくれた「大学生A」こと、坂本健太氏である。


坂本氏のアパートは、例の更地から道路を一本挟んだ向かい側に位置している。

木造二階建て、築三十年は経過していると思われる古びたアパート「コーポ・サツキ」。

外壁はくすんだクリーム色で、鉄製の階段は歩くたびにカンカンと頼りない音を立てた。

彼の部屋は二階の角部屋、二〇三号室だ。


玄関のチャイムを鳴らすと、すぐにドアが開いた。

現れた坂本氏は、あどけなさの残る普通の大学生といった風貌だが、その表情は明らかに憔悴していた。

部屋の中は、コンビニ弁当の空き容器や教科書が散乱しており、典型的な一人暮らしの男子学生の部屋だ。

ただ一つ異様なのは、玄関のたたきに、まるで魔除けのお札のように大量の紙片が散らばっていることだった。


(以下、インタビューの書き起こし)


――メールをいただき、ありがとうございます。これらが、その「不在票」ですか?


坂本:はい。どうぞ、上がってください。汚い部屋ですみません。……その紙、踏んづけちゃっていいんで。どうせゴミみたいなもんなんで。


――失礼します。それにしても、すごい量ですね。いつから届くようになったんですか?


坂本:一ヶ月くらい前です。四月に入って、大学の講義が本格的に始まった頃ですね。最初は一枚だけでした。帰ってきたらポストに入ってて。「ああ、前の住人の荷物かな」って思ったんです。


――宛名は、坂本さんではないんですね。


坂本:はい。「宮島」って書いてあります。宮島進、だったかな。この部屋、僕が入る前は空室だったって聞いてたんで、その前の人が転送届を出し忘れたんだろうなって。だから最初は気にしてなかったんです。でも、次の日も、その次の日も入ってるんですよ。


――同じ荷物の不在票ですか?


坂本:それが違うんです。依頼主も、伝票番号も毎回違う。ある時は「Amazon」、ある時は「実家」、ある時は「〇〇役所」。でも、宛名だけはずっと「宮島進」なんです。


――運送会社に連絡はしましたか?


坂本:しましたよ。最初は「前の住人の荷物が間違って届いてます」って電話しました。でも、オペレーターの人が言うんです。「その伝票番号は登録されていません」って。


――登録されていない?


坂本:はい。桁数は合ってるらしいんですけど、システム上その番号の荷物は存在しないって。おかしいなと思って、今度は不在票に書いてあるドライバー直通の携帯番号にかけてみたんです。そうしたら、「おかけになった電話番号は現在使われておりません」ってアナウンスが流れて。


――それは……奇妙ですね。いたずらでしょうか?


坂本:僕も最初はそう思いました。誰かが嫌がらせで偽の不在票を入れてるんだって。でも、見てくださいよ、これ。


坂本氏は床に散らばった紙片の一枚を拾い上げ、私に手渡した。

それは一見すると、大手宅配業者の不在票によく似ていた。

黄色と白の複写式の用紙。

だが、手触りが違った。

紙が妙に湿っており、少しぬめりがある。

そして、インクの匂いではない、何か古畳のような、あるいはカビのような独特の臭気が鼻をついた。


書かれている文字を見る。

『受取人不在のため持ち帰りました』

『ご依頼主:■■病院』

『受取人:宮島進 様』


依頼主の部分が黒く塗りつぶされているように見えたが、よく見ると「病院」という文字だけが読み取れた。

そして何より不気味なのは、文字の筆跡だ。

ボールペンで書かれたものではない。

まるで、細い筆か何かで、弱々しく書かれたような掠れた文字。

事務的な不在票とは程遠い、執念のようなものを感じる筆跡だった。


坂本:これ、今日入ってたやつです。「病院」からなんて、心当たりないですよね? それに、これが入ってた時の状況が一番怖いんです。


――今日ということは、私が来る直前ですか?


坂本:ええ、さっきです。僕、今日は講義をサボって一日中部屋にいたんです。この不在票の犯人を捕まえてやろうと思って。ドアチェーンをかけて、ずっと玄関で聞き耳を立ててました。このアパート、壁が薄いから誰かが階段を上がってきたらすぐにわかるんです。


――誰か来ましたか?


坂本:いいえ。誰も来ませんでした。階段の音も、廊下を歩く音もしなかった。それなのに……急に、ポストがカタンって鳴ったんです。


――ドアについている郵便受けですね。


坂本:はい。音と同時に、白い紙がスッと入ってくるのが見えました。僕、すぐにドアを開けたんです。本当に、一秒も経ってないと思います。チェーンを外して、ガチャって開けて、廊下に飛び出したんです。


――誰かいましたか?


坂本:……誰も、いなかったんです。


坂本氏は声を震わせた。


坂本:廊下は一直線で見通しがいいんです。隠れる場所なんてない。階段を下りる音もしなかった。絶対に間に合うタイミングだったのに、廊下には誰もいなくて、ただ春先の生ぬるい風が吹いていただけでした。まるで、透明人間がポストに入れたみたいに。


――その時、何か変わったことはありませんでしたか? 音とか、匂いとか。


坂本:匂い……ああ、そういえば。ドアを開けた瞬間、すごく臭かったんです。この不在票からも少し匂いますけど、もっと強烈な……生ゴミみたいな、腐ったような臭いが廊下に充満してて。


(書き起こし終了)


私は坂本氏から数枚の不在票を預かり、検証することにした。

手渡された紙片は、やはり指先に張り付くような不快な湿り気を帯びていた。


取材の後半、私は彼にある質問をした。

「宮島進」という人物について、大家や管理会社に尋ねたことはあるか、と。

坂本氏は青ざめた顔で首を横に振った後、こう答えた。


「聞きましたよ、大家さんに。そうしたら、妙なことを言われました。この二〇三号室、僕が入る前は『リフォーム中』ってことで、十年くらい誰も住んでなかったそうなんです」


十年間の空室。

都内の、しかも大学に近い立地で、十年も部屋を遊ばせておくなど経済的にも不自然だ。

「その前は? 十年前の住人は誰だったんですか?」と彼が食い下がると、大家は口を濁し、「記録が残っていない」の一点張りだったという。


私はアパートを辞去する際、廊下の状況を確認した。

坂本氏の言う通り、二階の廊下は一直線で、隠れる場所はない。

二〇三号室の隣、二〇二号室のドアの前を通った時、ふと違和感を覚えた。

ドアノブに埃が積もっている。

表札は空白。

電気メーターの円盤は微動だにしていなかった。

「隣は空室ですか?」と私が振り返って尋ねると、玄関先で見送ってくれていた坂本氏が頷いた。


「ええ、僕が越してきた時からずっと空き部屋です。内見には何人か来るんですけど、みんな中に入るとすぐに『ここは無理です』って言って帰っちゃうらしくて。……僕には何が無理なのかわからないんですけど」


坂本氏は自嘲気味に笑ったが、その目は笑っていなかった。


***


不在票の分析


事務所に戻り、預かった不在票を机の上に並べた。

合計五枚。

宛名はすべて「宮島進」。

依頼主の欄はバラバラだ。

「実家」「〇〇役所」「■■病院」「(空白)」「管理組合」。


私はまず、伝票番号と思われる数字の羅列を検索にかけてみた。

坂本氏の言っていた通り、どの大手宅配業者の追跡システムにも該当しなかった。

そもそも、桁数が微妙に違う。

通常の宅配便は十桁から十二桁の数字が使われるが、この不在票に書かれている数字は十三桁だった。

そして、五枚すべての伝票番号が、まったく同じ数字列だったのだ。


『4309113540400』


これは伝票番号ではないのではないか?

私は数字の並びに既視感を覚えた。

もしやと思い、冒頭の数字を緯度と経度に見立ててみる。

だが、日本の座標としては成立しない。

電話番号でもない。

単なるランダムな数字の羅列だろうか。あるいは、何か別の意味を持つコードなのか。


次に、用紙そのものを詳しく観察した。

紙質はわら半紙のように粗悪で、古ぼけて黄ばんでいる。

ルーペで拡大してみると、印刷された枠線の一部が滲んでいた。

これらは市販の不在票ではなく、誰かがパソコンか何かで作成し、家庭用プリンターで印刷した模造品である可能性が高い。

だが、わざわざ古い紙を使い、手書きのようなフォントではなく、実際に筆記用具で一枚一枚名前を書き込んでいる手間を考えると、単なるいたずらにしては手が込みすぎている。


そして、最も気がかりなのは「匂い」だ。

時間が経ち、乾燥してきたものの、紙からは微かに腐敗臭が漂っていた。

この匂いには覚えがある。

古い日本家屋の床下や、湿気の多い地下室などで嗅ぐ、澱んだ空気の匂い。

あるいは、病院の消毒液と何かが混ざったような独特の不快臭。


私はふと、第一話で牧村氏から送られてきた音声データのことを思い出した。

あの時、GPS情報が示していたのは、坂本氏のアパートの向かいにある「更地」だった。

そして今回の不在票。

依頼主の欄にあった「■■病院」。


私はパソコンを開き、あの更地の過去について本格的に調べることにした。

前回はざっとニュース記事を検索しただけだったが、今回は登記簿や古地図のアーカイブにアクセスする。

「S区 更地 歴史」

検索結果の海を泳ぐこと一時間。

私はある個人のブログに辿り着いた。

『東京の消えた心霊スポット探索』というタイトルの、十年以上前に更新が止まっている古いブログだ。


その記事の一つに、あの更地のことが書かれていた。

そこにはかつて、『宮島総合病院』という個人病院があったという記述があった。


宮島。

不在票の宛名と同じ名前だ。


ブログによると、その病院は精神科と内科を併設していたが、院長の不正医療疑惑や患者への虐待の噂が絶えず、二十年ほど前に閉院。

その後、建物は取り壊されずにしばらく廃墟として残っていたが、不審火によって半焼し、最終的に解体されたという。

記事には、廃墟時代の写真が掲載されていた。

コンクリート造りの四階建て。

窓ガラスは割れ、壁は蔦に覆われている。


その写真を見て、私は息を飲んだ。

建物の形状が、第一話で訪れたマンション「K」と似ていたからではない。

廃墟の入り口付近に落ちている看板の残骸。

そこに書かれた病院のロゴマーク。

それが、坂本氏の不在票の裏面に薄っすらと印刷されていた模様と、酷似していたからだ。


「宮島進」とは、かつての院長の名前か、あるいはそこに入院していた患者の名前か。

いずれにせよ、坂本氏の部屋に届いているのは、過去の亡霊からの郵便物ということになる。

しかし、幽霊が不在票を書くだろうか?

幽霊が物理的な紙をポストに入れるだろうか?


そこには、もっと現実的で、だからこそ恐ろしい「人間の意思」が介在しているように思えた。

この不在票を作り、配っている「誰か」がいるのだ。


その時、私のスマートフォンが振動した。

坂本氏からだった。

時刻は深夜二時を回っている。


「はい、もしもし」

『あ、ライターさんですか……?』

坂本氏の声は、昼間よりもさらに小さく、震えていた。

『今、聞こえるんです』


「何がですか?」

『隣の部屋です。ずっと空き部屋だった、二〇二号室』


私は受話器を耳に押し当てた。

『さっきから、壁の向こうで、誰かがブツブツ言ってるんです。お経みたいな、数字みたいなのを、ずっと数えてる』


「数字?」

『はい。四、三、〇、九……って。ずっと繰り返してるんです』


四、三、〇、九。

あの不在票に書かれていた数字の羅列と一致する。

『4309113540400』


『それと、壁をカリカリ引っ掻くような音がして……あ、また』

カサッ、という乾いた音が受話器越しに聞こえた。

『今、玄関のポストに、何かが入りました』


「開けないでください!」

私は思わず叫んでいた。

「今、絶対にドアを開けちゃいけない。朝まで待ってください。私がそちらに向かいますから」


『……でも、のぞき穴から見たら、誰もいないんです』

坂本氏は夢遊病者のような口調で言った。

『不在票じゃありませんでした。今度は、封筒です。茶色い封筒』


「坂本さん、触らないで」

『中身、見てもいいですか? 隙間から、何か赤いものが見えるんです』


「駄目だ! 坂本さん!」


『……あ』


短い悲鳴のような声。

その直後、ガタンという大きな物音がして、通話は途切れた。

何度かけ直しても、坂本氏の携帯は留守番電話サービスに繋がるだけだった。


私は上着を掴み、事務所を飛び出した。

深夜の街をタクシーで飛ばし、S区のアパートへ向かう。

嫌な予感が胸の中で膨れ上がっていた。

牧村氏の件といい、この坂本氏の件といい、事態の進行が早すぎる。

我々が取材を始めたことで、眠っていた「何か」を活性化させてしまったのではないか。


三十分後、私は「コーポ・サツキ」の前に到着した。

アパートは深夜の闇の中に沈み込み、街灯の薄明かりだけが頼りなく照らしていた。

二〇三号室の窓には明かりがついている。

私は鉄階段を駆け上がった。


二〇三号室のドアの前に立つ。

「坂本さん!」

ドアを叩く。返事はない。

鍵はかかっていなかった。

私は意を決してドアノブを回し、中に入った。


「坂本さん?」

部屋の中は、昼間見た時と同じ散らかりようだった。

テレビがついたままになっている。

バラエティ番組の再放送が、無人の部屋で虚しく騒いでいた。


坂本氏の姿はなかった。

トイレも、風呂場も、押入れの中も確認したが、彼はどこにもいなかった。

ただ、玄関のたたきに、一枚の茶封筒が落ちていた。

電話で彼が言っていたものだ。


私はハンカチ越しにそれを拾い上げた。

封は切られている。中身は空だった。

だが、封筒の表には、赤いフェルトペンのようなもので、大きくこう書かれていた。


『受取拒否』


そして、その文字の下に、小さなメモ書きが添えられていた。

坂本氏の筆跡ではない。

あの不在票と同じ、掠れた筆文字だ。


『転居先不明につき、本人をお連れしました 宮島』


私は寒気に襲われ、その場にへたり込んだ。

ふと、視線を感じて顔を上げる。

薄い壁一枚隔てた隣の部屋。二〇二号室。

こちらの部屋との境にある壁に、耳を押し当てる。


静寂。

いや、違う。

微かに、本当に微かに、音が聞こえる。


『……四、三、〇、九……』


それは、機械的に数字を読み上げる男の声だった。

そして、その声の背後で、もっと小さな、啜り泣くような声が聞こえた。

「助けて、助けて」と繰り返す、坂本健太氏の声が。


私は逃げ出したかった。

だが、ライターとしての業か、私はその声をICレコーダーに録音しようとポケットを探った。

その時だ。

私の着ていたジャケットのポケットの中に、異物感があった。


ガサリ、と音がする。

私は恐る恐る、ポケットの中身を取り出した。

私の手の中にあったのは、黄色い紙片。

あの、湿った不在票だった。


いつの間に?

事務所を出る時は確かになかったはずだ。

タクシーの中? あるいは、この部屋に入った瞬間?


紙片に書かれた文字を見る。

血の気が引いていくのがわかった。


『受取人不在のため持ち帰りました』

『ご依頼主:■■病院』

『受取人:私(ライターの本名)様』


そして、備考欄にはこう書かれていた。


『次ハ、アナタデス』


私は悲鳴を上げそうになる口を必死で押さえ、転がるようにしてそのアパートを後にした。

背後で、二〇二号室のドアが、ゆっくりと軋んだ音を立てて開く気配がしたような気がしたが、私は一度も振り返らなかった。


(第2話 了)

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