第一話 一歳と八ヶ月になりました。

 転生してから一年と八ヶ月。


 俺は一人でのトイレに挑まんとしていた。世間の子供が二歳から三歳頃までオムツな事を考えると、かなり早い挑戦である。


 しかし、生きていれば三十四歳になろう男なのだ。布オムツを回収される時、なんとも言えない気持ちになるからな。


「いり……おかーさん!」

「分かったわ。この板をトイレに置けば良いのね?」


 俺は厳かに頷く。


 幼児の体はまだまだ小さい。誤って汲み取り式トイレに落ちたら死にたくなるだろう。そこで穴の空いた板を用意して貰い、その上で用を足す事にしたのだ。


 ――イリナさんが板を設置するのを見届けて、いざ尋常に勝負。


 っと、その前に。


「あっちむいてて」

「あらあら、そうね。ふふっ」


 家族とはいえ、踏ん張っている場面を見られるのは恥ずかしい。


 俺はイリナさんが後ろを向いたのを確認し、体に魔力を纏わせて前屈みになる。この姿勢、まだ筋肉不足らしくバランスが取れないので、魔法で身体強化を行い補助する形だ。こんな所で訓練の成果が出るとはな。


「――ふぅー。はっぱわすれた」


 トイレは無事に済んだ。しかしお尻を拭く葉を用意しておらず、結局イリナさんに尻を見られる結果となってしまった。


「失敗は誰にでもあるわよ。元気出して」

「…………はい」


 ――そうだな。少しポカをしたが、切り替えよう!


 早速外に出て日課をこなすぞ。訓練と畑の研究だ!


 俺の住む寒村、エドワーズの村は土地が余っている。畑に向かない痩せた土地だが。


 そこでエドガーさんに頼み、家の裏手を自由に使わせて貰っているのだ。


「じぶんのはたけ、いってきます」

「行ってらっしゃい。転ばないようにね」


 家の窓から見える位置だろうと、挨拶は大事だ。


 俺は裏手に着くなり、木の棒で素振りを始める。正しいフォームは知らないけど、体力作りにはなるだろうし。やっておいて損は無いだろう。


「さんじゅういちっ、さんじゅうにっ!」


 Lv3に上がった魔力操作で全身に魔力を纏わせて、Lv2に上がった身体強化を行う。


 ゲームの知識で存在を知っていた二つのスキル。他にも多種多様なスキルがあるはずなのだが、一向に覚える気配が無い。


 俺は習得方法に頭を悩ませつつも、休むことなく木の棒を振り続けた。


「よし、きゅうけい!」


 疲れて動けなくなったら、休憩を挟んで次は畑だ。


 食料に魔獣の肉が手に入るとはいえ、明らかに農作物が足りていない。一度でも不作の年が来ようものなら、村全体で栄養失調に陥るだろう。二年も続けば死者が出ると思う。対策は必須だ。


 現在はエドガーさんから分けて貰った種を蒔き、区画毎に条件を変更して栽培中。


「こっちのほうが、そだちがいい」


 エドガーさんに森から取ってきて貰った腐葉土を混ぜた畑、堆肥にして混ぜた畑、何もしていない畑。

 これまたエドガーさんに豆科の植物を探して来て貰い、地力の回復実験をしている畑など、日々観察を続けている。


「――けどやっぱり、みずがなー」


 村が貧しい理由は複数あるが、筆頭は水資源が乏しい事だ。作物を健康に育てられる環境じゃない。村の周囲に広がっている森の木々が、何故に元気なのか、謎である。


「うん、きょうはこんなところかな」


 熱中して土いじりをしていると、陽がてっぺんを回っていた。


 今日から午後の数時間、イリナさんに簡単な魔法を教わる予定だ。


 初めに教えを請うたときは、まだ早いと断られた。

しかし、どうしてもと無理を言って頼み込んだのだ。幼児が土下座する姿なんぞ、見せてしまって申し訳ない。


「ただいまー」

「おかえりなさい。手を洗うからこっちに来て?」


 家に入るなり呼び出された俺はイリナさんの元へ行き、彼女が創り出した魔法の水で手の汚れを落とす。


「今日はおやつあるわよー」

「おー、いっしょにたべよ」


 干し芋をおやつに出してくれたので、イリナさんとはんぶんこして頂く。甘味はあまり手に入らないので、凄く美味しく感じるぞ! イリナさんは甘いものが大好きだ。いつかお腹いっぱい食べさせてあげねば。


「うまー」

「そうねー」


 干し芋はあっという間に食べ終わり、魔法の授業が始まった。


「みずのまほう、おぼえたい!」

「良いけど、魔法で作った水は飲んじゃダメよ?」


「まえからいわれてたけど、どうして?」


 飲料水や畑へ撒く水として、何故皆が使わないのか疑問に思っていたのだ。


「魔力が無くなると同時に水も消えてしまうの。少し口に入るくらいなら、魔法をすぐに消せば平気だけど。なるべく飲まない事、良いわね?」


「はい!」


 人体の六十%から七十五%を占める水分が突然消えたら……考えるだけで恐ろしい。


「その点、火の魔法は熱が残るし、炎を移せば燃え続けるから便利だけど、小さいうちは教えられないわ。ごめんね?」


「しかたないよ。あぶないもの」


 常識のある母親で嬉しい。


「うふふ。まだ二歳にもなってないのに、本当に賢い子ねー」


「うっ」


 返事を聞いたイリナさんに、突然抱き締めらてしまった。照れる。けど何故か安心するんだよな。前世では久しく忘れていた感覚、今世では大事にしていきたい。


「今日は掘削ディグ魔法を教えてあげるわ。穴を掘る魔法。毎日畑の管理、頑張ってるでしょう? 凄く便利よ」


 確かに。先の事を考えると助かるかもしれない。


「よろしくおねがいします」

「ふふ。ええ、お願いされるわ」


 姿勢正しく頭を下げる息子の姿がおかしいのか、笑われてしまったぜ。


 ――その後に始まった魔法の説明は、はっきり言って意味不明だった。空中に浮かび上がる魔法陣を見せられて、これを魔力で再現するのよと言われても理解不能だ。


「……わからない」

「初めは仕方ないわよ。手を出して?」


 言われて突き出した小さな手に、イリナさんの手が重ねられる。すると、自分の中にある魔力が動き出すのを感じた。


「こうして……魔力を体外に出すの、体から切り離さないようにね。その魔力で正しい魔法陣を描いて、最後にキーワードを唱えれば魔法は発動するわ。けど魔力操作スキルが無いと難しいから、当分の間は――」


 凄い、体から魔力が抜けていくのに繋がっている感覚がある。これで魔法陣を描けば良いのか。いつも見ている水球ウォーターボールの魔法陣はシンプルだったな。試しに描いてみよう!


 俺は魔力を動かして、空中に魔法陣を描いていく。時間はかかったが、日頃行っている訓練の賜物だろう、綺麗な魔法陣を完成させることが出来た。これで良いのかな?


水球ウォーターボール


 最後にキーワードを唱えると、空中に水が生成され始める!


「おー! できた、まほうだ!」


 集中が途切れたところで、水球が床に落ちて弾けたが……。


「なしとげたぞー!」


 転生してから最も興奮しているかもしれない。日々の努力が報われた瞬間である。


 俺が一人で盛り上がっていると、口をあんぐりさせていたイリナさんが、大きな声を上げた。


「て、天才だわ! うちの子は天才よ! 大きくなったらその能力を遺憾なく発揮して、万物を支配するに違いないわ!」


 この人は、いったい何を言っているんだ。よしんば可能だとしても、万物を支配したくはない。


「イリナ! 何かあったのか!?」


 大きな声が家の外まで聞こえたのだろう。エドガーさんが慌てた様子で家に駆け込んで来る。


「あなた! ニルスが魔法を使ったのよ!」


「――いやいや、まだ二歳にもなってないんだぞ? 驚かそうとしたってそうは――」


 疑うエドガーさん。俺は論より証拠という事で水球の魔法を発動する。おお、込める魔力の量次第で、生成される水球の大きさが変わるのか。


「…………」

「…………ね?」


「ああ……天才だー!」

「天才よ!」


 変なノリで叫び始めた両親を尻目に、検証を続ける。

 俺はもう魔法に夢中だ。コレ魔法は、とても頑張り甲斐があると思うのだ。


 ――その日から三年間、俺は魔法を極めるべく、毎日コツコツと努力を続けた。

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