第2話 取り憑かれた!
2023年10月8日
「そうよ、取り憑いたの!」
「今、ワープしてきたの?」
「違うわ。黒野君のあとをつけていたのよ。壁も車のボディも幽霊ならすり抜けられるからね。さっきまでは後部座席に隠れてたの」
「びっくりして事故ったらどうするの?」
「そうだよね。ごめんね。ふふっ」
なぜかとても楽しそうだ。
「…全然謝っている感じがしないんだけど?」
「幽霊は殆ど移動できないんだけれど、取り憑いたら移動できるみたい。ずっとあそこにいてもしょうがないでしょ?」
「えっ!?ずっとあそこにいたの?」
「そうだよ。ようやく外に出られたの。ドライブ楽しい!」
「テンション高いね?」
「うん!」
「音楽でもかける?」
「何があるの?」
「何でも聴けるよ」
「どこにCDがあるの?」
その言葉に、僕はふと気づいた。
時代的に美亜ちゃんはスマホやサブスクのことを知らない。
少し驚いた顔をしているのを見て、彼女がまだ過去の時代に生きていたことを改めて実感した。
「美亜ちゃん、やっぱりクラシックだよね?ピアノ曲が好きだよね?」
「うん、クラシック音楽は大好き。ピアノ曲がいいな。う~ん、パダジェフスカの《乙女の祈り》かな。鍵を買った人がうちに来てくれて、乙女の祈りが通じたでしょ!」
「…幽霊の乙女の祈りがね…」
「なんか言った?」
「いや」
車を停め、スマホを取り出して《乙女の祈り》をかけた。有名なピアノ曲は大体ダウンロード済みだったのでオフラインでも聴く事ができる。
柔らかなピアノの音色が車内に流れ始めると、美亜ちゃんの顔に驚きと喜びが広がった。
「すごい!何その機械⁉︎」
「これはスマートフォンって言って、未来の電話機だよ。簡単に言うと、小型の超高性能パソコンみたいなものかな?ちなみに、今はほぼ全員持ってるよ」
「へぇ~、すごいね…未来。じゃあ、CDは?」
「もうほとんど使われていないんだ。これでほぼ全部聴けるから」
「そうなんだ…」
《乙女の祈り》が静かに流れる。
「やっぱり《乙女の祈り》って素敵だね」
「うん、リビングにピアノがあったよね。幽霊でも弾けるの?」
「私は弾けないの。もしかしたら、弾ける幽霊もいるかもしれないけどね……」
「そうなんだ。それは辛いね。目の前にあるのに、弾けないなんて」
「しょうがないよ。もう慣れたから」
「黒野君は?まだピアノを弾いているの?」
「うん、今でも続けてるよ。電子ピアノだけどね。部屋にあるよ」
「へぇ、もしかしてプロのピアニストになれた?」
「まさか?今は普通のサラリーマンだよ。趣味で弾いてるだけ」
曲が終わると、次にベートーヴェンの《月光 第1楽章》を選んだ。霧がさらに薄くなり、満月がゆっくりとその姿を現したからだ。
静かなピアノの旋律が車内を優しく包み込む。
美亜ちゃんはうっとりとした様子で、窓の外の月を見つめている。
ピアノの音色が彼女の表情を柔らかくし、儚げな美しさが際立つ。
「月、綺麗だね……」
美亜ちゃんがぽつりと呟いた。
「……うん……」
僕も小さく返事をする。
「ピピピ」
時計に目をやると、表示は2023年10月10日、5:10を示していた。
僕たちは無事に現代に戻ってきたらしい。
僕は幽霊の美亜ちゃんとその「宝物」を積んで、タイムトラベルから生還したのだ。
「ほら、見て、電波腕時計の日付!」
「おお~、未来に来たのね♡バック・トゥザ・フューチャーみたいじゃん」
「僕にとっては現代だね。…ふぅ…無事に帰れた…」
嬉しくなり、思わず美亜ちゃんの頭をポンポンと撫でようと手を伸ばしたが、手は頭をすり抜けてしまった。
やはり、触れることはできないらしい。
それでも、僕は彼女がまだここにいることにどこか安堵していた。
「ごめん、触れられないんだね」
「うん、幽霊だからね、ふふっ」
その後も、僕たちは色々なピアノ曲を聴きながら、音楽に身を委ねて語り合い、家までの道のりを楽しんだ。
やがて、自宅のマンションに到着した。
霧は完全に晴れて、空は幻想的な藍色に変わっていた。
駐車場に車を止めると、ふとあることに気がついた。
美亜ちゃんはこの車に取り憑いたのか?
それとも僕に取り憑いたのか?
一体どっちなのだろうか?
「……えっと……ここにいるんだよね?」
「は!?」
言い方が悪かったかな?
少し怒っている。
「私は黒野君に取り憑いているのよ?」
「……という事は?……もしかして部屋にくるの?」
「もしかして、私を車に置いていっていうの?」
「…あ…ごめん…どうぞ…我が部屋へ」
「もう!!」
幽霊とはいえ、12歳の少女を部屋に連れ込むことには、非常に大きな抵抗があった。当然だろう。
もしこれが生身の人間で、世間に知られたら、間違いなく犯罪者だ。
そんなことが公になれば、僕の人生は一瞬で終わってしまうだろう。
いや、それ以前に、今日の行動自体がすでにアウトだ。廃墟とはいえ、勝手に鍵を開けて、他人の家に入り、物を持ち帰るという行為は、間違いなく犯罪だ。
もしどこかに監視カメラがあったとしたら……。
あの深い霧が幸いして映っていなかった可能性は高いが、それでも安心はできない。不安がじわじわと胸に広がってく。
鍵を開け部屋に足を踏み入れた瞬間、頭の中でその不安がさらに増大した。
誰にも見られていないとしても、自分がやったことの重大さは理解している。
「美亜ちゃん……僕、大丈夫かな?」
「10年経ってるんでしょ。タイムスリップしたんだから。もう時効よ」
「確かに!もう訳わかんないや。アハハハ…」
彼女の存在が、少しだけ心を落ち着けてくれるような気がした。
フランス人形とオルゴールを部屋に飾ってみる。
僕はアンティークショップであの鍵を買うくらいだから、アンティークの家具が揃っている。
なので、フランス人形もオルゴールもこの部屋によく似合っていた。
「私の宝物この部屋に合うわね」
美亜ちゃんは感慨深そうに部屋を見渡しながら、そっと呟いた。
「全部大切にするよ。捨てたり、売ったりしないからね」
そう誓うと、美亜ちゃんはゆっくり頷いた。
しかし次の瞬間、彼女の大きな瞳から大粒の涙が溢れ出し、ポロポロと流れ落ちた。
僕は思わず動揺した。
こんな形で人に泣かれたことは今までなかったからだ。
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