第3話 ラスボス思想に目覚めた

 邪神ノクヴァルが明かす、洗脳スキルの3つ目のデメリット。それは過去にこのスキルを手にした人物が引き起こした、とある事件が関係しているようだった。


「今から300年ほど前、強欲な1人の男がとある王国を乗っ取った。今お前が選ぼうとしている、その『洗脳』スキルを使ってな。奴は巧みに人心を掌握し、瞬く間に王国の実権を握った。そしてその勢いのまま、大陸全土を支配しようと画策したのだ」


 ノクヴァルの口元に苦々しい笑みが浮かぶ。そして過去を拒むように、小さく首を振った。

 

「だが、その企みが完遂されることはなかった。異変を察知した聖導教と各国の協力によりその男は捕らえられ、火刑に処されたのだ」

 

 それは今からこのスキルを選ぼうとしているわたしにとって、少し不安になる結末だった。世界中を敵に回してしまえば、流石の洗脳スキルでも無力ということか。

 

 

「そして我は……その男にスキルを与えた責任を問われ、この辺鄙な地の祠に封印された。以来、我は邪神と呼ばれている」


 彼女は静かに息を吐き、そして決定的な言葉を突きつけた。

 

「今では、人間の心を操る類のスキルは、持っているという事実が露呈しただけで問答無用で捕らえられ、即刻処刑される。……さて、これだけの話を聞いてもなお、お前はこの破滅の力を望むか?」


「――はい。つまり『洗脳』を所持していることがバレなければ良いのでしょう?」

 

 わたしが淀みなくそう言うと、ノクヴァルは心配そうな表情を浮かべ、視線を彷徨わせる。

 

「なぜだ? 数ある強力なスキルの中で、なぜわざわざこんな回りくどく、下手をすればお前自身が破滅しかねない危うい力を選ぶ? 加えて言えば、このスキルが人の尊厳を踏み躙る邪悪な力であることは、邪神である我も否定できんぞ?」

 

「いいえ、決して邪悪などではありません!」


 わたしの声は、自分でも驚くほど力強く、確信に満ちていた。

 

 脳裏には、故郷を焼いたあの忌まわしい戦火が鮮明に焼きついている。大切な人たちが次々と命を奪われていく、あの地獄のような光景だ。

 

「人々が憎しみ合い、殺し合うのは、それぞれが別の意見を持ち、別の正しさを押し付け合うからです。すれ違う正義こそが、全ての悲劇の元凶だったのです!」


 ノクヴァルが大きく目を見開いた。何かが決定的にすれ違ってしまったことを察するが、わたしはもう止まる気はない。この世界から争いを無くすための、とっておきのアイデアを思いついたのだ。


「邪神ノクヴァルを崇める教団を設立し、世界中の全ての人を洗脳します。そして全員にわたしが作った教義を教え込み、同じ思想を共有するのです!」


「……ほう、我を神輿に担ぐか。我の名が広まるのは結構だが、それで世界はどうなる?」


「争いがなくなります! 全人類が1つの理想の下に団結し、幸福を分かち合うことができれば、戦争など起きるはずがありません! 異なる意見も、異なる正義も存在しない、完全に調和された世界。この洗脳スキルならば、それが可能なのです!」

 

 少なくとも、このスキルで1つの国を乗っ取れることは判明しているのだ。上手く使えば、世界征服すらも可能なはず。


 

 彼女はしばらく沈黙した後、喉の奥から低く笑い声を漏らした。その瞳は、わたしの狂気を値踏みするように細められている。

 

「ふむ……まるで世界を終焉に導く魔王のような思想だな。だが、面白い。お前が本気で望むなら、我の名前を使うことくらいは許してやる」


「ええ、ありがとうございます」


 宗教には正当性が必要だ。神であるノクヴァルから教団設立の許可が貰えたのは、教祖としてはかなりラッキーなことなのではないだろうか。


「うむ。ならばまずはお前を無惨に殺したあの魔術師どもを、その歪んだ理想郷の最初の住人として染め上げてみるがいい」


 ……歪んだ理想郷ではないよ。だが確かに、彼らが危険な犯罪者であることは事実だ。一刻も早く洗脳し、導く必要があるだろう。


「お任せください。彼らが犯罪行為に走ったのも、きっと正しい教えに出会えなかったせいです。このスキルで導くことさえできれば、彼らが道を踏み外すことはなくなるでしょう」


 わたしは胸の前で祈るように手を組み、いかにも聖職者ですよ、という慈愛に満ちた笑みを浮かべてみた。

 数ヶ月の放浪生活で服がボロボロになっているせいで、教祖というよりは物乞いにしか見えない。


 

「ああ、存分に励むといい。それと、あの魔術師どもに伝えておけ。我は生贄など要らんとな」

 

 ノクヴァルはわたしの慈愛に満ちた表情など気にも留めずにそう言うと、本を指でなぞった。すると、本が眩いほどの光を放ち始める。


「ではさらばだ。それから……このスキルは餞別だ。簡単に死なれてはつまらんからな」


 本から2つの黒い光が浮かび上がり、わたしの体に吸い込まれた。瞬間、全身が内側から焼き尽くされるような感覚に侵され、わたしは再び意識を失った。


                   △▼△▼△▼△


 心地よい日差しが肌を包み込む。

 ゆっくりと瞼を開くと、目に飛び込んできたのは鬱蒼と茂る木々の緑と、その隙間から差し込む柔らかな木漏れ日だった。


「……ここは?」


 体を起こすと、自分が祭壇の真ん中に横たわっていたことに気づく。後ろを振り向くと苔むした小さな祠があった。あの真っ白な空間でスキルを授かってから、ここに飛ばされたらしい。


「スキル、本当に貰えたのでしょうか」


 全身を駆け巡った熱と痛みは嘘のように消え去っていた。あの時わたしの体に入ってきた黒い光の玉は2つ。あれがスキルなのだとすれば、1つは『洗脳』だろう。もう1つは何だろう? ノクヴァルは餞別だと言ってたから、悪いものではないはずだけど……。


 手のひらを眺めたり、念じたりしてみたが、特に変化は現れない。わたしは仕方なく立ち上がり、周りを見渡した。祠の近くには獣道のような細い道が続いている。

 

 スキルのことも気になるが、まずは街に行くのが先決だな。ノクヴァル教は現在信者0名。このまま森に居たら、のたれ死んでしまう。


 わたしは祠に手を合わせ、生き返らせてくれてありがとうございますとお礼を言うと、細い獣道を歩き始めた。

 


 ――30分ほど歩いただろうか。突如、森の静寂を切り裂くような爆発音が響いた。地面が僅かに震え、鳥が一斉に飛び立っていく。

 

 爆発音は一度だけではなかった。ドォン、という音と共に、獣の咆哮のような声も聞こえてくる。どうやら、誰かがモンスターと戦っているようだ。


 冒険者かな? 頼んだら街まで案内してくれないかな……。

 まあ、優しい人だったらの話だけど。

 盗賊に捕まって奴隷商人に売られたばかりだから、あまり油断はできない。

 


 足音を殺しながら音のした方向に向かうと、木々の向こうに煙が立ち上っているのが見えた。わたしは慎重に近づき、様子を窺う。

 

 そこに立っていたのは、真っ黒なローブを纏った2人の男だった。思わず息を飲む。

 

 見覚えのあるローブだ。

 おそらくは叡智の尖塔ルミナスコードと名乗った魔術師集団のメンバーだろう。わたしを殺した相手だ。

 

 そして、彼らの眼前では、巨大な岩ほどもあるイノシシが唸り声をあげていた。


 

「ブモオオオオォォォッ!!」


 突如、その巨体が大地を揺るがすほどの咆哮をあげた。耳が痛くなるほどの轟音と共に、男たちを目掛けて一直線に突進する。


「『飛行フライ』」

 

 緑髪の魔術師が冷静な声で呪文を紡ぐ。刹那、2人の体がふわりと浮き上がり、イノシシの突進を紙一重でかわした。


 イノシシは動きを止め、悔しげに鼻を鳴らして彼らを見上げる。だが、あの高度まで逃げられてはもはや手出しすることはできないだろう。


 もう1人の魔術師が空中でバランスを取り、杖を振りかざした。杖の先端に凝縮された魔力が灼熱の槍へと姿を変える。熱風が吹き抜け、男の赤い髪が激しく揺れた。


「『炎の槍フレイムランス』ッ!!」


 放たれた灼熱の槍がイノシシの分厚い毛皮を貫き、その巨躯の内部で爆ぜた。


「ブギャアアアアアアア!!!」


 耳をつんざくような絶叫と共に、爆風に煽られた巨体が宙を舞う。

 

 ――そして、息を潜めていたわたしの頭上を目掛けて落下してきた。


「ひぃっ!?」


 咄嗟に地面に身を投げ出し、両腕で頭を庇う。

 次の瞬間、ズドンッッッ!!と激しい衝撃が背後から押し寄せ、大量の砂煙と焦げ臭い匂いが辺りに充満した。


 恐る恐る後ろを振り向くと、墨のように焦げてピクピクと痙攣するイノシシが横たわっていた。その体からは、もうもうと黒煙が立ち上っている。


「危ないところでした……」


 あと数歩ずれていたら、確実に潰されていた。

 胸を撫で下ろしながら立ち上がると、2人の魔術師は完全に油断した様子で、何事もなかったかのように雑談を始めていた。


「はぁ、またイノシシ肉か。もう何日目だ?」


「文句を言うな、デスケ。『邪神降臨の儀』が成功するまでの辛抱だ。シャノン様も研究が完了するまでこの街に留まるつもりだしな」


 デスケと呼ばれた赤い髪の男は地面にドカッと腰を下ろし、深いため息をついた。


「そうは言っても、いつ成功するんだ? 何人生贄を捧げても何の反応もねえじゃねえか」


「それも含めての研究だ。捧げる生贄の質にも問題があるのかもしれん。先ほどの女だってそうだ。小汚い服で、魔力など微塵も感じられなかった。あんな粗末な供物で邪神様がお喜びになるはずがない」


「言われてみりゃそうか。おかげで俺たちの時間も無駄になったし、使えねえ女だ」


 ……なんかわたしのことを話してるっぽいな。

 勝手に生贄に捧げて文句を言うとは、自分勝手な人たちだ。大体、ノクヴァルは生贄はいらないと言っていた。わたしのせいにしないでほしい。


「まあ、どのみち価値のない命だ。我々の偉大な研究に参加できただけでも、あの女には過分な名誉だろう。どうせ誰からも必要とされず、路地裏で飢えて死ぬだけの存在だったのだからな。その意味では、シャノン様も慈悲深いお方だ。生きる価値のないゴミに意味のある死を与えてやったのだから」


「ハハハッ! ま、それすらまともにこなせねぇとは、どこまで行っても出来損ないのゴミだったってことだ。生きている価値のねえ奴は、死んでも価値がねえ。……次はもっとマシな奴隷を買おうぜ」


 デスケが嘲笑を浮かべながら言い放つ。

 

 胸がギリギリと痛む。また奴隷を殺し、生贄に捧げるつもりなのだろう。何とかして止めたいが、しかし、わたしに何かできるだろうか。


 脳裏をよぎるのは、まだ試したことのない『洗脳』スキル。だが、もしあの魔術師2人に不用意に近づき、スキルが発動しなかったら?


 その瞬間、きっとこのイノシシのように炎の槍で串刺しにされ、跡形もなく焼き尽くされてしまうだろう。

 冷や汗が頬を伝った。


 わたしが逡巡している間にも、事態は刻一刻と進行していく。デスケが腰の解体用ナイフを抜いてゆっくりと立ち上がった。


 デスケがこちらを振り向く。心臓がドクンと跳ね上がった。飛んできたイノシシが木々を薙ぎ倒したせいで、隠れる場所がない。


 わたしは咄嗟に、傍らに倒れている巨大なイノシシの陰へと身を滑り込ませた。その巨体は爆炎で黒く焼け焦げ、には炭化した硬い毛がボロボロと付着する。独特の獣臭と焦げ臭さが鼻をついた。


 ――その時だった。

 わたしの焦燥に応えるかのように、黒焦げだったはずのイノシシの巨体が、黄金の光を放ち始めた。


「グ、グルルルル……」


 腹の底まで響くような低い唸り声。

 死んだように動かなかったイノシシが、ゆっくりと、しかし力強く四肢に力を込めて立ち上がる。その瞳には、先ほどまでの苦悶とは違う、燃えるような意志の光が宿っていた。


「ブルウウウウウウッ!!」


 咆哮と共に、復活したイノシシが荒々しい鼻息を吐く。そして、まるでわたしを背後に庇うかのように、巨大な壁となって立ちはだかった。


 圧倒的な迫力に魔術師たちが一瞬たじろぐ。わたしは息を殺して、この隙を逃すまいと機会を窺った。





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【あとがき】

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