第2話 スキルを選んだ

「ええと……あなたは?」

 

「我は邪神ノクヴァル。そしてここは、我が封印されている祠の中だ」


 凛とした、それでいて幼さを感じさせる声だ。年は10歳を少し過ぎたあたりだろうか。驚くほど美しい少女だった。

 

 陶器のような白い肌に、艶やかな黒髪。夜を閉じ込めたような漆黒の瞳には、明らかに人間とは異質な、吸い込まれそうなほどの引力があった。


 

 少女――邪神ノクヴァルが手をかざすと、目の前の白い空間に突如として鮮明な映像が浮かび上がる。

 そこに映し出されたのは古めかしい祠と、白い大理石で作られた巨大な祭壇だ。

 

 祭壇の上には赤黒い血で描かれたのであろう複雑な魔法陣が幾重にも重なっており、その中心では心臓を抉られ、目を瞑ったわたしが横たわっている。


「お前はあの魔術師たちに生贄として殺され、魂だけとなってこの空間に送り込まれたのだ。我にとっては迷惑な話だがな」


 ノクヴァルの口の端が不自然に引きつった。抑えきれない苛立ちが僅かに滲んでいる。


「……わたしにとっても迷惑な話ですよ。誰だって死ぬのは嫌です」


 しかしあの映像が現実だというのなら、わたしは本当に死んでしまったのだろう。


 悲しいはずなのに、不思議と涙は出なかった。ただ胸の奥にぽっかりと穴が空いて、そこから大切な何かがこぼれ落ちてしまったかのような、取り返しのつかない喪失感があった。


 

 呆然と立ち尽くすわたしに、ノクヴァルが禍々しい装丁の黒い本を押し付けてくる。


「さあ、この本の中から好きなスキルを1つ選べ。その力をお前に授け、現世へと戻してやろう。どれも復讐にはうってつけの強力な能力ばかりだぞ」


「……復讐なんてどうでもいいです。わたし、この世から不幸をなくしたいんです」


「……え?」

 

 呆気に取られるノクヴァルを尻目に、わたしは黒い本をペラペラとめくる。そこには数えきれないほどのスキルが羅列されていた。


『暗黒騎士』

『略奪者』

『使役術:怨霊』

『魔剣創造』

『腐敗の魔眼』

『闇魔法適性・極大』

 

 確かにどれも強そうだが、どことなく物騒な響きだ。邪神が作ったスキルだからかな?

 

 というか、彼女は何故こんなに強そうなスキルを見ず知らずのわたしにくれるのだろうか。


 何か裏があるんじゃないか? 例えば、力を与える代わりに恐ろしい代償を要求するつもりとか……。


「馬鹿馬鹿しい。そんな周りくどいことをするか」


「え……?」


 思わず息を呑んだ。わたし今、声に出してなかったよね? 心が読まれているのか⁇


「当然だ。人間の思考など、我には筒抜けだからな」


 最悪だ……。さっきから心の中で『この神様、ちっちゃくて可愛いな。頭撫でたら怒るかな』とか思ってたのも全部バレてたのか。


「ついでに、我のことを呼び捨てにしているのも分かっておる。お前、見かけによらず図太い神経をしておるな」


 彼女はくつくつと喉を鳴らし、愉快そうに笑った。


「まあ、そんな事はよい。それよりも我が不満なのは、お前の怒りの薄さだ。理不尽に殺されたというのに平坦な反応をしおって。お前はまだ15歳だろう? 怒りに震え、涙を流してもいいはずだ。復讐すら望まぬとは、まるで抜け殻ではないか」


 彼女はむすっとしながら「見ているこっちが腹が立つ」と付け加えた。

 

 つまりこの邪神は、わたしのことを憐れんでくれたのだろうか。しばらくまともに人と接してなかったから、なんだかそれだけで泣きそうになってしまう。

 


 ノクヴァルはわたしの肩ごしに本を覗き込み、ページの一部分を指さすと得意げに言い放った。

 

「我のおすすめは『暗黒騎士』だ。アンデッドを召喚して使役できる上に、強力無比な剣技系スキルも多数習得可能になる。職業系の上位スキルは希少なんだぞ?」


 

 ……うーん。でも、人の命を奪うようなスキルは嫌なんだよね。争いや戦争には、もう疲れたのだ。もっと皆がハッピーになれるような、互いに手と手を取り合えるような、そんなスキルはないだろうか。


 わたしはしばらくの間その本を見つめ、ページを1枚、また1枚とめくっていった。


 ふと、ページの端に目が留まる。それは他のスキルと比べるとあまりにも簡潔で、何の説明も書かれてないスキルだった。


『洗脳』


 そのたった2文字の単語に強く惹きつけられる。

 瞬間、脳裏に閃光が走った。そうか、これだ。

 もしかしたら、このスキルなら……。



「『洗脳』をください」

 

 わたしはその2文字を指さした。


「……本気か? もっと他に強力なスキルがいくらでもあるぞ?」


 一瞬の沈黙。ノクヴァルの声には、確かな困惑の色が滲んでいた。

 

「これが良いんです」

 

「……そうか。だが、決めるのはこのスキルの詳細を聞いてからでも遅くはあるまい」

 

 わたしは静かに頷いた。

 

「『洗脳』の効果は、大きく分けて2つだ。まず1つ目。お前の目を見たり、声を聞いたりした相手は、お前に好意を抱く」


 彼女はそこで言葉を区切り、わたしの反応を窺うようにじっと見つめた。

 わたしは少しだけ姿勢を正し、次の言葉を待つ。


 

「そして2つ目。お前に触れた相手は、お前のことを偉大な教祖だと認識し崇拝する」


「えっ、教祖ですか?」

 

 想定外の単語に、思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。でも、そうか。崇拝か……。

 

 顎に手を当てて思案するわたしを眺めながら、ノクヴァルは話を続けた。

 

「このスキルは常に発動し続け、一度かかった洗脳が解けることはない。また、触れることで即座に洗脳が完了するが、直接触れずとも相手の目を見て、声を聞かせるだけでこのスキルの効果は徐々に蓄積する。つまり、お前といる時間が長ければ長いほど相手はお前に心酔していき、やがて信者になるというわけだ」


 それはわたしが想像していた以上に強大な力に思えた。頭の中にあった曖昧な想像が、確かなイメージとなって膨らんでいく。


「確かに強力な力だ。使い方によっては、国1つを手中に収めることも夢ではないだろう。だがデメリットも存在する。それも、極めて厄介なものが3つほどな」


 ゴクリと、無意識に喉が鳴った。

 

「まず1つ目。このスキルは相手の性格や倫理観を書き変えることができない」


「それで何か困るのですか?」

 

 いまいちピンとこなかった。


「例えば洗脳した相手が、愛する人を躊躇いなく殺すような異常者だったとする。その場合お前がどれだけ好かれていたとしても、なすすべもなく殺される可能性があるということだ。愛しているからこそ、永遠に自分のものにするために殺す。そんな常人には理解し難い行動を平然と取る人間は存在するからな」


 なるほど。その人の元々の価値観が歪んでいる場合、その歪んだ愛情表現がわたしに向けられることもあるのか。

 

 相手に好意や信仰心を植え付けるだけで、思考そのものを自由自在に操れるわけではないということだ。


 

「2つ目。この世界には『勇者』や『聖女』といった特別なスキルを持った人間が存在する。お前が今、我から力を得ようとしているのと同じようにな。そういった特別なスキルを持つ相手に対しては、『洗脳』は一切効果がない。こればかりは、神としての格の問題だ。我よりも力の強い神が直接力を与えた存在には、我の力は干渉することができない」

 

 洗脳が効かない相手も少数ながら存在する、ということだな。まあそれは仕方ないことなのかもしれない。

 

「そして3つ目。これが最大の問題だ」

 

 ノクヴァルの声のトーンが一段と低くなる。黒曜石のような瞳が僅かに揺れた。

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