第十話 7月:七夕三者三様

第十話 7月:七夕三者三様 -1-

 年一度。

 天の川をまたぐ再会の日に、願い事を飾らなくなってどのくらいになるだろう。

 指を折ってみれば、それは小さな子供の頃からずっとだったと気付く。

 おまじないなど馬鹿らしいといった、半端に大人を気取っての真似ではなくて、ごく自然に、あの色とりどりの紙を避けるようになっていた。

 無邪気なもの、真剣なもの。その年その日、7月7日に、叶えばいいなと思う願いを、人は短冊に乗せる。

 わたしの願いは、何年経ってもひとつきりだ。

 願いがひとつとなり、それが叶わないと理解したのは、同じ年の、同じ日、同じ時刻。

 わたしが先を見るのを止め、望む事から逃げた、あの瞬間。






「いますねー」

「いるな」

「いますねー……」

「ああ、いるな」


 言葉の往復はそれで終わり、想子は、帽子をちょっとずらして風を入れた。

 この暑さだと、なかなか内部が蒸れる。高温多湿に強い九縄には、割かし快適らしいが。

 すっと涼しくなった髪に目を細め、それから情けない顔で想子は頭上に問い掛けた。


「……で、どうしましょうか」

「主の御随意に。斬るなり突くなり飛ばすなり」

「何ですか、最後の飛ばすって」

「首を」

「なるほど」


 想子は天を仰いだ。


「犬も歩けば棒に当たる……想子も歩けば妖怪に当たる……」

「そして当たるを幸い薙ぎ倒す、かね。儂としては、このまま振り返って来た道を帰るのを推奨する」

「害が無いという保障があるのなら、そうしたい気持ちです、私も」


 ひとを血に飢えた野獣みたいに言わないで欲しいものだ。

 自分を襲ってくる妖怪は、殺す。目に入る範囲で他人を襲った妖怪も、だいたい殺す。想子なりに身に付いたルールがあるだけで、妖怪と見るや片端から無差別に攻撃させている訳では、間違っても、ない。

 己がテリトリーに危害を加えてきた相手に抵抗する。それは何処の世界でも不変な、対等な権利の行使である。草の中に、風の中に、水の中に生きる者達がいる。広がる街中に、ひっそりと生きる者達がいる。稀に、人の社会に紛れて生きる者すらいる。彼らまでどうこうしようとは、想子は思わない。


 が、今回の相手がそのルールに触れるか否か、想子には如何とも判断し難かった。

 公園の、広場隅の芝生に立つ、赤茶けた塗装の街灯。

 その根元に、ぼよんと居座った一羽の巨大雀。

 羽ばたくでも餌を啄ばむでもなしに、公園広場で遊ぶ親子連れなどを、ぽけっと観察している。

 体育座りで。

 凄まじい光景であった。


「何ですか、あれ。ねえ、九縄」

「雀であろう」

「雀は体育座り出来ませんよ。それに小学生並の体格もしていないかと」

「お前達の昔話に、それらしき先例がある。末裔かもな。まあ、奴らも体育座りはしていなかった気がするが」

「ううう……微妙にある白目で、虚ろな表情が作られてるのが怖い……何か嘴も半開きですし……」

「それは気温のせいではないのか?」


 暑い、確かに。

 全身羽毛布団で、直射日光の下に放り出されるのは辛そうだ。もっとも巨大雀の外見から勝手に想像しての事であり、当の彼だか彼女だかにとっては、別段暑さなど堪えていない可能性もあった。


 想子がまた帽子をずらした。向こうは、まだ想子達に見られている事に気付いていない。ある意味で真っ直ぐと言える、黒々とした視線を、広場にて憩いの時を過ごす人々に注ぎ続けている。

 そうまでして見続けねばならない物とは、その目的とは、何か。まさか大小の葛篭を選ばせるでもあるまいに。

 目的が無いならそれでいい。単なる暇潰しなら、それでいい。稲を荒らす農家の敵とはいえ、一般に雀は善良な鳥だ。

 しかし、万一がある。この公園は子供も多い。知らなかったのなら仕方ないが、こうして知ってしまった以上は、気になりつつも放っておいて後で結局事故が起きた、というのでは、寝覚めが悪くなる。

 想子はかぶりを振った。半分は熱を追い払う目的で、半分は景気付けで。


「放っておきたくはないですよね」

「儂は放っておきたいね。どうしても、と言うにしてもだな、近寄るのは勧められぬ」

「うーん、かといって人目がありますから、あまり大袈裟な声やジェスチャーはまずい、ですか……」


 少考し、想子は身を屈めて、足元の小石を一個拾う。

 対象まで10数メートル少々の位置まで歩くと、殊更「不自然でない動き」を意識して、想子は下からそれを放った。

 コントロールも力加減もあったものではない小石は、それでも運良く、巨大雀の幾らか脇に落下してくれた。

 びくんと雀の全身が震え、丸い頭部がきょろきょろ落ち着きなく辺りを見回す。

 その目線が自分の方を向いて止まった時、想子は精一杯の愛想笑いを浮かべ、軽く手を振ってみせた。

 もれなく半開きの嘴が全開きとなり、ピイィという高い一声と共に、全身の羽毛という羽毛がぶわっと膨れ上がった。極めて鳥染みた反応である。一瞬で体積が2倍と化したかのようだ。「ふくらすずめ」なる状態があった事を、それを見た想子は思い出す。とにかく、丸い。


 雀は体育座りからバッと素早く立ち上がり、両翼をまるで腕のように前へ突き出して、短い脚を交互に繰り出すという雀には本来不可能な走り方で、ピィピィ鳴きながら想子に駆け寄ろうとする。

 そのまま二者、感動の抱擁へ――とは、ならなかった。

 双方の距離が10メートルを切った所で迸った九縄の殺気と、空中を鋭く一閃した銀光によって。


 ビィィ。雀が再び甲高く鳴いた。その場で垂直にすっ飛びあがると、想子に尻を向けて転がるような勢いで逃げ出す。

 と思ったら、本当に転んだ。顔面から。

 動かない。


「…………」


 想子が一歩足を進める。

 うつ伏せから、ようやく両翼を地面について起き上がろうとしていた巨大雀が、その気配にはっと振り向いた。

 相変わらず全開きの嘴と表情のない目玉が、接近しつつある想子を見て固まっている。

 数秒経過。

 逃げ切れない。

 そう確信したのか、やがて雀は翼で頭を抱いて庇うと、背を低くしてブルブル震え始めた。

 なんだろう。何か、取り返しがつかないほど罪深く残酷な真似をしてしまったように感じられてならない。

 九縄……と呟く。勝手にしろ、そんな返事が返ってきた。こちらも、どうでもよくなったらしい。最強の武器が引っ込む。



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