第9話 父親

「簡単に言うと、ミサキの魂と俺の魂が混ざったことでミサキは魔族になる資格を得た。そして、魔力で創られた体という、人間ではない体に入ったため、魔族になることができた、というわけだ」

 夕飯を食べ、片づけを手伝った後、俺と母親は向かい合ってミサキの話をしていた。

「なるほどね~、魔族…………魔力…………人間ではない……………」

 それを聞いていた母親は机の上に座ったミサキを眺めながら理解できたのかよくわからない表情をしていた。

「うん。よく分からないわね」

 そして、やはり理解できていなかったのか、誇らしげな顔をして誇るべきではないことを口にした。

「俺がどこから来たのかは伝えたとおりだが、その世界の力の源になっているのが魔力だと考えてくれ」

「…………うんうん」

「それで、別の世界から来た俺の魂と混ざり、別の世界の力である魔力の体を手に入れたミサキは、別の世界の種族である魔族になったというわけだ」

「……………………………うん」

「理解できたか?」

「……………………………………………………うん」

「まあいい。知らなくても困ることはないと思うから、とりあえずミサキは猫ではないということだけ知っておいてくれ」

「分かったわ!」

 そう言うと、母親はミサキを猫のように撫でた。

「……………………」

 本当に分かってくれたのだろうか。

 俺はダイニングとつながっているリビングの角に設置された、夕飯の前に組み立てたキャットタワーを見ながらそう思った。

「ミサキはあれらを使う予定はあるのか?」

『え?あー、暇だったら使いますかね?』

「そうか」

 暇だったら使うのか。

 なんか本当に猫みたいだな。

「ミサキちゃんは何て?」

 撫でられてゴロゴロとのどを鳴らすミサキを何とも言えない感情になりながら眺めていると、嬉しそうにミサキを撫でる母親がそう聞いてきた。

「暇だったら使うそうだ」

「そーなの?別に使う必要はないのに」

「『……………え?』」

 俺とミサキは目を合わせた。

「じゃあ、なぜこんなに買ってきたんだ?」

 使う必要がないのなら、買う必要は無かったろうに。

 俺はリビングの隅に置かれた折りたたまれたたくさんの箱を見てそう思ったが、俺は母親の真意に気が付いた。

 ミサキが“ミサキとして”暮らすことを隠す必要はないが、それはこの三人だけの家だったなら、という話だ。

 俺の記憶にはあるものの、いまだに一度も会ったことのないこの家の住人がいる。

 それは、この家の主である父親だ。

 これらの猫用品があることによって、猫として堂々とこの家で暮らすことができるため______

「_______ミサキが隠れて暮らさずに済む、ということか」

「そーゆーことよ。ほんとは使ってくれると嬉しかったんだけどね。猫じゃないなら仕方ないか」

『お母さん………………』

 母親はそう言うと、ミサキを優しそうに撫でた。

 ミサキは母親の手からするりと抜け出すと、先ほどの言葉に応えるようにキャットタワーに向かい、一番高い台座まで登った。

「ミャー」

「使ってくれるのね!ミサキちゃん!」

 そんなミサキを見て嬉しそうにキャットタワーへ向かう母親を見ながら、先ほどの考えを振り返ると一つおかしな点があることに気づく。

 そもそも、父親にミサキのことを隠す必要があるのか、ということである。

「父親にも猫がミサキであることを話せば猫用品を買う必要はなかったんじゃないか?」

 その言葉を聞いて、母親の動きは止まった。

 どうやら図星だったようだが、少し様子が変だった。

「そうなんだけどねー…………………」

 ミサキも母親の様子がおかしいことに気づいたのか、キャットタワーの頂点から母親の目の前まで降り、心配そうに見つめる。

 それを見た母親がそっとミサキに両手を差し出すと、ミサキはそれに優しく飛び乗った。

「言っちゃだめって言われてるけど、ミサキちゃんもまおー君も無関係じゃないし、やっぱり言っちゃった方がいいかな?」

 母親はミサキを優しく抱きしめると、再び俺の目の前に座った。

「『…………………』」

 母親に机の上に置かれたミサキは今から真面目な話をすることを悟ったのか、母親から離れて俺のもとに近づき、母親の方を向いた。

「まおー君はミサキちゃんの記憶を引き継いでいるんだっけ?」

「ああ。多少精彩に欠けるところはあるがな」

「なら分かりやすいかな………………二人は、お父さんが何の仕事をしているか知ってるよね?」

「『…………………』」

 俺とミサキはその言葉に顔を見合わせた。

 勿論ミサキは知っているため、俺が知っているかどうか確かめるためにも俺が答えるのを待つようだ。

「確か………………………警察関係だったか?」

 ミサキの記憶では、仕事の都合でほとんど家に帰らない、そしてミサキと生活リズムが合わないため、小さな頃から一緒に暮らしているもののあまり接点がないというのが父親に対する印象である。

 そして、その理由が警察関係の職に就いているから、というのが記憶の中にあった。

「そうそう。お父さんは警察官で、結構偉い人なんだけど………………」

 偉い人?父親が何歳だったか正確には分からないがそれなりに若いはずだったような……………。

「これは話しちゃダメなんだけどね。お父さん、例の怪物にまつわる事件を担当しているのよ」

『!!』

「……………………………そういうことか」

 ミサキの父親が怪物関係の対応をしているなら、俺の存在とミサキの存在は隠しておいた方がいいだろう。

 ミサキが“猫”になったことを説明してもいいだろうが、それだとミサキの体を乗っ取った俺のことをも説明しなければならない。そうなれば、俺が怪物と同じようにこの世界にやってきたということを話さざるを得なくなってしまうだろう。

「だから、ミサキの存在を隠す必要があるということか」

「そう。このことがバレると、ミサキちゃんはともかくまおー君が一番困っちゃうから」

 俺はこちらを優しそうに見つめる母親の目を見返した。

 まさか、ミサキの体に入っているというだけでこんなにも俺のことを考えてくれていたとは思わなかった。

「……………………感謝する」

「感謝する必要はないわ。言ったじゃない、新しく息子ができたみたいだって。

 あなたはもう、私たち家族の一員なんだから」

「……………………そうか」

 それを言われた瞬間、俺は母親の目を見れなくなってしまった。

『もしかして________照れてるんですかあ~?』

 そんな俺の様子を見たミサキが尻尾を揺らして妖しく笑いながら煽ってきた。

「照れる?…………………そうか、これが照れるという感情か」

『………………………さいですか』

 だが、煽りが効く効かない以前の問題に直面している様子の俺を見て、ミサキはジト目で俺をにらみ、興味を失ったようにそっぽを向いてしまった。

 どうやら渾身の照れ隠しは上手くいったらしい。

「ふふっ♪」

「っ!」

 そう思って母親を見るが、照れ隠しをしていることがお見通しとばかりに生暖かい目で俺を見つめていた。

「ミサキちゃんのことを隠すのは、二人のためだけじゃなくてお父さんのためでもあるんだけどね。ほら、お父さんからすると自分のせいでミサキちゃんが怪物の被害にあった、って自分を責めちゃうわけでしょ?」

「確かに」

『別に私は気にしていませんけどねー』

「まあ、こればかりは当人の問題だからな。今すぐ俺とミサキのことを言った方が父親のためになると思うが、父親がこの件についてどう考えているかが分からない以上、父親の心の整理がついた頃に言うのが一番か?」

「そうね。お父さんの様子を見てから考えた方がいいと思うわ。

 責任の重い仕事についてるから、自分を責めてるかもしれない時期に二人のことを話すと、正義感を優先させちゃうかもしれないしね」

「うむ。自分の娘よりもそれ以外の民衆に危機が及ぶかもしれないことを考慮する、か。

 確かに、それくらいの強い思いを持っていなければできない仕事だな」

 それに、“ミサキ”が入院していた際、父親は一度も俺のもとに訪ねてこなかった。

 娘を心配する気持ちはあれど、市民を守るという責任感から仕事を優先するという選択をしたのだろう。

 俺がもし娘だったら父親に対する好感度は下がっただろうが、その責任感の強さは尊敬してしまうほどだ。

『うーん、お父さんは私たちのことを言っても仕事を優先しないと思いますけどね。あまり合わなくなっちゃいましたけど、お父さんって私に甘々ですし』

 だからこそ自分を責めてしまっているのではないか、と言いたかったが、娘として一番近くにいる彼女の言い分は俺の考えよりも信頼できる。

 まあ、いつこのことを話すかは様子見として、父親にこのことを話すのは確定だろう。

「問題は、父親がいつ帰ってくるかだな………………」

 父親が家に帰ってくる時間に法則性はないと言っても過言ではない。日中ミサキが学校に通っているときに家に帰ってくることが多いという記憶があるが、それがいつになるのかが分からないのが問題だった。

「うん?もうすぐ帰ってくるんじゃないかな?」

 父親が帰ってきたときに俺が家にいた方がいいだろうから、最悪学校を休んででも_________

「___________え?なんて?」

「お父さん、もうすぐ帰ってくるわよ?今日帰ってくるって連絡が来たから急いで猫グッズを買いに行ったのよ」

「『え???』」

 俺とミサキは目を合わせた。

 どうやらミサキもこのことを知らなかったらしく、俺同様戸惑っていた。

「いや、そういうことは早めに言ってもらわないと_______」


「ただいま」


 焦ったころにはもう遅かったらしく、静かに、だが不思議と響く男性の声が聞こえた。

 どうやら父親が帰ってきてしまったらしい。

「あっ!おかえりなさ~い!!

 それじゃ、そーゆーことだから、うまくごまかしてね!」

 俺たち二人にこっそりとささやいた母親は、嬉しそうに玄関へと向かっていってしまった。

「『……………………』」

 俺は再びミサキの方へと視線を向けると、ミサキはどこか諦めたような呆然とした表情を浮かべているのが見えた。

 恐らく、ミサキの目にも同じような表情をした俺の顔が見えていることだろう。

「何とかするぞ」

『………………ですね』

 だが、諦めたことによってある種の覚悟をすることができた俺たちは、すぐに立ち直り父親を待ち構えることができたのだった。

「_______かわいい猫を拾ってきたのよ~」

「猫?____拾ってきた?____予防接種とかは大丈夫なのか?」

 扉の向こうから二人が近づいてくる気配とともに、会話の内容が鮮明になっていく。

 予防接種の言葉にミサキはビクッとしていたが、俺は思っていたより平和な夫婦のやり取りにほっとしていた。

「それで色々買っちゃったんだけど_______」

「それは別にいい。それよりも、ミサキは大丈夫なのか?」

「ええ。今は退院して怪我もすべて治ったわよ」

「それは担当医から聞いている。だが、後遺症が______」

 そしてついてリビングの扉が開かれ、髪をオールバックにしたスーツ姿の父親が入ってきた。

 警察の偉い立場にいると思えないほど若い顔立ちをしているが、いかにもインテリだと思わせるような風貌と不機嫌のように見える仏頂面が威圧感を醸し出していた。

 どうもミサキとは顔が似ていない気がするが、なんとなく雰囲気が似ているため、記憶に頼るまでもなく父親だということが分かる。

「おかえり」

 母親と話しながらリビングに入ってきた父親に、そう話しかけた。

「…………………あ、ああ。ただいま」

 その言葉を受けた父親は何か信じられないものを見るような目で俺を見た後、はっとしたように言葉を返した。

 恐らく彼が俺を見て驚いた顔をしていたのは、俺の髪の色だろう。

 彼からすれば仕方ないとはいえ、もし俺が本物のミサキだった場合ショックを受けるような反応だった。

「……………………すまない。話に聞いていたが、こんなにも変わっているとは」

「わぷっ______」

 父親は俺のもとまで歩いてくると、先ほどの反応とは裏腹に俺を抱きしめてきた。

 仕事柄鍛えているのか、想像以上に力強い抱擁に俺は何も抵抗できなくなってしまう。

「本当に、良かった…………………」

「………………………………………………………」

 消え入るように震えた声を聴いた俺は、気が済むまで抱きしめさせてやろうと思い、体の力を抜いてされるがままになる。

 だが、そんな俺を微笑ましそうに眺める母親が父親の肩越しに見え、恥ずかしくなってしまった。

「……………………くるしい」

「っ!すまない。だが……………いや、そうだな」

 そう言って抱きしめるのをやめて俺の肩に手を置く父親は、先ほどまでの仏頂面が嘘のように優しく笑っていた。

 そんな父親の顔を直視することができずに目をそらすと、机の上でうれしいのかうらやましいのかよく分からない表情をしているミサキと目が合った。

「!そうだ、担当医から記憶があいまいだと聞いたが、俺が誰だかわかるか?」

「……………………多分、分かる」

「そうか…………………」

 そっぽを向いたミサキを眺めながら言葉を返すと、父親からほっとしたような雰囲気を感じた。

 短い言葉しか喋らないことで俺がミサキではないことがばれないようにしている俺にとって、父親のその反応は心が痛い。だからといって本当のことを言うわけにもいかず、そのちぐはぐさが俺の思考を鈍らせた。

「ほらね?大丈夫だったでしょ?」

「そうだな。ひとまず安心したよ。だが、本人が言わなくても何か問題を感じたらすぐに病院に______」

 父親が俺の肩から手を外して母親の方へ振り返る直前、母親は俺に向かってウインクをした。

 どうやら、困っていた俺を見かねた母親が助け舟を出してくれたようだ。

「________それでね、この子なんだけど」

「この子が、うちの新しい家族か……………………」

『!?』

 母親はしばらく俺に関する会話をした後、俺から“ミサキ”へと話題をそらすために、机の上で丸まっていたミサキを抱き上げ、父親に差し出した。

「『……………………』」

 だが、父親はどう扱っていいのか分からず、母親に両脇をつかまれ手足と尻尾をだらんと伸ばしたミサキと見つめ合っていた。

 それでも黒猫をぐいぐいと押し付けてくる母親に降参したのか、そっと受け取ると手足を伸ばして脱力しきったミサキをしげしげと観察し始めた。

「何というか、不思議な毛の色をしているな。この子の品種は?」

「え?いや、拾ってきたから分からないわよ?」

「そうか……………………それより、思ったよりも小さいし軽いな。ちゃんとご飯は食べているのか?」

「勿論。朝昼晩しっかり食べさせてるわ」

「それは…………………食べさせすぎじゃないのか?」

 気になることを母親に聞き終えた父親は、机の上にミサキを戻そうとゆっくり机へと体の向きを変えた。

 だが______

「その子も抱きしめてやってくれないか?」

「「『え?』」」

 俺の言葉に、父親だけでなく母親とミサキまでもが動きを止めた。

「………………………?分かった」

 父親は俺の言葉の意味が理解できなかったのか俺とミサキを交互に見て戸惑っていたが、じっと父親を見つめる俺を見て先ほどの言葉に従うことを決めたようだ。

「『……………………………』」

 父親は先ほど俺を抱きしめた時とは違い、そっと優しくミサキを抱きしめ、ミサキはそれが物足りないとでもいうように、体を父親に押し付けて目をつぶった。

「…………………これでいいのか?」

「…………………さあ、どうだろうな?」

 そう問われた俺はその答えを求めるようにミサキへと視線を送る。

『…………………ありがとうございます』

「いや、これでよかったみたいだ」

「……………………そうか。懐いてくれるか不安だったが、そんな心配もなさそうだな」

「でも猫って気まぐれだからね~。あまり家にいないと誰だか忘れちゃうかもよ?」

「ははっ、それは困るなぁ」

 父親は笑いながら、腕の中で体を丸めたミサキを撫でた。

 勿論ミサキはそれに抵抗することなく、尻尾を左右にゆらゆら揺らす。

 この時間が永遠に続けばいい。

 ミサキが、そして彼女の記憶を引き継いだ俺もそう思ったが、父親のポケットから着信音が聞こえた瞬間、その願いが叶わないことを悟った。

「すまない、着信だ」

『あ………………………』

 そう言って父親はミサキを机の上に置き、ポケットから携帯を取り出しながら廊下へ出て行ってしまった。

「どうした?_____やはり______」

 どうやら緊急の連絡だったようで、廊下に出てすぐに電話に出た。

 机の上にいるミサキを見ると、扉の向こうへと遠ざかっていく声を聴きながら名残惜しそうに眺めていた。

 恐らく父親にかかってくる緊急の電話は魔物関係であることから、影の中から気づかれないように盗み聞きしたかった。だが、この様子ではミサキに頼めそうもない。

 なら、俺が盗み聞きをするしかないか。

「影をつないで電話の内容を盗み聞きするぞ。向こうの声も聞こえるが、こっちの声も聞こえてしまうから静かにしてくれ」

「『え?』」

 俺はミサキの影に手を入れて廊下の影へとつなぐと、口元に人差し指を当て、静かにするように二人に指示をした。

「_______そうか。だが、この時間だと招集するのも難しいだろう。とりあえず招集できる奴だけを_______」

 俺は影に耳を近づけながら父親の言葉を聞き、言葉の意味を考える。

 これは以前から考えていたことだが、ミサキが例の魔物に襲われた記憶、そして前世からの魔物の知識を当てはめると、この国だけでなくこの世界の兵器では対処が困難な魔物が多いはずだった。

 それでも被害を少なく抑えられているのは、小型の魔物が多いということと、それに対処することのできるな力を持っている人間がいるのではないか、という予想を立てていた。

「_______いや、ランク一とはいえ彼女たちでは対処は難しいだろう。_____」

 そしてそれに該当している人間を俺は一人だけ知っている。

「______黒井翼を呼び出せ。

 それまでは自衛隊と協力し、現場の封鎖を続けろ______」

 どうやら、予想は当たっていたらしい。彼の口ぶりからすると魔物に対処することができる人間は複数いるようだが、別の世界の住人だったツバサは別格のようだ。

「______出現するまで時間があるとはいえ、油断はするなよ。最近は出現地点が大幅にずれることも増えたこともあっただろう。それに、そもそも出現の予兆すら出ないことがあったからな______」

 この世界の住人はすでに魔物の出現を察知できる技術を持っているようだ。そのため、あらかじめその地点から非難指示を出したり人の出入りを封鎖したりこともできるらしい。だが、ミサキが魔物に襲われたのはそういったことが無く急に出現していたため、制度はそれほど正確ではないのか?

「______黒井翼との連絡はついたのか。それなら、私もすぐに向かおう。

 ________いや、問題ない。短い時間だったが、家族とも話ができたからな。

 _______ああ、分かった。では、現場で落ち合おう」

 俺は父親が通話をやめると同時に、影の接続を切った。

「と、いうことらしいな」

『……………………それなら仕方ないですね』

「これ聞いちゃってよかったのかしら………………?」

 俺は仕方ないと言いつつも納得していない様子だったミサキをどう慰めようかと思ったが、それよりもあたふたして焦っている母親に気を取られてしまう。

 その間に急いで廊下を歩く足音が聞こえ、ドアが開いた。

「すまない、急用ができてしまった」

「仕事でしょ?あやまることないじゃない。気を付けてね」

「ああ、ありがとう。……………ミサキも、色々頑張ってな。何か困ったことがあったら言うんだぞ」

「うん…………………いってらっしゃい」

『!?』

 俺はドアから体の半分だけ出している父親にそう言うと、机の上にいたミサキを抱き、小さな手をつかんで無理やり手を振らせた。

「そうだったな、君も頑張って__________そういえば、その子の名前はもう決めたのか?」

「え?それは勿論ミサ________って、そんなことより急いでるんじゃないの?」

「あ、ああ。そうだったな。じゃあ行ってきます」

「いってらっしゃーい」

 母親は“ミサキ”の名前を聞かれるとは思っていなかったらしくうっかり黒猫の名前をミサキだと言いそうになっていたが、うまくはぐらかすことができたようだ。

「はぁ…………………危なかったわ」

「いや、上手くいった方だろう」

『……………ですね』

 父親が玄関から出ていくのを見送った俺たちは顔を見合わせ、俺とミサキのことをうまくごまかすことができたことにほっとしつつも、内心では父親が早く出て行ってしまったことを残念に思う者もいた。

「思った以上に魔物対策は頑張っているんだな」

「そうね~。でもその代わり、お父さんが5年前くらいから忙しくてあまり会えなくなっちゃったけど」

『……………………』

 母親はそう言うと、俺に抱かれていたミサキを受け取り、抱きしめて優しく撫でた。

 人間というのは昔の思い出は薄れていくようで、5年前の“記憶”はあってもそれ以前の“思い出”はうっすらとしか分からない。

 俺には父親の印象はあまりなかったが、恐らくその思い出が刻まれているミサキにとって、今の父親との関係性に思うところがあるのだろう。

 不完全に混ざりあったとはいえ、父親との思い出を知らずとも父親への思いを理解することができてしまう俺にとってそれは他人事ではなかった。

 この問題を解消するために俺にできることは、一つしかない。

 魔物を倒すのに協力し、父親の仕事を楽にすることである。

「そろそろ本格的に動くか」

「『え?』」

 勇者であるツバサに協力する形になってしまうのは癪だが、俺の魔力を回復させて強くなるためにも魔物と戦うことは重要である。

 いや、待てよ?やつも魔物と戦って強くなっているだろうから、俺がその分の魔物を倒すことで奴の成長を止めることができるのでは?

「くっくっくっ…………………」

 なんという好都合、もはやこの案を採用しない理由はない。

 そうと決まれば、明日に備えて早めに寝る支度をするとしよう。

「はーっはっはっはー!!」

 風呂に入るために洗面所へと向かう俺は、高笑いをしながら廊下を歩いて行った。

「どうしたの?まおー君………………?」

『急に笑い出して怖いんですけど………………』

 その声に足を止め後ろを振り返ると、冷たい目をしたミサキと心配そうな目をした母親がこちらを見ていた。

「……………………」

 冷たい目で見られるのは問題なかったが、心配そうな母親の視線は俺の心に深く突き刺さった。

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