第3話 ラティーナの野望

「ご主人、マッサージするですよ」

「ご主人の命はウルが守るです!」

「ご主人のためにお肉を焼くです」

「ご主人の背中を流すです!」



「お風呂まで付いてこないで!」



 はぁ……昨日ウルを助けてからというもの、ずっとこんな調子。


 ウルは灰狼族の魔族で、「名前を与えてくれた人と結婚する」決まりがあるそうだ。


 だから、ウルは私と結婚する気でいるみたいだけど……。


「いや、私たち女同士だし……」


 でもね〜、ウルって可愛いのよね〜。拒む理由が無いというか、見事に1日で籠絡されかけているというか。


 あの無垢な目で「ご主人!」と上目遣いで言われると……あぁ!




 これまで私を慕う者は、私個人でなく「聖女」という立場を信奉していた。


 だから、こんな風に私個人に無償の愛を向けてくれるのは初めてのことで。


 なんだか心臓がくすぐったいというか、むにょっとした気持ちというか……


「あーー! もう!」


 私は叫んでお風呂のお湯をぶちまけた。


「ウジウジ悩むなんて私らしく無い! とりあえずウルと今後について決める!」


「ウルがどうかしたですか?」


 ウルという名前を口に出した瞬間、何の躊躇いもなくウルが浴室のドアをぶち開けてきた。


 もちろん私は一糸纏わぬすっぽんぽん。


「ちょお!? お風呂に入ってこないでって言ったでしょー!」


 お風呂の桶をウルに投げ、直撃した涙目のウルに平謝りした。




「さて、今後について議論するわよ」


 ウルはソファに座ればいいものを、律儀に床にちょこんと正座している。


「はい……ヒリヒリするのです」


 ウルは風呂桶が直撃した眉間をさすった。


 謝ったけど、あれはウルが悪い。


 私は聖女なのよ? 他のどんな生き物よりも裸の価値が高いの。現に誰にも見られたことなかったのに……。


「ご主人どうされたのです?」


「……何でもないわ」


 本題に入るわよ、と宣言して、私はホワイトボードの前に立ちペンを持った。こんなのも備え付けた私。マジで天才だ。




「私たちの今後について話し合うわ。ウルは灰狼族に戻らなくていいの?」


 私が問うと、ウルは表情を変えず滔々と返事をした。


「灰狼族は人間の手によって滅びました。生き残ったのはたぶん、私だけなのです」


「そう……」


 勇者か、あるいは別のパーティか。


 これが大陸の現状であり現実だ。


 当事者であった私だからこそ断言できる。この血を血で洗う戦争は、もう引き返すことができない領域まで来たと。


「私は人間よ。恨み無しで、結婚するというの?」


「はい」


 迷いのない、即答だった。


「灰狼族にとって"名前"とは命の証。ご主人はウルの命を救ってくださった上に、命を与えてくれました。ならばこの命を捧げるのが、最後の灰狼族としての使命なのです」


「……そっか」


「ですが無礼を承知で一つお伺いしたいのです」


「もちろんいいわよ。何でも聞いて?」


「ご主人は、どのような大望を抱いているのですか? この剣・牙・爪を捧げる大望を聞かせて欲しいのです」


 た、大望……?


 私に大望なんてものあるわけがない。


 目標は3つ立てた。

 ①王都近郊に家を建てる

 ②誰にも邪魔されずにゆっくり過ごす

 ③勇者と人類にプチ復讐をする


 そのうち1つは達成され、復讐は冗談半分だ。ちょっとだけ痛い目に合わせたいだけで、復讐に躍起になることはない。


 誰にも邪魔されず……というのはウルによって破綻した。ウルのことを邪魔と思っているわけじゃないけど。


 でも、ウルと出会ったからこそ生まれた新しい目標はある。



「……私は、この誓いの丘に"私の楽園"を作る!」



「楽園……なのです?」


「好きに自由に生きられる楽園よ! 毎日楽しくて、やりがいのあることを見つけて、寝る時に今日も楽しかったなって振り返る。そんな楽園!」


 ウルは目を輝かせた。どうやら私の大望は彼女の牙らを捧げるに値するらしい。


「もちろんウルにも協力してもらうわ。楽園に1人じゃ寂しいもの」


「当然お供させていただくのです! 私はご主人の妻でありますから!」


「それは……また追々考えましょう」


 THE・問題の先送り。


 ちょっと結婚だの妻だのの問題は一旦忘れたい。できれば5年くらい。



 それにしても楽園かー。我ながらいい野望を立てたものね。


 そこには聖女も魔族も関係ない。ただ私が望む世界がある。


 どれだけ時間がかかっても成し遂げるわ。これまで聖女として奉仕してきた分、人生を取り返すのよ!


「さぁ、ご飯にしましょ。といってもウルは料理は……」


「お肉を焼けるのです!」


「そうよね……」


 自慢じゃないが私は家事が苦手だ。


 そしてウルは肉を焼く以外の料理を知らない。


 今朝、昼と2食連続で焼肉続き。美味しいけど、絶対に太る。


「しょうがない、失敗するかもだけど私が料理を……」


 そう思って立ち上がった瞬間だった。



 ぐわん!



 まるで天と地が入れ替わったような、大きな地揺れ。


 ウルは毛を逆立て、「何なのです!?」と騒いでいた。




『出ていって……』




「なに? 今の声……」


「ウルも聞こえたです! まるで頭に直接囁かれたような……」




『出ていって……』




 また! これは異常だわ、とにかく外に出て状況を把握しないと!


 玄関から飛び出すと、夜の闇はなく、むしろ白夜のような点的な明るさが誓いの丘を包んでいた。


「何よこれ……」


「ご主人、上なのです!」


「上……?」


 見上げると、白くて大きなものが私たちを見下ろしていた。




『出ていって……』



 それは白銀の両翼で曇天を薙ぎ払い、

 紅蓮の炎を大口から吐き出し、

 鏡面のように美しい鱗が体を覆う。



「白い……ドラゴン……?」



 伝説上の存在。


 世界最強の一個体と名高い、ドラゴンが天に座していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る