ルナと旅するリベルナ日記
傘木咲華
プロローグ
プロローグ
例えば、食パンを咥えて通学路を走っていたら曲がり角で女の子とぶつかるだとか。
例えば、マンションの隣の部屋に引っ越してきた女子が転校生だったとか。
例えば、ヒロインが空から降ってくるだとか。
ベタな出会いのシーンなんて、創作の世界には山ほどあるものだ。
だけどそんなの自分には――
コミュ障の帰宅部で、友達もネット上にしかおらず、高校三年生になった今でも進路すら決まっていない。完全インドア派な望にとって、出会いなんてものは縁遠い言葉のはずだったのに。
四月下旬の休日。望は珍しく行動に移していた。
せめて外に出てみようと秋葉原までやってきたのだ。
目的は中古ショップ巡り。望にはずっと欲しいと思っていたゲームのサウンドトラックがあり、「運良く見つけられたら良いな」くらいの気持ちでいた。
それくらい、マイナーなゲームのサントラだったのだ。
「…………ぁ……」
ほんの微かな声が零れる。
五件目の中古ショップでようやく見つけたのだ。ほとんど反射的に手を伸ばすと、ちょんっと何かが触れる。
「…………」
ぱちぱちぱち、と一気に瞬きが多くなる。
隣を見ることはできなかった。
頭の中が「どうしよう」で埋め尽くされる。
だってこれはどう考えてもあれだ。図書館で同じ本を取ろうとして偶然手が触れ合ってしまうあれだ。ついさっきまで一切関係ないと思っていたベタな出会いのシーンそのものだ。
(いや、でも……ほら。これはゲームのサントラな訳だし。だいたい、僕の欲しいサントラはマイナーなやつだし……)
きっと隣の人は、すぐ近くに置かれている有名RPGのサントラが欲しいのだろう。
そうだ。そうに決まっている。
(やばい。凄く気まずい)
出会いのシーンとかふざけたことを言っている場合ではなかった。
恥ずかしい。恥ずかしくてたまらない。
とにかく、今自分がすべきことは「すみません」と言いながら目当てのサントラを手に取って、さっさとその場から立ち去ることだ。それくらいできるだろう? と自分自身に言い聞かせてから、望は意を決して再び手を伸ばす。
「あ、の……すみませ…………」
サントラを手に取り、勢いのまま頭を下げる。その時、望は初めて隣の人の横顔を見た。
春らしい小花柄のワンピースに身を包んだ彼女は、明るいオレンジブラウンのロングヘアが特徴的な女の子だった。
三日月のバレッタでハーフアップにしていて、瞳は
(いや、まぁ……。だいたいもって僕の背が低すぎるだけなんだけど)
自虐するように心の中で笑う。
望の身長は百五十五センチだ。黒髪のマッシュウルフヘアで、縁なしの丸眼鏡をかけていて、右目に泣きぼくろが二つあるのがトレードマーク。
身長に目を瞑ればわりとミステリアスな雰囲気があるのかも知れない。だけどパーカー+ハーフパンツという服装も相まって、中学生に間違えられることが多いのが現実だった。
だけどきっと――いや、絶対に。
彼女は望のことを中学生と間違えることはないのだろう。
「あれぇ……? もしかしてだけど、宿見くんだったりするのかな?」
両手を合わせながら、彼女は望の顔を覗き込んでくる。
「あ、うん……。やっぱり、その……
「そうだよ~。同じクラスの胡桃沢
コテン、と愛らしく小首を傾げながら、彼女――クラスメイトの胡桃沢美以子は笑みを浮かべる。
美以子のことは望もよく知っていた。ほわほわとしたマイペースな性格で、ぼっちな望に対しても明るくあいさつをしてくれるような優しい人だ。
まぁ、逆を言えばあいさつくらいしか接点がないのだが。
「…………そっか、胡桃沢さんか……。そう、か……なるほど。何話したら良いのかわからないし、どうしよう。どうしたら良いんだろうな……」
俯き、望は考える。
こんなところでクラスメイトの女子と遭遇するなんて確かに驚きの展開だし、恋愛的なフラグが立ったのかも……なんて妄想もしようと思えばできるのかも知れない。
しかし美以子はきっと、自分とは真逆のタイプの人間だ。
今、望が持っているサントラのゲーム――『リベルナ』って知ってる? なんて言っても、マイナーすぎてわかるはずがないだろう。場の空気が凍るには目に見えてわかる話だ。
すると、
「あー、宿見くん。心の声がだだ漏れだよ?」
案の定、戸惑いの声がこちらへ向いてしまう。
焦ると独り言が漏れてしまうのは望の昔からの悪い癖だ。
「う、あ……ご、ごめん。つい…………ちょっと、動揺が」
望は慌てて口を塞ぎ、あっちこっちに視線を動かす。
明らかに挙動不審だ。きっと美以子も内心では呆れていることだろう。
「ふっふっふ、わかるよ宿見くん。動揺だってそりゃあするよ。私だってビックリだったんだから」
しかし、予想に反して美以子は得意げにうんうんと頷く。
優しい。あまりにも優しすぎる。
あまり接点のないクラスメイトに対するものとは思えないほど美以子の表情は明るい。望も少しくらいは頑張って向き合わなくてはと、そっと背筋を伸ばす。
「……た、確かに。胡桃沢さんがゲーム好きなのはちょっと意外……だったかも」
「あ、それはよく言われるよ。でも、まさか宿見くんも『リベルナ』が好きだなんて思わなかったから。凄い接点だよねぇ」
「…………えっ」
――今、美以子は何と言った?
理解が追い付かず、望はとりあえず驚いたような声を上げてみることしかできなかった。だけど本当は頭の中が真っ白だ。
美以子が何か衝撃的なワードを口にしたような気がしたが、きっと空耳だろう。美以子が望の持つ『リベルナ』のサントラを指差しているようにも見えるが、多分これも気のせいだ。
「うぅん、困ったねぇ。宿見くん、固まっちゃったや」
「……あ、いけない。胡桃沢さんを困らせてる……よね、きっと。絶対。でも僕の勘違いっていう可能性もあるし……」
「ないよー。私も『リベルナ』が好きなんだよー。……あ、もしかして独り言モードの時に話しかけちゃ駄目だったかな?」
言いながら、美以子はぐっと顔を近付かせてくる。
彼女の辞書に距離感という文字は存在しないのだろうか。
「や、駄目じゃない……けど」
「うむ、よろしい。それで宿見くんも好きなの?」
もう一度『リベルナ』のサントラを指差しながら、美以子はまっすぐな瞳を向けてくる。観念して頷くと、美以子の顔がぱああっと華やいだ。
「私も好きなんだよ、『リベルナ』!」
「で、でも……『リベルナ』は十五年前のゲームで……」
「全然世代じゃないって? 私、十歳上のお姉ちゃんがいるんだよ。結構お姉ちゃんからレトロゲーを借りることが多くて、一番好きなのが『リベルナ』なんだよねぇ。宿見くんも同じような感じだったりする?」
また美以子に視線を向けられ、望はすぐさま頷く。
「父さん……父親がゲーマーだから、それで」
「やっぱり家族きっかけだ。だよねぇだよねぇ」
美以子は嬉しそうに身体を揺らす。
ルンルン気分がこちらにまで伝わってきて、望の心も少しは落ち着いてきた。
手と手が触れ合った瞬間の気まずさはどこへやら、心の真ん中に微かな炎が灯るのを感じる。
「宿見くんとはこれから仲良くなれそうな気がするよ。よろしくね?」
「あ……うん、こちらこそ」
相変わらず、彼女の透き通った瞳を見つめ返すのは大変だ。
だけど確かにこれは大きなきっかけになると思った。『リベルナ』好きの同志なんて、同世代ではまずいない。クラスメイトとなったら美以子以外いないのではないだろうか? そんな彼女とここで出会えたことは、運命といっても過言ではない出来事だ。
だけど、その時の望はまだ知らなかった。
美以子との出会いによって、本当に自分の運命が大きく動き出すということに。
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