映画館にたどり着き、本日上映されている映画が何かを確認する。

 あ、これ。七海が好きなやつだ。

 ツキンと、胸の奥が少し痛んだ。漆黒のドレスに身を包んだ美女が、顎に手を添え、妖艶な笑みを浮かべてこちらを見つめている。

 “ティファニーで朝食を”。1961年にオードリー・ヘップバーン主演で映画化された、名作中の名作だ。前にも一度、七海とこの映画を観に来たことがあった。彼女の猛烈な勧めで観に来たのだ。ラストシーンで号泣している七海のように涙することはなかったが、普通にいい映画だなと思った記憶はある。この映画を一人で見ることにどこか罪悪感を感じたが、ほかにこれといって観たいものもない。

 上映室に入って、席に座る。やがて本編がはじまり、例のこれまた有名なテーマソング、“ムーンリバー”が流れ出して、薄青い早朝の街に、黒いドレスをまとったオードリーがタクシーから降りて登場し、一人静かに歩き出した。

 この始まり方は秀逸だなと、最初に観たときと同じことを思う。一番記憶に残る、美しいシーンだ。

 そういえば、前にこの映画を七海と見た後に、ランチをしながら話したことを思い出す。


「私、もしプロポーズされるなら、あの最初のシーンの場所でされたいなぁ」


 七海が目をキラキラさせながら、そんなことを言っていた。その時はわざわざニューヨークまで行ってプロポーズするだなんて面倒だな、なんて思ってしまったが、気持ちはわからないでもない。そう夢見る女子は少なくないだろう。

 オードリーが演じるのは、ニューヨークのアパートに一匹の猫と暮らす自由奔放な女性、ホリー・ゴライトリー。ある日、彼女のアパートに、ポールという自称作家の男が越してくる。

 映画の冒頭部分で、ポールがホリーの部屋に電話を借りに来るシーンがある。そこで二人は知り合うわけだが、ポールはホリーの家具がほとんどない殺風景な部屋を見て驚く。そして、ホリーが飼っている茶トラの猫に、まだ名前がないことにも。


「どこか心から落ち着ける場所に越したら、私はきちんと家具を買うし、猫にも名前をつけるわ」


 ホリーはどこか夢見るような目をして言う。


「ティファニーのような所ね。私はティファニーに夢中なの!」


 以前このシーンを観たときとは違う感情が、ふと俺の心に沸き起こった。それは、ホリーに対する激しい共感だった。

 俺も彼女と同じだ。いつか理想の場所に、理想の自分で落ち着けたら、七海と結婚できると、心のどこかで思っているんだ。

 しかし、そんな時が来るのはいったいいつなのか? ホリーが“ティファニーのようなところ”とふんわりしたイメージしか持っていないのと同じように、俺にはその、“理想の自分の状態”がどんなものかがわからない。

 でも、大多数の人はそうなのではないだろうか。生まれた時から揺るがず自分の進む道がわかってて、尚且つ素直にその道を歩いていける人は、ごくわずかだろう。

 それに、今の世の中は広く開かれていて、嫌でも色々な情報が流れ込んでくる。選択肢は多岐に渡り、ロールモデルも多種多様だ。知らず知らずのうちに、そういった雑多な情報や雑音に惑わされて、流されてしまいそうになる。

 自由であるが故に、不自由を感じる矛盾した世界。


 でも、だからこそ、俺はちゃんと“決断”したい。


 映画を見ているうちに、ふとそんな強い感情が芽生えた。そして健気にホリーに尽くし、振り向いてもらおうとするポールを応援し、ホリーが地に足をつける瞬間を見たいという願いを胸に抱いていた。

 変わりたい。そう思う自分を、ホリーに投影していたのかもしれない。

 ラストシーンで、ホリーとポールは喧嘩をしてしまう。またもやどうにもならない自分から逃れようと、ホリーが南米に行くと言い出したからだ。

 ポールは必死でホリーに自分の想いを伝え、そばにいてほしい、共に生きたいと懇願する。しかし、その想いをはねのけるように頑なな態度をとる彼女に、とうとうポールは背を向け、二人の思い出の品である、おもちゃの指輪をホリーに渡して去っていく。

 ホリーは涙を流し、去っていったポールの大切さを噛みしめるように、その指輪を見つめる。やがて、自分の中にある葛藤と戦うかのように、逡巡しながら指輪を左手の薬指に近づけ、激しく震える指に恐々と指輪を通すのだ。そして、目が覚めたような顔でタクシーを飛び出していく。

 前回は涙なんか流さなかったのに、今日は頬を伝う涙を止められなかった。幾筋も、自分の頬に熱い涙が零れ落ちていく。喉がぎゅっと苦しくなって、いたたまれなくなる。

 気付いたのだ。愛している、共に生きていきたいと伝えることが、どれだけ勇気のいることなのか。

 蘇るのは、七海が例の喧嘩の発端になった発言をしたときの、彼女の声。思い返してみれば、普段よりも不自然に強張り、かすかに震えていた。

 彼女にとっては、決死の発言だったのかもしれない。一年同棲しているというのに、日々の仕事に追われて結婚のけの字も考えていなさそうな俺に、不安を感じていたのだろう。三十歳までに結婚したいというのも、自分の主張を押し付けてきたわけではなく、きっかけとして言った言葉だったのかもしれない。その彼女の決死の発言を、俺は心にもない言葉で流そうとした。


 変わりたい。


 今度こそ、胸を焦がすような強い想いが湧きあがった。

 勇気を出して、俺との未来を描いてくれた彼女に応えたい。

 そして、指輪に指を通すことができたホリーのように、自らの決断で自分自身を導きたい。大事なのは、何よりも決断することなのだ。橋を渡り、対岸に何があるかを自分の目で見極め、そしていくつもの橋を渡っていきながら、人はなりたい自分になっていくのだろう。

 歩みを止めてしまっていた自分は、どこにも行きつくことなんて、できるわけがなかったんだ。

 七海に、自分の想いを伝えよう。

 武者震いのような震えを身のうちに感じながら、俺がそう思った時だった。

 突然、8mmフィルムのような途切れ途切れの映像が、頭の中に流れ始めた。

 さっき電車でうたた寝していた時に見た夢と同じだ。俺がダイヤの指輪を差し出して、七海の前に跪いている。

 七海の後ろにある建物の店名には、“Tiffany”とある。道路は広く、ビルは見上げるような高さで、ここは明らかに日本ではない。

 ニューヨークだ。五番街にあるティファニー本店のショーウィンドウ前で、俺は七海にプロポーズをしている。

 七海が顔を真っ赤にして、目に涙を浮かべてこちらを見下ろしている。バラのつぼみが花開くように、七海の赤い唇がほころび、こぼれんばかりの笑みが浮かぶ。


「よろしくお願いします」


 周りにいつの間にかギャラリーができていて、拍手や指笛の音が鳴り響き、俺たちは沢山の通行人や店員の方々に祝福された。幸せの頂点のような光景だ。しかし、映像はそこで突然途切れ、気が付くと、俺は相変わらず映画館の席に座り、ぼうっとエンドロールを見ていた。

 いつの間にかうたた寝をしていたのだろうか。なんだか、あまりにリアルな映像だったので、俺はやや呆然としてしまった。

 もしかしたら今のは、正夢なのかもしれない。

 夢の中で感じた多幸感を引きずったまま、俺ははやる気持ちを抑えきれずに、まだエンドロールを流し続けている暗い上映室をそそくさと退出した。

 帰ったらすぐに、七海に言うのだ。休みを取って、ニューヨークに行こうと。

 もちろん、夢で見たダイヤの指輪を、胸ポケットに忍ばせて。



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