初恋の人との再会からラブコメは始まるか?

星川過世

第1話

 「ちーちゃんって覚えてる?」


 自分の肩が跳ねたのがわかった。

 しかし幸いにも母さんはこちらを見ていなかったようなので、平然を装って答える。


 「覚えてるよ。なんで?」

 「ちーちゃんも同じ高校ですって」

 持っていたスマホを取り落としそうになった。

 「なんでそんなこと知ってるの」

 「今でもちーちゃんのお母さんと連絡取り合ってるのよ」

 全然知らなかった。教えてくれれば良かったのに。いや、知っていたところで何ができたんだ。

 ともかく俺は、やたらスピードの早い心臓の音を聞きながら、立ち上がった。

 「ちょっと、部屋行ってくる」

 俺の突然の発言に母さんは驚いた様子もなく、「あと三十分くらいしたらご飯にするから」と言った。


 平然を装ってリビングを出て、廊下を歩き、階段を上り......勢いよくドアを開けてベッドにダイブする。

 心臓はまだ早鐘を打っていた。


 ちーちゃん、塩浜千尋。

 俺が幼いころ近所に住んでいた女の子。

 俺の、初恋の相手。


 もう十年近く会っていない。

 しかし誰といても、誰を好きになっても、俺の中に彼女はずっといた。初恋って、そういうものだろう。


 俺の中で淡くも美しい思い出の存在と化していた彼女に、また会える。

 それは嬉しくもあり、また緊張の伴うことでもあった。


 今、どんな風になっているんだろう。

 思い出として美化された相手に会うことのリスクは理解しているつもりだ。

 それでも、今の彼女を見れると思うとわくわくする気持ちの方が大きい。

 それに初恋の人に再開するなんて、まるで漫画やドラマのような高校生活の始まり方だ。

 むしろ、我ながらロマンチストな俺がこれにわくわくするなという方が無理な話だ。


 色々な意味でドキドキする俺を現実に引き戻すようにドアをノックする音が響き、飛び上がった。

 「か、母さん? どうしたの?」

 まだ夕飯には早いはずだ。挙動不審になっているのを誤魔化すように意味もなく姿勢を正してしまう。


 「言い忘れてた。それで、ちーちゃんが入学式の日学校まで一緒に行かないかって」

 「え、ええ!?」


 そんなラブコメみたいな展開が現実で起こるなんて!

 現実へ引き戻すどころか、ラブコメの世界へ引っ張っていかれる!


 「なに? 嫌なの?」

 「まさか!」

 「ならいいわ。ちーちゃんのお母さんに伝えておくから。待ち合わせは駅でいいわよね?」

 「う、うん!」


 それだけ言うと、母さんは階下へ戻って行った。しばらく茫然と扉の方を見つめてしまう。

 怒涛の展開に頭が付いて行かない。入学式の日まで眠れぬ夜が続きそうだ。


 机の上に放り出された入学資料を手に取る。

 高校生活への期待感がぐんぐん上がっていくのを感じた。

 

 ......駄目だ。あまり期待しすぎてはいけない。

 初恋の思い出など美化されがちだし、そもそも十年も経てば人は変わる。俺だって十年前とは全然違う。

 彼女も俺の記憶通りではないだろうし、俺も彼女の期待に添えるかわからない。


 いや、彼女の方が期待してくれているかわからないけど。でもわざわざ入学式の前に会いたいと言ってくれるのだから、今のところ仲良くしてくれる気はあるのだろう。


 ともかく、期待しすぎちゃ駄目だ。俺はそう自分に言い聞かせて再び資料を机の上に戻した。


 そう、期待しすぎないように気を付けたのだ。

 だから、あらゆるパターンを想定しておいた。


 久しぶりに会ったら会話が続かなくてものすごく気まずくなるとか、ちーちゃんが俺の記憶と違いすぎて戸惑ってしまうとか、ちーちゃんが俺を見てがっかりするとか。

 

 しかしさすがに、このパターンは予想していなかった。


 「お前、男だったのかよ!!!」


 朝の人で混雑する駅において、俺は思わず叫んだ。

 幸いなことに、慌ただしく移動する人々は大声を出す男子高校生など気にも留めない。

 同じ制服の人が数人振り返っただけだ。いや、そっちの方が後を引くか。


 しかしこのセリフ、「男」の部分を「女」に変えたらラブコメ展開が加速する。俺はラブコメの神からの加護を受けているとしか思えない。


 しかし変えなければ、ラブコメ展開は減速どころか停止だ。

 漢字一文字、仮名でも二文字しか変わらないのに、その後の展開は大きく変わってしまう。


 そして目の前では俺より若干高い目測百七○センチ代後半の身長、骨ばっているが適度に筋肉の付いた肉体を持つ、割と王道系のイケメンが爆笑していた。


 「嘘だろお前。俺のこと今日まで女だと思ってたの?」

 何を隠そう、彼こそがちーちゃんこと塩浜千尋である。俺の初恋の人......である。


 「子どもなんて男でも女でも見た目変わらないじゃん。千尋はどっちでも居る名前だし」

 恥ずかしさでのたうち回りたいのを堪えながら言い訳すると、更に笑われた。

 思わずじとりとした目を向けると笑いを無理やり飲み込んだような顔でフォローを入れられる。

 「いや、まぁ、そうだよな。俺姉ちゃんのおさがりとか着せられてたこともあったし。仕方ない、仕方ない」


 俺は動揺していた。動揺していたのだ。だからそこから更に余計な事を口走った。

 「俺の初恋の人が、男だったとは......」

 言ってすぐにこれはまた笑われるやつだ、自分から燃料を投下してしまったと悔やんだ。


 が、むしろちーちゃんのにやつきがすっと引っ込んだ。

 その表情は......。

 「え、何? 照れてる?」

 「なっ、て、照れてない!」

 調子に乗って顔をのぞき込むと、逸らされる。顔がほんのりと赤らんでいるのがわかった。


 なんで、そんな顔するんだ。

 なんで、俺の初恋相手が自分だと知って、そんな風に照れるんだ。

 なんで、俺の顔まで熱くなってきたんだ。


 「......そろそろ行くか、ちーちゃ......千尋」

 高校生にもなってちーちゃんはないだろうと、呼び方を改めた。すると何がおかしいのかちーちゃん改め千尋はまた笑う。

 それで空気が元に戻った。


 「俺はなんて呼べばいい? 香川祐輔くん」

 「別に、なんでもいい」

 「じゃ、昔みたいに『ゆうくん』でも?」

 俺より数センチ背の高い千尋が目線を合わせるように動いたことで、声が耳のすぐ近くで聞こえる。わけもなく心臓が跳ねた。

 「いいよ、それでも」

 なんだ。何に動揺しているんだ、俺は。

 「いや、高校生にもなってゆうくんはねーよな。祐輔で」


 千尋と並んで学校までの道を歩き出す。

 幼少期女の子と見紛えた容姿は、当然ながら今では間違えようもなく男だ。

 しかも、結構かっこいい部類に入るだろう。


 「なに?」

 「あ、いや、なんでもない」

 まずい。じろじろ見すぎた。

 慌てて目を逸らすと、千尋は特に気にした風もなく話し始めた。


 久しぶりに話すが、話しやすい。それは小さいころから知っているからというより、千尋の性格のおかげな気がした。

 千尋は昔から話しやすい。一緒に居ると心地よい。


 驚いたが、高校入学時点でこういう友人がいるというのもそれはそれで有難いことである。

 俺たちは他愛もない会話をしながら学校へ向かった。


 

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