異世界人情おでん屋台
たおたお
第1話 王様、おでん屋台に出会う
ライオネル三世はこの国の王で、王城がそびえるホールデンの街の顔とも言うべき存在。昼間の街は活気があり、多くの人々や馬車が大通りを行き交う。治安も良く、国の繁栄を象徴する街でもあった。そんな街も夜はとても静かで酒場や宿屋など一部の建物には明かりが灯っているが、他の場所は人気もあまりない。夜中に出歩いても危険ではないが、あえて暗い夜道を徘徊する様な者はいないのだった。
今夜は月夜。街全体が冷たく透き通った様な月明かりに照らされている。そんな中、城の通用門を通って外に出ていく人影が。ローブを着たその人物は、辺りをキョロキョロと見回しながら扉を開けると、身を滑らせる様にさっと外にでて扉を閉める。向かったのは城よりそう遠くない川沿いの道だった。
街の中には川が流れていて、そこに浮かぶ舟が人々や荷物を運ぶ手段として定着していた。流石に夜中に出ている舟はないので水面は穏やかで、月明かりが反射して青白く光っている様に見える。魚が跳ねたのか、時々小さな波紋が水面に広がってはゆっくりと流れて消えていった。そんな川面を見ながら川沿いの道を歩く人影。被っていたフードを脱ぐと、それは国王ライオネル三世、その人であった。
国王と言う立場はとにかく面倒で気を遣うことが多い。国内の都市のこと、周辺国の情勢、そして何より城内の勢力関係。自身がトップではあるものの、政を進めるには有力貴族や役人の協力が不可欠。しかし彼らは一筋縄では行かない曲者ばかりで、威厳を保っていないと直ぐに隙きを突かれて余計なことをしてくる。人前では弱気な所を見せるわけにもいかないので、時々こうやって城を抜け出しては、外の空気を吸ってリフレッシュしているのだ。こんな月明かりの夜は決まって川沿いの道を歩いて、月や川面の様子をぼぉっと眺めていた。
いつもの様に川沿いの道を歩いていると、今夜は少し様子が違うことに気付く。少し離れた場所に見える灯。あれは露店だろうか。しかし、こんな夜中に露店を営業しているなんて聞いたことがない。大体、客も来ないだろうに……そんなことを考えながら引き寄せられる様にそちらに向かって歩いていると、近づくにつれ何やらいい香りが。食べ物だろうか、いや、王が知っているどの食べ物の記憶にもこの香りに当てはまるものはないが、何とも食欲をそそる香りだ。
香りにつられてフラフラと露店に近寄ると、見慣れぬ格好の男性が灯の下に見えた。どうやら彼が店主の様で、露店のテーブルを挟んで反対側がカウンター席になっているらしい。いきなり国王が現れたら驚くだろうかとも思いつつ香りの正体が気になって気になって、立ち寄らずにはいられなくなっていた。
正面から見ると三枚に分かれた赤い布が吊られていて、見慣れない文字が描かれている。『おでん』の三文字はなんと読むのだろうか。そして布をくぐるとベンチの向こう側に露店の調理台があって、その向こうには店主。
「いらっしゃい」
「あ、ああ。ここは露店なのかね?」
「はい。こちらの料理を販売しております。おでん、と言うんですけどね。良かったら食べていってください」
「これは……」
店主が指差した台にはいくつかに分割された四角い鍋の様なものが埋め込まれていて、そこから薄っすら湯気が昇っていた。そしてそれこそが香りの正体であると直ぐに分かる。鍋の中には区切られたスペース毎に違う具材が煮込まれている様だったが、どれも見たことのないもの。だがこの香りから考えて、きっとどれも美味いに違いなく、見ているだけで口の中に唾液が溢れてくる。
そう言えば金を持ってきてなかったと思いつつ、ベンチに座る。
「済まぬが、今金をもっておらんのだが、明日、城に取りに来てもらうことはできるだろうか」
「お代はすでにあるお方から頂いておりますので、結構ですよ。お好きなものをどうぞ」
「そうなのか!? ……とは言え、私にはどれが美味いのか分からん。選んでもらえるか?」
「何か食べられないものはありますか?」
「いや、肉でも野菜でもなんでも食べられるぞ」
「お酒はどうされます? ビールか焼酎、日本酒の冷酒、熱燗もできますが」
「あつかん?」
「ああ、酒を温めてお出しするんです。温まりますよ」
「ほう、温かいさけとな? それを頂こう」
「かしこまりました」
店主が酒を変わった形の陶器に移して湯に浸けている。この国にもホットワインと言うものがあるが、ライオネルはあまりスキではなかった。どちらかと言うと女性が寝る前に飲んでいる、そんなイメージだ。そんなことを考えている彼の前で、店主が細長い日本の棒を起用に使って鍋の中から具材を取り出して更に盛ってくれている。鍋には薄茶色のスープが満たされていて、そこから出てくる具材はどれもスープを良く吸っているであろう色をしていた。丸いのは野菜だろうか? たまごは直ぐに分かる。細長い円柱状のものは……城で夕食を食べたはずなのに、香りも相まって空腹を感じ始めた。
「おまたせしました、どうぞ。箸は……無理そうですね。フォークで召し上がってください」
「おお、済まぬな」
具材の盛られた皿がライオネルの前に出され、少し遅れて酒の入った陶器と、その横に小さな、これも陶器のコップ。こんな小さなコップで飲むのか? と、少し訝しく思ったものの、ここは庶民の屋台の流儀に従うことにした。最初の一杯は店主が屋台越しにコップに注いでくれる。それは思ったよりもずっと透明な液体で、ただのお湯なのでは? と思ったが独特の甘いアルコールの香りがする。
「では、頂こうか」
小さなコップからゆっくりと酒を流し込むと、いつも飲むワインよりもまろやかで角がなく、風味と香りが口の中一杯に広がり、そして食道を温めながら胃に流れていく。温かいせいもあってか喉のあたりがホカホカとして、そして更に空腹を助長するのだった。
「うまい! こんな酒は初めてだ! これは何からできているのかね?」
「日本酒といいまして、米と言う穀物からできています」
「なんと、穀物からこんなに美味い酒ができるとは! それでは料理も頂こうか。この白い野菜は?」
「大根と言いまして、根菜ですね」
ライオネルが食べる根菜と言えば人参かカブぐらい。こんなに大きい断面の根菜は聞いたことがない。良くスープが染みているであろうその野菜は、フォークで切ってみると驚くほど柔らかく、簡単に分割することができた。一度ゴクッと唾を飲み込んでから、大根を口に運ぶ。
「はふっ、はふっ」
熱々の大根はとても柔らかく、歯が必要ないほど。一気に染みていたスープが溢れ出し、上品ながら深みがある味の後に、大根の自然な甘みが舌の上に広がっていく。その美味さは舌が肥えているはずのライオネルにとっても衝撃的で、気が付くともう一切れ、また一切れと大根を口に運んでいた。そして再び熱燗。先程は少し甘く感じたが、大根を食べたあとだと爽やかで辛味すら感じる。なんとも不思議な液体である。
「美味い! これがおでんと言うものなのか!」
「有り難うございます。他の具も冷めない内にどうぞ」
店主によると黒っぽい三角形のものはこんにゃくと言う、芋をすりおろして固めたものらしい。大根と違って非常に弾力があり、独特の臭みがあるがそれもまたスープに良く合っている。店主に薦められた『田楽味噌』と言う甘辛いペーストを塗ってみると、これがまた一段と美味さを際立たせてくれた。細長い円筒形のものは真ん中に穴が通っていて、そのお陰かスープが良く染みている。これは竹輪と言うもので、こちらは魚のすり身を固めたものとのこと。最後にたまご。スープの味をたっぷりと吸ったそれは、もうそれだけで一つの完成された料理の様に感じた。そしてどの食材も熱燗が良く合っていて酒が進む。なるほど、この小さなコップの様な陶器で飲むぐらいが食べる合間にはちょうどいい。
気が付くとおでんをもう一皿と熱燗を一本追加注文してしまっていたライオネル。先程とは違う具材だったがどれも初めて食べるものばかりで、まるで子供の様に夢中で食べてしまっていた。熱燗の最後の一杯を飲み干した頃には体はポカポカと温まっていて、心まで満たされていた。
「馳走になった。いやはや、この歳になって食でここまで感動するとは思わなかった」
「気に入って頂けた様で何よりです」
「……店主よ、ついでと言ってはなんだが、私の愚痴をもうちょっとだけ聞いてはくれぬか?」
「私で良ければ。もう一本、付けましょうか」
気を利かせた店主がもう一本熱燗を準備してくれて、コップに注いでくれる。露店の灯でキラキラ光るその表面をしばし見つめた後、それをゆっくりと飲み干してライオネルは喋り始めたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます