第3話 貴方のパトロンになってあげるわ
地下階層50階くらい。曖昧なのは広すぎて分からないから。
そんな地中深くにいると地上の光も届かないと思われがちだけど、実はそうではない。極一部ではあるけど確かに光が届く所もある。
豪快にぶち抜かれた螺旋状の天井。そこから微かに覗く月とその明かり。
それを浴びながら木の棒を振るのが、僕の日課であり楽しみだった。
「——98、99 ……100」
そこで僕は手を止めた。
……おかしいな。今日はなんだか楽しくない。
いつもは無心で1000は数えられるのに、今日は最初から雑念が交じっている。どうしてだろう、疲れてるのかな。
……それとも『無職』は強くなれないと、そう改めて理解しちゃったからかな。
探索者登録をした者は必ず祭壇で
それは『ウォーリア』や『レンジャー』、『ローグ』と言った風に個々の適性に合った才能の証明であり、揺るぎない道筋そのもの。それが過酷なダンジョンでの探索を可能にする力でもあった。
だと言うのに、僕は祭壇で天職を授かれなかった——。
何にもなかった。もう笑っちゃうくらい何にも起きなかった。だから『無職』。なんかこの響きちょっとかっこいいよね、孤高の人みたいで。
……なんて強がっても仕方ないけどね。
希望を抱かなかったと言えば嘘になる。夢を叶える時が来たのだと、そう胸を躍らせなかったと言えば嘘になる。
レアを、ログを……羨まなかったと言えば嘘になる。
天職を授かる——そんな誰もが叶う当たり前のことすら、僕には手が届かなかったのだから。
「……よし! 続きしよ!」
腐っている暇があるなら剣、というか棒でも振っていた方がいい。
例え天職持ちと無職の僕で天と地ほどの差があったとしても、その最適化された成長速度に未来永劫追いつけないとしても——それでも僕はこうしていたい。
ダンジョンはきっと、楽しい所だから。
「——ぉぉ、なんだ小僧、こんな所でまた棒でも振り回しておボロロロロロ」
「……おじさん飲み過ぎだよ」
唐突にやってきていきなり吐いたおじさんに、僕は呆れて素振りを中断した。
彼は自称元貴族……らしい。最近奴隷として落ちてきた彼は僕と同じでよくここに来る。今日は来ないでほしかったな。
「おじさんまた配給ビール追加で注文したの? 僕と同じくらい稼ぎがないんだから止めなよ。そんなことでお金使ってると一生奴隷だよ」
「金は天下の回りもの、奴隷だろうがなんだろうが使わん者にはバチが当たるわ! それに儂は宵越しの銭は持たん!」
「おじさん絶対貴族じゃないでしょ」
貴族というものをよく知らないけど。
でも少なくとも奴隷の中でも最下層のここで吐くまで飲む人は貴族と呼べない。というかわざわざ吐きに来ないでほしい、迷惑だから。
「いいか小僧、飲む時に飲み騒ぐ時に騒ぐ! それができなければ人間生きとる価値ないわ! それに端金程度ちまちま集めずとも、一回で山のように財宝を当てればそれで解決じゃろう!」
「はいはいそうだね頑張って」
「儂を舐め取るな小僧。儂はな、一部では赤い猛将と謳われるほどの戦巧者でおボロロロロロ」
「駄目だこりゃ」
お腹出てるし。テッペンハゲだし。
でもこれでも僕より強いんだよね、天職持ちだから。確か『バリアント』だっけ。守りに特化した天職だったはず。
いいなぁ、とおじさんの背中をさすりながら残り少ない髪で遊んでいると、彼の懐から手の平サイズの透明な板が飛び出しているのが見えた。
「そうだおじさん、介抱してあげたんだからマナ板見せてよ。いいでしょ?」
「儂はぁ、いつかかならずまりーをむかえにぃ……」
「やったありがとう!」
気が変わらない内に彼の懐からマナ板を取り出した。大丈夫、ちゃんと返すよ。これまでも何度か借りたけど誘惑に負けず返したし。
マナ板——魔晶情報端末。
ダンジョン都市『エリュシオン』にあって絶対必要不可欠な携行品は何かと聞けば、それはこれに当たるだろう。
どういう原理なのかは全く訳が分からないけど、これ一つで『エリュシオン』で起こっている大体全てのことが把握できるらしい。けれど僕はそんなことどうでも良くて、マナ板を使いたい理由はたった一つだ。
——探索者のダンジョン映像。
ダンジョンに潜る全ての探索者、その攻略記録。
それがこの小さな板に、全て詰まっている。
「うわ、うわ! 『地砕き』さんに『斬姫』さんの記録も新しくなってる! どうしよう、何から見よう! 『リーパー狩り』さんの対人戦闘も参考になるし、『神楽鈴』さんの舞うような戦いも捨てがたいっ! ああ、時間が無限に欲しい!」
これがダンジョン都市——『エリュシオン』。
世界で最も熱い場所たる所以。その一端。
探索者の記録映像の横に付けられた数字。これはその映像がどれだけ見られ、そして人気を博しているのか一目で分かるようになっている。今挙げた彼らの映像は軒並み上位陣——一桁ないし二桁だ。
マナ板を介して垣間見た彼らのダンジョン攻略記録は最高の娯楽であり、その戦いは庶民から富裕層までをも熱狂させる。
気に入った探索者を直接支援する者までいるらしく、時にはファンと呼ばれる狂信者を生み出すこともあるとか。
僕には——その気持ちが痛いほどによくわかる。
「やっぱり、最初に見るならこの人だよね」
剣神——シンシア・ナイトレイ。
美しく、孤高で、神秘的な少女。
触れれば壊れてしまいそうな儚さを持ちながら、その剣技は筆舌に尽くしがたい絶技に満ちている。見る者を魅了してやまない彼女のランキングは当然一位。圧倒的な、一位だ。
憧れているだけでもファンと呼ぶのなら、僕は間違いなくこの人のファンだ。
「……参考にさせていただきます」
僕は彼女の映像を再生し、マナ板に食らいつくような勢いで、瞬き一つせずその記録に没頭した。
彼女の動きを頭と瞼の裏に叩き込み、まずは脳内で反芻する。今度は木の棒を彼女が持つ剣に見立て——振った。
筋肉や骨の動きに至るまで、寸分違わず身体で再現する。何度も繰り返し見た彼女の動きを僕が見間違えるはずもなく、木の棒を振るう僕の姿は、端から見れば彼女の動きと綺麗に重なって見えたかもしれない。
けれど起こる結果は彼女の足元にも及ばない。それでいい。そんな事は分かりきっている。
ただ、彼女の真似をするのが楽しくて仕方がない。
そうして時間を忘れて剣神の動きに没頭する内に、気付けば深夜を知らせる鐘の音が控えめに鳴った。同時に階層内を照らす魔晶灯の明かりも一斉に弱まる。
……どうしよう、早く寝ないと明日に響くけど……あと一回だけ見よう!
おじさんはここに放置していけばいいや。いつもそうしてるし。
僕は剣神の次の記録を再生しようとして——ピコンとマナ板から音がした。
「……『注目新人 ウィンターベル領主末女アストリッド様(17)の初陣 凶刃の魔の手が迫る』?」
なにこれ。なんかマナ板に変な文字が出てきた。
おじさんからたまに借りるだけの僕には基本的な操作方法しか分からない。なんとかその文字を消そうと色々試している内に、なぜか映像が勝手に再生されてしまった。
「あれ、この人……」
昼間のダンジョンにいた綺麗なお姉さん。
間違いない。顔も服も記憶通りだ。それに相手はあの『ファイター』と『ローグ』……そっちの顔も見覚えがある。
マナ板には全探索者の記録が残されている。探せば僕の記録もきっとあるはずだから、お姉さんの記録が残っていても何も不思議じゃない。
お姉さんの戦いは有り体に言って普通だった。普通に勝ってた。勿論僕よりは当たり前のように強いけど、それでも憧れの剣神には程遠い。時間が勿体ないのだから早く消して剣神の記録を見るべきなのに、なぜか僕の目はお姉さんに釘付けになっていた。
近接職のスキル——『スラスト』。
得物を片手に突進する基本的な技。レアも良く使うほどにありふれたスキル。
僕はなぜか、お姉さんが使ったこのスキルを真似してみたくなった。
「——『スラスト』」
複雑さの欠片もない単純な動き。このくらいの動きなら僕は一目で寸分違わず真似することができる——はずだった。
……あれ? なんでだろう、なんか違うな。
スキルとしての威力が出ないとか、そんな当たり前の話ではない。もっと根本的な何かが違う。おかしい、レアが使う『スラスト』を真似した時はこんな違和感なかったのに。
「——少し違うわ。正しくはこうよ」
——ふわりと、嗅いだことのない香りが鼻先を掠めた。
この場に似つかわしくない、清らかで、少しだけ冷たい香り。
————『スラスト』
……剣の切っ先が、僕の喉笛に突きつけられる。
突きを放った張本人は、月明かりを浴びて笑顔を浮かべた。
「こんばんは。貴方のパトロンになってあげるわ」
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