第24話 ゆりとの再会
会議室の大きな窓からは中庭が見える。
緑の芝生には白い大きな泉があり、水色の水がゆらゆらと波紋を広げていた。
「私の妻がその時に社長と大変仲良くさせていただいていたそうで。
来月こちらに大学の時の友人たちと旅行に来るのですが社長に会えるかどうか聞いてきてくれと頼まれまして」
「私が仕事でハワイ島に行くと言ったら、妻に急に頼まれまして。
アポイントも取らずに失礼いたしました」
ははは、と蒼が笑うと弁護士のカイも笑った。
「そういうことですか。では社長に、」
「E kali」(待て)
挨拶もしなかったので、ここで初めて会長であるテルヤの声をコナたちは聞くことになった。
「he wahahee keia」(これは嘘だ)
「ʻŌ? he wahahee keia?」
(え?なぜそう思うのですか?」
コナたちにバレないようにカイにハワイ語で話したのに、蒼にハワイ語で聞き返されたテルヤは怒りの表情を顕にした。
「no ke aha mai?」(なぜですか?)
「…」
蒼の目をじっと見つめているテルヤのこめかみから汗がひとすじ流れる。
カイは蒼とテルヤを交互に見ながら首を傾げていた。
「カイさん。社長に聞いてきてもらえますか?」
「Hiki iaʻu?」(いいですか?)
カイが確認するとテルヤが首を横に振る。
テルヤはカイにゆりの過去のことを話していないのだろう。
何も知らないカイは単にいきなり来た相手と
社長を会わせられないので出てきただけなのだ。
「Kai, haʻalele i kou noho.」
(カイ。席を外してくれ」
「Eia naʻe, ʻo ka luna hoʻomalu」
(しかし、会長)
「ʻaʻohe hopohopo」(心配いらない)
不思議そうな顔をしてカイは立ち上がり、そのまま会議室を出て行った。
テルヤは視線を机に落として唇を噛み締めている。
何かを話し出すのをコナたちはひたすら待った。
「君たちはなにものだ」
カイよりも流暢な日本語だった。
蒼が事前に調べていた
テルヤ・オオノ・ウォングのルーツは九州。
テルヤの両親共に日系人だった。
「改めてご挨拶させていただきます。
私は
「山城佳樹…」
「そしてこちらは山城社長のご長男の
山城佳樹と聞いた時のテルヤは一瞬で顔が真っ青になった。
直接会ったことがないはずなので、ゆりから
佳樹のことを聞いていたのだろう。
「そしてこちらが…」
蒼が隣に座っているコナの肩に手を置く。
テルヤが四季からコナに視線を移すのを待って蒼は口を開いた。
「山城コナさん。前の名前は
「…」
コナを見ているテルヤの瞳が左右に揺れる。
こめかみからもう一筋、汗が頬へ落ちた。
「現社長であるあなたの娘さん、ゆりさんの
ご子息です」
コナがペコっと頭を下げる。
テルヤは初めてコナに会った時からあまりにもゆりに似ているのに驚いていたのだ。
色の白い小さな顔。大きくないのにしっかりとした二重の目。
娘であるゆりにそっくりだった。
コナからまた机に視線を落としたテルヤは口を閉じる。
責めに来たのではない。ゆりに会いたいだけなのだ。
その気持ちが通じるように、蒼はそれ以上何も言わずにまたテルヤの言葉を待った。
「目的はなんだ」
数分してテルヤが口を開いた。
「ゆりさんにお会いしたい。
コナくんをゆりさんに会わせたい。
それだけです」
テルヤは驚いた顔をした。
20年経ってからわざわざ日本からやってきた
理由が、会いたい、というだけなど信じられ
ない。
20年前、留学先の日本で男に騙されて子供まで産んだ娘を連れ戻しに行ったのはテルヤの部下数名だった。
まだひとりで歩くこともできない子供と引き離して、ゆりを拉致するようにしてハワイに連れ帰らせた。
子供を捨てたことが日本で罪になっているのか。
はたまたそのことで金を払えを言われるのか。
ゆりは、その子はきっと山城佳樹という男が引き取ってくれているはず、と話していた。
ということは山城から慰謝料を請求されるのか。
なんの言葉も発せないテルヤの頭の中は、そんなことでいっぱいだったのだ。
「テルヤさん」
今まで話さなかったコナが少し身を乗り出してテルヤにペコっと頭を下げた。
「僕にはお母さんがいます。
今、病気で入院してますがいつもは一緒に店をしています。
その母が、ゆりさんに会ってきなさいと言ってくれました。
僕を産んでくれた人は世界でたった一人。
ありがとう、と言ってきなさい、って」
部下の話ではコナを置いてきたゆりは狂ったように泣いていたそうだ。
ハワイに帰ってきてからも二年ほど、ゆりは
廃人のように部屋に閉じ籠り言葉ひとつ発さなかった。
ゆりと引き離されたコナにもいろんなことがあっただろう。
決して平坦な道ではなかったはずだ。
それなのにこんなに素直で優しそうな子に育っている。
母がいる、と言ったコナ。
その人がきっと素晴らしい人なのだろう。
金のことばかり考えていたテルヤは、コナの
言葉に自分が情けなくなった。
ゆりによく似たコナは穏やかに微笑んでいる。
テルヤはコナに向かって深く頭を下げ、そしてゆっくりと顔を上げ、目を閉じた。
「コナ。君の母、ユリ・オオノ・ウォングを
ハワイに無理やり連れ戻させたのは私だ。
部下を日本へ行かせ、ゆりを連れて帰らせた」
「ゆりさんは僕を捨てたんじゃないんですね」
「コナ…」
「山城佳樹さんから話は聞いています。
佳樹さんもゆりさんは僕を捨てるような人ではないと言ってました。
僕をひとり置いてアパートの下にあるゴミ捨て場にもいけない人だったそうですから」
うれしそうに微笑むコナを見てテルヤの目から涙が落ちた。
もし、自分がゆりを連れ戻さなかったら今頃
コナは母の愛を受けて幸せに暮らしていたかもしれないのだ。
恨んでも恨みきれないだろう。それなのに捨てられたのではなくて良かった、とコナは自分のことよりもゆりのことを喜んでいるのだ。
「…すまない。ゆりは小さい頃から嫁に行くところが決まっていたんだ。
それも親同士の都合でだ。会社をより大きくし、ハワイで一番にしようと…」
そんな自分の夢がゆりとコナの人生を打ち砕いた。
あの時、そんな夢よりも娘の幸せを優先してやっていたら…
年老いた今なら、人生の大切さと命の重さがわかるのに。
テルヤは流れる涙を手のひらで拭い、そのまま顔を覆った。
「テルヤさんは会社で働く人たちのために会社を大きくしようと思ったんでしょ?
働いている人たちにも家族がいる。
ゆりさんには辛かったかもしれないけど、悪いことをしたわけじゃないです」
働く人間はみんな同じだ。佳樹もテルヤも自分ためではなく家族や従業員のために働いてきたのだ。
コナの言ったことは正解だった。
テルヤも私利私欲のために会社を大きくしたかったわけではない。
しかしそのために犠牲になったゆりとコナに詫びのしようもないのが現実だった。
「僕も辛いことや苦しいことがあったけど、今すごく幸せだからそれでいいんです。
ゆりさんは…ゆりさんも今が幸せならそれでいいです」
ハワイの突き抜けるような青い空。
見上げるだけで笑顔を生み出しそうな、そんな空に向かってゆりは何度泣いたことだろう。
無理やり引き離された愛する息子を思って。
それを思うとコナの胸は苦しかったが、ゆりの記憶がないからこそ、コナは全てを許せるのかもしれない。
しかしゆりは。
「私も若かった。なんでも自分の思い通りになると思っていたんだ。
いくら謝っても足りないが、本当に申し訳ない
ことをした」
「会長。会長のお気持ちはコナくんにもわかってます。
だから責めることなどなにもありません。
コナくんはただゆりさんに会ってお礼が言いたいだけなんです。
何かをしてほしいとかそういうのではないこと
だけご理解ください」
金銭目的と思われてはコナがかわいそうだ。
テルヤにその気があるのかないのかわからないので、蒼はあえてそう付け加え、ゆりに会わせてくれと頼んだ。
うん、と頷いたテルヤが携帯を取り出す。
画面をタップして耳に当て、大きな息を吐いた。
「ʻo Yuri? ʻO wau. Loaʻa iā ʻoe ka manawa i kēia manawa?」
(ゆりか?私だ。今、時間はあるか?)
電話の向こうの声は聞こえないが、ゆりは時間があると言ったのだろう。
テルヤが正面に座っている三人に視線を送った。
「E ʻoluʻolu e hele mai i ka lumi hālāwai 102.」
(会議室102まで来てくれ)
携帯を机に伏せて、テルヤはコナを見た。
「ゆりが今から来る。
コナのことは言ってない。
さっき受付が日本から弁護士が来ているとゆりに直接言ったが間違いだった、と伝えてある」
何も知らないゆりが今からここにやって来る。
ゆりが拒否しないためにテルヤは最善を尽くしたつもりだった。
コナが来ていると知ればゆりは申し訳なさで会わないと言い出すかもしれない。
しかしそれではせっかく日本から来たコナの
願いが叶わないのだ。
それにゆりも心の奥ではずっと会いたいと思っているに違いないとテルヤは思っていた。
「コナ」
四季がコナの顔をのぞき込むと、コナは本当に穏やかな顔をしていた。
「これで、枝折さんが安心してくれる」
「うん…」
コナは枝折の願いを叶えに来たのだ。
もちろん枝折はコナを思って願っている。
離れていても二人は固い固い絆で結ばれていた。
会議室にノックの音が響く。
テルヤがドアを開けると、そこにはコナによく似た美しい女性が立っていた。
「Welina. ʻO wau ʻo Yuri Wong Ohno.」
(いらっしゃいませ。ユリ・ウォング・オオノと申します)
ハワイには日系人が多いので日本人に見える
三人を目の前にして、ゆりは客だと思ったのだろう。
テルヤと並んで座ったゆりは、まず一番端に座っている蒼に向かって手を合わせてお辞儀した。
「Aloha」(こんにちは)
「Aloha」(こんにちは)
蒼がそう返す。次にゆりは真ん中に座っている
コナに手を合わせてお辞儀をした。
「…」
アロハ、と言いかけたゆりが止まる。
合わせていた手がふるふると震え出した。
「ゆり。こちらは日本から来られた…山城さんだ」
「……コナ」
テルヤが落ち着かせるために肩に手を置くと、ゆりはそれを振り払うようにして立ち上がり床にひれ伏した。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい!」
ゆりが着ている緑のワンピースが波打つ。
謝っている声は涙声となり、ゆりは号泣した。
コナがあわてて床にひれ伏しているゆりの元へ駆け寄り。背中に手を当ててゆりを起こした。
「謝らないでください。
僕はゆりさんにお礼を言いにきたんです」
「お礼…」
「はい。ゆりさん。産んでくれてありがとうございます。今僕はすごく幸せです」
コナの腕の中でゆりが号泣する。
その声を聞いてテルヤも泣いていた。
ゆりを椅子に座らせ、そのまま隣に座ったコナはゆりの背をさする。
ゆりは背中にない方のコナの手を両手で握っていた。
「コナ。佳樹さんのところにいるの?」
やっと話ができるようになったゆりがコナの顔をじっと見る。
立派に育ってくれた、と思うとまた涙が溢れた。
佳樹のところで世話になっているのならなにがなんでもお礼がしたい。
ゆりはそう思ってコナに尋ねた。
「ゆりさん。こちらは山城佳樹さんの息子さんの山城四季さんです」
蒼が四季を紹介すると、ゆりは手を合わせてお辞儀をした。
「佳樹さんの息子さん…」
「初めましてゆりさん。山城四季と申します。
父はゆりさんがいなくなったあとに母と結婚しました。
ゆりさんが勤めていた父の会社、今は少し大きくなって、父は元気で働いています」
ゆりが、良かった、と言って手で顔を覆う。
世話になった佳樹が幸せな家庭を築き、元気で働いていることを知ってうれしかった。
「私は山城佳樹社長の顧問弁護士の与田蒼と申します。
社長はゆりさんがいなくなられた後、コナくんを抱えて
しばらく仕事をしていましたが、忙しくなってきたので一時的に山形の実家にコナくんを預けました」
祖父母がコナを連れて失踪した話を蒼がしそうだったので、コナは蒼に頷いてゆりの方へ体を向けた。
「おじいちゃんとおばあちゃんの家で高校まで過ごしました」
「そうだったの。
おじいさまとおばあさまに感謝しなくては」
「今僕は東京にいます。
この前も四季と佳樹さんと、山形のおじいちゃんとおばあちゃんに会いに行ってきたん
ですよ」
ゆりが手を合わせてありがとう、と何度も呟く。
自分が置いてきてしまったコナを高校生まで育ててくれた佳樹の両親には感謝しかなかった。
「ゆりさん。話すのは心苦しいと思いますが、コナくんと離れた日のことを教えていただけますか?
山城社長はゆりさんがコナくんを置いていくわけがない、無理やり連れ去られたのではないかと考えていました。
先ほどテルヤさんにも聞きましたが、連れ去られたのは本当ですか?」
蒼を見ていたゆりがテルヤと目を合わせる。
当日のことは今までテルヤにも言っていなかったのだ。
「わかりました。話します」
涙を拭きながらゆりは大きく息を吸った。
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