第23話 ハワイ島へ
パソコンを開けた主治医が、並んで座っている
結果を聞く時はいつも緊張する。
コナは拳を自分の膝の上で固く握った。
主治医がパソコンの画面を二人に見えるようにして、分割されているうちの一枚をポインタでさした。
「肝臓にあったがんは少なくなってます。
今の抗がん剤は効いてますね」
「え?肝臓?」
コナが眉を寄せてパソコンに顔を近づける。
主治医は
「手術した後に飲み薬の抗がん剤を飲んでもらってたんですが、肝臓に転移が見られたので抗がん剤を変更したんです」
「飲み薬が効いてなかったということですか?」
「そうです。抗がん剤はいずれ耐性ができます。
遅かれ早かれ変更しなければならない時が来るんですよ」
効いている期間が長ければ長いほど生きる時間が延びる。
いわゆる延命治療だ、と主治医は説明した。
「とはいえ、絶対、ということはありませんから、
がんが消えてしまう確率もゼロではない、と
主治医は言っているのか。
四季もコナも良い方へ向いてくれるように祈ることしかできなかった。
「今のところ肝臓に転移したがんは少なくなっていますので今の抗がん剤はまだ続けられそうです。
で、これは先ほどとは別の血液検査の結果なんですが」
主治医がパソコンの画面に今度は血液検査の
データを出し、一番下の項目をポインタで
くるくるとした。
「これが腫瘍マーカーです。
時系列で見てみるとだいぶん下がってきてるんです。
ALP、AST、γ-GPTという肝臓に関するものも落ち着いてますので…
ということは今回の、菌が全身に回ってしまっているのはがんによるものではない可能性が高いです」
いろんなところから菌は体内に入る。
普通の人ならなんてことない場合でも、免疫力や体力が落ちている枝折には命取りになる場合もあった。
「菌も特定できたので治療を続けていきます。
今の状態の治療をしている間は抗がん剤ができないので一日でも早く回復してほしいですよね」
「母はずっと眠ってるんですが、意識がないんですか?
さっき、ほんの少しだけ話してくれたんですけど」
パソコンを見ていた主治医が目を丸くした。
「話したんですか?」
「はい。ひとことふたことでしたけど」
「何を言っているかわかりました?」
「小さい声でしたけどハッキリとわかりました」
うんうん、と主治医が頷いてパソコンの画面に目を近づける。
それからコナと四季の方に顔を向けた。
「意識が朦朧としている状態です。
炎症反応が脳に影響を与えているためだと考えられます。
それなのにお話されたんですね。
佐藤さんすごいなあ」
主治医がうれしそうに笑った。
しかし敗血症が良くならないことには枝折は目を覚さないということだ。
最善を尽くします、と主治医はコナと四季に言った。
面会時間が終わった。看護師からすぐに電話に出られるようにしてくれと頼まれて、四季と
コナは枝折の病室を後にした。
二人がいる間、枝折は目を覚さなかった。
呼びかけにも応えない。
この先を考えるとコナは怖くて怖くてたまらなかった。
お互い一人になりたくなかったので、四季はbranchにコナとともに帰る。
買ってきたごはんを二人でかきこんだ。
コナが
「薬が効かなくなったから変えた、ってのは
先生から聞いたけど肝臓に転移してたなんて
枝折、言わなかったのよ。
もう。目が覚めたら怒ってやらないと」
「心配かけたくなかったのかな」
「でしょうね。でもそっちの方が心配するっての!」
篤子ももちろん辛いのに電話の声はいつも通りな感じだ。
枝折もそうだ。数日前からしんどかったはずだ。
それなのにいつも通りだった。
心配をかけまいとして家族を気遣う。
大切な人だからこそなのだ。
コナには篤子の気持ちも枝折の気持ちもわかる気がした。
「で、コナ。ハワイに行くことにしたの?」
「うん。ゆりさんに会えたら枝折さんに報告するよ。
きっと喜んでくれるよね」
「喜ぶわよ。留守の間は私に任せて。
と、いってもこのおなかだからなるべく家にいるようにするけどね」
「ありがとう。ハワイに行っても出来る限り早く帰ってくるから」
その後、四季が
予定を組むから、と蒼からすぐに返信が来た。
ホノルル空港
(ダニエル・K・イノウエ国際空港)に
到着したコナ、四季、そして蒼の三人は
入国審査を受けた。
「ここから乗り換えるんだよ。ゆりさんがいるとされるところはハワイ島なんだ」
ハワイ島までの飛行時間は一時間ほど。
チケットには
Ellison Onizuka Kona International Airport
at Keāhole
(エリソン・オニヅカ・コナ国際空港)とあった。
「コナ…」
「通称コナ国際空港。コナくんと同じ名前だね」
「そういえば、ゆりさんが付けた俺の名前の意味はハワイ語だったって佳樹さんが言ってましたよね」
「うん。ハワイ語で南風。暖かく穏やかって意味だったよね。コナくん、名前の通りの子だね」
ゆりはいろんな思いや願いを込めてコナという名を付けたのだろう。
乗り換えた三人が到着したコナ空港は小さいが暖かみのある素敵な空港だった。
空港からカイルア・コナ地区に行きホテルに
荷物を預ける。
日本とは全く違う景色。心が癒される気がした。
「食事をしてからゆりさんが住んでいるところへ行こう」
「この近くなんですか?」
「うん。プアリリア(pua lilia)っていう不動産
会社にいるらしい。この辺一帯、というか
ハワイ島で一番大きな不動産会社みたいだよ。
プアリリアはハワイ語で【百合の花】っていう意味だから間違いないと思うんだ」
会社の名前に自分の名前をつけているとしたら、ゆりが不動産会社を経営しているということなのだろうか。
コナと離れてからゆりはどんな生活を送っていたのだろう。
蒼が探し当てた人が本当にコナの母親のゆりなら、生きているということだ。
コナはそれだけで安心した。
「実はアポ取ってないんだよね」
「え。会ってくれるの?」
アポなしで、と蒼は言っていたが、本当に
アポイントを取っていなかったと知った四季が驚いて大きな声をあげる。
タクシーを捕まえた蒼が笑いながら先に乗り込んだ。
「E kala mai iaʻu. E ʻoluʻolu e hele i Puariria.」
(すみません。プアリリア社まで行ってください)
「I got it」
(承知しました)
「日本からのアポなんて警戒されるだけって言っただろ?
もし僕らの推測通りで、その上ゆりさんの
お父さんが会社を仕切ってるとしたらそれこそ会わせてもらえない」
「そっか」
「蒼さん、ハワイ語ですか?すごいなあ」
「コナくんはなんだか緊張感ないよね。
いいことだよ。
ゆりさんは日本語できるだろうけどそこへ辿り着くまでの勉強はしてきましたよ」
感心しているコナを見て四季も微笑む。
今から実の母親に会うかもしれないのに、コナに緊張感があまりないのはおそらく記憶がないからだろう。
佳樹の話では生後半年でコナはゆりと別れている。
会ったところでなんの感動もないかもしれない。
ゆりが生きているということを知ったコナは、それだけで良かった。
失踪した理由ももうそこまで知りたくはないと思えるほどだった。
海岸沿いを走るタクシーからは真っ青な海と空がキラキラと流れているように見える。
ヤシの木がハワイらしい、と四季とコナは笑い合った。
自分には枝折がいる。篤子がいる。
コナにはその気持ちも強かった。
「Ua hiki mai au」(着きましたよ)
ゆっくりと車を止めた運転手が振り返る。
礼を言った蒼が料金とチップを渡して三人は車を降りた。
三階建だが敷地面積がすごい。端まで見えないような広さにコナは言葉を失った。
一面の緑の芝生の真ん中に白い道がある。その入り口に
【pua lilia】(プアリリア)と彫られた台形の
大理石がどん、と置かれている。
白い道を歩いて三人はエントランスに着いた。
ドアから入るとすぐにカウンターがあり、派手な柄の半袖を着た女性がコナたちに気づいて微笑んだ。
「Aloha」(こんにちは)
「E kala mai iaʻu. He loio wau ʻo Aoi Yoda mai Iapana.」
(失礼します。私は日本から来た弁護士の
「loio?」(弁護士さん?)
「ʻAe」(はい)
蒼が名刺を取り出して受付の女性に渡す。
英語表記もあるので女性はうんうん、と頷いた。
「Ua hele mai au e ʻike iā Yuri Wong.」
(ユリ・ウォングさんに会いに来ました」
「Hoʻohiki ʻoe?」(お約束はしてますか?)
「ʻAʻole. E kali wau.」(いいえ。待ちます)
OK、と言って女性は受付にある電話の受話器を取った。
「Peresidena? He loio Kepani keia e
makemake
ana e hui me oe.」
(社長?日本から弁護士が来てます。
あなたに会いたいそうです)
「ゆりさんとやりとりしてるみたいだ。
社長、って言ってるから」
やはりゆりはこの大きな会社の社長だった。
「Aoi.e ʻoluʻolu e kali i kekahi manawa.」
(蒼さん。少々お待ちいただけますか?)
受付の女性が受話器を置き、三人を壁際に置いてある長椅子まで案内した。
ハワイに到着したという連絡はあったものの、そこからはなんの音沙汰もなかった。
篤子は枝折の病室で時折携帯を見ながら、まだ目覚さない枝折に話しかけていた。
「枝折もあの子たちも心配するから、もう少ししたら帰るわね。
連絡ないからわからないけど、ゆりさんに会えたらいいわよね」
ひとりごとだった。しかし篤子には枝折の声が聞こえる気がする。酸素マスクの下の口元も微笑んでいるみたいに見えるのだ。
相変わらず熱は出ていたが、そこまで高くなくなってきていた。
先ほど主治医が来てそろそろ起きてほしいですね、と枝折を見て微笑んでいた。
このまま目覚めないこともあるのだろうか。
それは怖くて聞けなかったが、篤子は主治医の穏やかな表情を信じることにした。
コナがゆりに会い、ともに暮らすことを選んだとしても枝折はきっと会わせたことに後悔はないだろう。
血の繋がりよりも濃いものなどこの世にはいくらでもある。
しかし今まで離れて暮らしていた親子が、その時間をこれから埋めていってもいいではないか。
コナと離れることは枝折にとって身を引き裂かれる思いだがそれを耐えるのも親心。
何も話さない枝折から篤子はその決心を汲み取っていた。
「枝折。帰るわね。ゆっくり休んで早く良くなりなさいよ」
篤子は少し痩せた枝折の頬に手を当てて目を閉じる。
部屋を出る時に会った看護師に、目覚めたら
連絡してほしいと頼んで病院を後にした。
コナと四季、そして蒼が並んで座っている長椅子の正面にあるエレベーターから男性が二人降りてきた。
日本人に見えるその二人を見つけた受付の女性がカウンターから出て行った。
「ʻO kēia ka mea aʻu i ʻōlelo ai ma ke kelepona ma mua.」
(先ほど電話で言った人です)
受付の女性からそう聞いた二人の男性はコナたちに向かって歩いてきた。
「
固い発音だがじゅうぶん聞き取れる日本語で、男性のうちの背の低い方が話しかけた。
「お忙しいところ申し訳ございません。
日本から来ました弁護士の与田と申します。
社長にお会いしたくて参りました」
来たのはもちろんゆりではないことはわかっているので蒼は、社長に会いたい、と強調した。
「遠いところおつかれさまです。
私はプアリリア社顧問弁護士のカイ・イノウエです。
こちらは会長のテルヤ・ウォング。
社長の父です」
コナと四季が蒼の後ろで顔を見合わせる。
ここにいるゆりが本物のコナの母親なら、会長であるテルヤはコナの祖父にあたる。
細身だがしっかりとした体格のテルヤを見て、コナは自分と似ているところを探した。
「イノウエさん、ウォングさん初めまして。
こちらは、私の助手の四季とコナです」
「…」
テルヤの視線がコナで止まった。
やはりコナの名前を覚えているのか。
ということはここにいるゆりは本物の可能性が高い。
蒼はひとり頷いた。
「社長に会わせる前に私たちでお話したいです」
「わかりました」
「どうぞこちらへ」
歩き出したカイに続いてテルヤも歩き出す。
蒼と四季とコナもその後を追った。
先が見えないぐらい続いている廊下。
その両側にはドアが等間隔で並んでいる。
カイがそのうちの一つを開けて全員を中に入れた。
会議室なのだろうか。大きな机の周りに椅子が置いてある。
カイとテルヤと向かい合うように三人は座った。
「用件はなんですか?」
カイが通訳をしていないところを見ると、
テルヤも日本語がわかっているようだ。
敬語になっていないカイの日本語が上からのように聞こえるが、それはいたしかたない。
蒼はニッコリ笑って頷いた。
「社長は20年ほど前に日本に留学されてますよね?」
カイもテルヤも頷かない。じっと蒼を見ているだけだった。
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