第16話 仕事という壁にぶつかる




「携帯も出ないし、困ってしまって。

オーナー、なにか聞いてませんか?」

「聞いてないわ。わかった。私から連絡してみる。

具合が悪そうだったとか、なかった?」


あの事件のことが篤子あつこの脳裏に浮かぶ。

四季しきは悪くない、と言ったことに安心してくれていると思っていたのだが。


「三日前にまた警察が来たんです。オーナーがいないので断ったんですが四季さんと話がしたいと」

「会わせたの?」

「はい。すみません」


せりながなにか警察に話したのだろうか。

それとも四季を責めるようなことを警察が聞いたのか。

無断欠勤するなどよほどのことだ。


ホストクラブの店長との電話を切り、すぐに

四季に電話をしたが何度かけても四季は出なかった。


今すぐにでも四季のマンションへ行きたかったが、大切な客が来ている。

枝折しおりかコナに見に行ってもらおうとも考えたが、篤子は自分がいかなければならない気がしていた。


席に戻ると、そろそろ帰りそうな雰囲気。

楽しそうに話している客とキャストに合わせて篤子も微笑んでいた。


「ママ、ありがとう。契約もうまくいったし、俺のことも気に入ってもらえたよ」

「私は何も。少しでもお力になれてうれしいです」

「アツコ!ギンザ!I'll come back later」

(また来ます)

「Thank you I'm waiting」

(ありがとうございます。お待ちしております)


篤子をハグして、客たちは大満足で帰って行った。

見送りを終え、店に帰るなり篤子はバッグを掴んで外へ出てタクシーを拾う。

タクシーの中でもずっと四季に電話をしたがやはり出ない。

四季が無事でありますように、と祈ることしかできなかった。


「う…」


四季のことを考えていたら、タクシーに揺れに酔った。

乗り物酔いなどしたことがないのに。

メンタルがやられているのだ。


着物を少しだけ緩めて深呼吸していると落ち着いてくる。

タクシーがやっと四季のマンションの前に着いた。


エントランスでインターホンを押すも、応答がない。

仕方なく合鍵を取り出して篤子はエレベーターに乗る。

部屋の鍵を開けて中に入ると、四季が真っ暗な寝室のベッドにいた。


「四季」


篤子の呼びかけにうっすらと目を開ける。

つい先日会ったばかりなのに四季はひどく痩せていた。


「どうしたの」

「篤子さん…店は…」

「店は大丈夫。しんどい?」


ううん、と四季が首を横に振る。

その時涙が目尻に光った。

篤子が覆い被さるようにして抱きしめると、

四季は体を揺らして嗚咽した。


少し落ち着いた四季をベッドに座らせて、篤子もすぐそばに座る。背中を撫でていると四季がごめんなさい、と小さな声を出した。


「金を払わないと…会えないって、どうなんだろ」

「本当の恋じゃないからね。お金を払ってでも会いたいからお客様は来てくれるのよ。

楽しい時間を買ってくれてるの」

「でも…」

「お金を払ってでも食べたい美味しいものがあるでしょ。

それと同じよ。商売なんだから」


篤子は一点を見つめている四季の手を握る。

わかってもらえるまで話すしかない。


「四季の仕事はそういう仕事。私も同じ。

でもね、お金をいただく以上、会っている間は最高に楽しんでもらうのよ」


四季は何も答えない。四季が潰れてしまいそうで怖かった。


「…せりなちゃん、闇金から金借りてるんだって。

どうやって返すんだろ。

返せなかったら…どうなるんだろ」


声が震えている四季の手を、篤子は必死でさする。

金を返せなかったら、仕方ないですね、なんてことには絶対にならない。

どんなことをしてでも返させるのだ。

せりなが借りたところはそういうところなのだ。


しかしそんなことは四季には言えない。

いわゆるお坊ちゃん育ちの四季はそんな闇の

世界のことなど知るはずもないのだ。


「働いて、少しずつ返していくしかないわね。

だから、たぶんだけどもう店には来られないんでしょうね」


四季を自分のものにしようとでも考えていたのか。

せりなが持っていたカッターナイフで四季が傷つけられなくて良かった、と篤子はあらためて思っていた。


「落ち着くまでお店は休みなさい。店長には私から言っておくから。でも、こんなところで

一人でいたら悪いことばかり考えるわ」

「俺のせいじゃないかって…」

「四季のせいじゃない。

逆に考えてごらんなさい。

せりなちゃんがそうまでして四季に会いたいと思ってくれたってことよ。ありがたいことなのよ。

でも…気になるよね」


まだ入院しているせりなに会ってみよう。

四季を会わせることはできないが、会って話を聞いてみよう。

そのことを篤子が四季に言うと、四季は驚いた顔をして首を横に振った。


「篤子さんがなんかされるかもしれないからダメだよ」

「大丈夫よ。病院だもの」

「でも、」

「警察に連絡して会わせてもらう。もちろん

警察も着いてくるから安心でしょ?直接話を聞いてくるわ」


せりなが自分が悪いと認めてくれれば。

四季はまた這い上がれるだろう。

逆にいうとそれしか方法がなかった。


「四季。枝折の店を手伝いなさい」

「branchを?」

「そう。ここで一人でいるよりもいいわ。

あそこなら枝折もコナもいるし、お客様と話もできる。気が紛れるわ」


顔色の悪い四季の頬に篤子がそっと手を当てる。

その手の上に四季も自分の手を重ねて目を閉じた。


「うん」

「どう?今から行けそう?」


携帯を取ろうとして立ち上がった篤子がふらっ、となる。

あわてて後ろから四季が支えた。


「大丈夫?」

「大丈夫。お着物はいつまでも慣れないわね。

足がもつれちゃったわ」


篤子がニコッと微笑むと、四季が本当にホッとしたように笑った。


「今から行く。支度するね」

「branchは制服があるから、髪だけキレイにして。

枝折に連絡を入れておくわ」


四季が洗面所に向かったのを確認して、篤子は深呼吸した。


まだ車酔いが治らない。

やはり車酔いではなく心労がたまっているのだろう。


大きく息を吸うと少し楽になる。

枝折のラインを開いて篤子は簡単に事情を説明した。






「あら」


客の見送りから帰ってきた枝折が、携帯を見て目を丸くしていた。


「どうしたの」


ボックス席の客は三人で楽しそうに話している。

枝折がカウンターに入ってコナに篤子からの

ラインを見せた。


枝折とコナは、篤子が経営する歌舞伎町の

ホストクラブの前で、客が自分の腕を切って運ばれたことは聞いていた。

それが四季の客だったことも。


「警察が四季にいろいろ吹き込んだみたいね」

「いろいろ?」

「お金のこととか、かな。だから、」


金が底を尽きた客はあの夜を最後だと思い、

最初から四季を狙っていたのかもしれない。

そう考えたが、枝折はとっさにコナには言わない方がいいと判断した。


「お金が底を尽きると通えなくなるじゃない?

もう会えなくなると思ったからそのお客さん、お店で暴れたのかもね」

「そっか」

「四季が病んでも仕方ないわ。仕事だと割り切るのって案外難しいもんだから」


もうすぐ篤子と一緒にやってくる四季のために、コナは部屋に行き、クリーニングから戻ってきた制服を袋から出した。


一人でいるといろいろ考えてしまう。

枝折が入院している時のコナがそうだった。

いつも通りに接してやろう。

少しでも四季の気持ちが楽になるように。


四季が着る制服を鏡の近くに掛けてコナはまた店に戻った。







次の日、篤子は事件を起こした山本やまもとせりなが入院している病院へ向かっていた。

今朝早く警察に電話して面会したい旨を伝えると、警官が同席するなら、という条件で許可が出たのだ。


面会時間は14時からだったので、篤子は病院の一階で警官と待ち合わせをした。


「お忙しいのに申し訳ないです」


篤子が丁寧に頭を下げる。来たのは店に聞き込みに来た刑事だった。

電話でも簡単に告げたが、四季のことをもう一度その刑事に話す。そして録音させてほしいと頼んだ。


「うちのキャストに聞かせたいんです。

山本さんのことを心配して気を病んでしまっているので」

「四季さん…でしたよね。録音はしていただいていいですが外には絶対に出さないでください。

四季さんと聴き終わったら消去してもらって」

「はい。必ず」

「しかし…山本さん、四季さんに良いことを言いますかね。

言い方は悪いですが恨みを持っているようなものですから」


せりなはまだ警察には何の話もしていないが、四季を傷つけようとして故意にカッターナイフを持ってきたのだ。

好きという感情が憎しみに変わっている証拠だ。

刑事は腕を組んで一人頷いた。


「そうですね。一か八かですが少しでも四季が元気になってくれたらと」

「わかりました。では参りましょうか」


せりなが入院している病棟へ二人で上がる。

エレベーターの中、警察の前で篤子はボイスメモを開いた。



同席、と言っていたが刑事は、個室の入り口すぐに置いてあるパーテーションの手前で足を止め、篤子だけベッドサイドに行くようにと言った。


パーテーションを超えると、せりながベッドに座って窓の外を見ていた。


「失礼します」

「…」


篤子の顔をマジマジと見ていたせりなが、

ふっ、と笑う。

そして下げていた足をベッドの上に戻して座り直した。


「オーナーさんね。化粧が薄いからわかんなかった」

「昼はほぼすっぴんですから。お加減いかがですか?」


せりなが、折り畳まれて壁に立て掛けてあるパイプ椅子を指さす。頭を少し下げて篤子はその

椅子を広げて座った。


「縫っただけ。でも、まだ検査があるんだって」

「そうですか」


せりなは動く方の手をモジモジとさせている。

篤子が見舞いに買ってきたお菓子を渡すと、そのモジモジしていた手で受け取った。


「ありがとう。で、…ごめんなさい」

「なにがですか?」

「あんなことしちゃって」

「悪いと思ってるの?あなたがケガしたのは

事故でしょ?」


叫んでいたせりなを止めようとした人に、近寄るなと言ってカッターナイフを振り回し、自分でケガをしてしまった。

ごめんなさい、と謝ったということはあの時のことをもう冷静に考えられるのだろう。


「あれは事故だけど。お店の中で、外でも四季のこと…モンク言って騒いで」

「四季に指名が重なることなんて初めてじゃなかったでしょ?」

「うん。でも、あの日は…最後だったから。

四季にもう会えないし、ずっとそばにいてほしかった」


ぼろっとせりなの目から涙が落ちる。

そして頭をがくん、と下げてしまった。


「お金がもう…用意できない。借金もすごいことになって体売るしかないんだ」

「どこから借りてるの」


せりなが言った闇金の名前は篤子が聞いたことのあるところだった。

もちろん賃金業務取扱いなどの資格は持っていない個人が、どこからも借りられない人を対象に高金利で金を貸している。

払えない場合は殺されたりはしないが、その

闇金の系列、もしくは知り合いの風俗で働かされるのだろう。


せりなはここを出ても地獄なのだ。


「遊びは遊びで割り切らないとね。

ホストに恋をするのは悪いことではないわ。

でも、たとえばお金が貯まったら会いに行くとか、

月に一度、一杯だけ飲みに行くとか、自分ができる範囲で会いにきてくれたら四季も喜ぶと思うのよ」

「お金を使えば使うほど、四季が私を見てくれるって、」

「四季がそんな子だと思う?」


せりなが顔を上げ、目を丸くして篤子を見た。

優しく微笑んで篤子は頷いた。


「確かに売り上げは大切よ。でもあなたなら

四季の根本を知ってるはず。

四季は月に一度来るお客様も、毎日来るお客様も平等に接客してる」

「…ごめんなさい」


不安だったのだ。なるべくたくさんの金を落として、なるべくたくさん会いに行かないと四季の客の中で一番になれない気がしたのだ。

しかし今、篤子はそうじゃないと言った。

確かに、一杯だけ飲んだ時もボトルを入れた時も四季の態度は変わらなかった。


「どうしよう…バカなことした」

「…」

「四季に…バカなことしちゃって、ごめん」


金を借りた自分ももちろん悪いと思っているのだが、それよりも四季を疑うようなことをしてしまったことをせりなは後悔していた。


やはり四季の客はいい客だった。

それだけで篤子はうれしかった。


「今は売掛けは禁止になったから仕方ないけど、今まではちゃんとお支払いしてくれてたもんね。

四季のことを思ってでしょ?

それは感謝してます」

「…うん」

「借金返してお金が貯まったら、一杯でいいから飲みに来て。四季と待ってるわ」


顔に手を当ててせりなは泣いた。

真っ白な布団にポタポタと落ちていく涙。

震えている肩を篤子はさすった。



「ありがとうございました」


刑事とともにエレベーターで一階に着き、篤子は深く頭を下げた。


「とんでもないです。

もう罪を犯すことはなさそうですね。

今の話を聞いていて思いました」

「はい。大丈夫だと思います」

「カッターナイフは故意に持ってきたけど、

四季さんを傷つけるつもりはなかった」

「そうですね。今、話してみて山本さんはそういうことは考えていなかったように私も思いました」

「助かりましたよ。私どもにはひとことも話してくれなかったので」


警察は事故の詳細を記録しなくてはならないのだろうか。

篤子にはわからなかったが、とりあえずせりながなんの罪にも問われないようなので安心した。


「闇金業者のことなんですが、借りたという

証言は聞けましたが証拠がない。

突っ込んでもとぼけられるでしょうね」


借用書は闇金業者が保管している。

借りた本人は利息何%で借りたかなど、なんの証拠も出せない。

警察がせりなの名前を出したところで、うちは金貸しではない、そんな人は知らない、と言われれば終わりなのだ。


「でしょうね」

「厳しいですが」



刑事と別れて篤子はタクシーに乗って有楽町へ向かう。

携帯を耳に当てて、さっき撮ったボイスメモをもう一度聞き直した。



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