MOTHER

村上呼人

第1話 BAR 「branch」・枝折との出会い



到着したバスの屋根にうっすらと雪が積もっている。

今年は例年より雪が少ない。しかしこの土地では必ず雪は冬とともにやってくる。


昼間のように明るい夜行バスのターミナルで、

山城やましろコナは到着したバスの列に並んだ。


「寒…」


そこまで乗客は多くなかったが、全員が乗車し終わるまでの間ずっと開け放たれているドアのせいで車内は冷え切っていた。

マフラーを解くこともできずにとりあえず持ってきたバッグを足下に置く。

最後の客が乗り込んで、やっとドアが閉まった。


「ご乗車ありがとうございます。このバスは東京行き。東京駅八重洲口に到着いたします。

途中…」


アナウンスに被さるようにエアコンの音がウィーン、と大きくなる。

力の入っていた体が少し柔らかくなったコナはマフラーを解き、ダウンジャケットを脱いだ。


一番安い夜行バスなので隣の席とくっついている。

幸いコナの隣は空席だった。後ろの人に気を使いながら少しだけ座席を倒してコナは目を閉じた。


東京に行ったところで行く宛もない。やりたいこともない。

東京じゃなくても良かったのだが、選んだ理由は大阪よりも近かったというだけだった。




今日は高校の卒業式だった。

卒業式が終わって家に帰ったコナは祖父母の前に正座をして頭を下げた。


「今までお世話になりました。

今夜の夜行バスで東京に行きます」


祖父母が揃って眉間にシワを寄せる。

そして顔を見合わせた。


「なんで東京なんだ」


ささくれの目立つ畳がコナの膝の下で独特の匂いを放つ。

祖母がコナに聞こえるようにため息をつき、祖父は隣で腕を組んでコナを凝視していた。


「大阪より近いから」


コナは制服のポケットから封筒を取り出し、祖父母の前に滑らせる。感謝の手紙ではない。

中には10万円入っていた。


「なにこれ」

「少ないんですけど受け取ってください」


バイトで貯めた金だった。この家にコナのごはんはなかったのでバイトした金で食べていた。

着るものや学校で必要なものも全てバイト代で賄っていたコナにとって10万を貯めるのは大変なことだった。


しかし縁を切るための金だと思えば安いものだ。

何の躊躇もなくコナは封筒を祖父母の方へ滑らせた。

祖母が何も言わずに受け取る。中身を確認することもなく近くの棚の上にぼん、と置いた。


「どこでも行ってくれていいけど、お父さんを探すような真似はするんじゃねえぞ」

「はい。探しません。

別に会いたくもありません」

「そうか」


コナがもう一度頭を下げてから立ち上がる。

少し足が痺れていたが立ち止まることなくそのまま自分の部屋に入った。




コナが高校生になってすぐに、これからは自分で稼いで自分のことは自分でどうにかしろ、と言われた。

祖父母にはそれまでも可愛がってもらった記憶はない。

自分になぜ親がいないのかも聞けないままコナは祖父母と生活していた。


「わかりました」

「それと、あんたももう大人になったから話しておくけどあんたの母親は産まれてすぐの

あんたを置いて出て行ったらしい。

私らの息子、あんたの父親はどうにもできずにあんたをここへ連れてきて…

そこから音信不通になった」


ということはこの祖父母も自分たちの息子に会えていないということだ。

コナは返事もせずに畳についた古いシミを

見つめていた。


「ろくでもない女だよ。あんたの母親は。

結婚詐欺みたいなもんだね。どうせ男でも

できてあんたを捨てたんだろ」

「かわいそうなのはうちの息子だ」


血とは汚いものだ。祖父母の息子、コナの

父親もコナを捨てたようなものなのに悪いのは全部母親だと信じ込んでいる。

コナは驚きもせずに冷静に話を聞いていた。


「中学を出るまでは面倒見てやったけど、これからは自分で稼げるだろ。学費は高校までは

出してやる。

ここに住ませてもらうだけでもありがたいと

思え」

「はい」


返事こそしたが顔色ひとつ変えないコナを見て、祖父母はあきれた顔をした。


「薄気味悪い子だよ。話はそれだけ」


しっしっ、と手を振って祖母が顔を背ける。

祖父はすぐに部屋から出て行った。




父を探すつもりなど毛頭ない。会いたいとも思わない。

もちろん母にもだ。

この地を出ていくのはここにいたくない

からだ。

都会に行けばなんとかなる。なんとかならなくてもそれはそれで別にいい。


夜行バスのカーテンは上下とも固定されて開かないようになっている。

隙間から指を突っ込んで外を見てみたが、夜の闇と雪しか見えなかった。



いつのまに眠ってしまったのだろう。

カーテンの隙間からは夜明け前の藍色の空と

ビルが見えた。

正確にはビルしか見えない。コナの住んでいたところでは決して見えない景色だ。


座ったまま眠ったので腰が痛い。体を伸ばすとメキメキ、と音が鳴った。

出発時のアナウンスでは東京駅の八重洲口というところに7:10頃着くと報せていた。

携帯の時計を見るとまだ6:30。

ここはもう東京なのだろうか。景色を見たところでコナにはわからなかった。


目が覚めてしまったが携帯を見る気にもならず、コナはまた目を閉じる。

分厚いカーテンのせいで夜が明けたのかどうかもわからない。

それもまたいい、とコナは思っていた。


「お疲れ様でした。終着東京駅八重洲口です。

お忘れ物のないようにお願いいたします」


そこまで大きくないバッグひとつを持って

バスの外に出る。

夜が明けたばかりの東京駅は水色のもやが

かかっていた。


東京も寒かった。ここがどこかもわからないコナはマフラーの端を握ってとりあえず駅の中に入る。

まだ7時過ぎだというのにたくさんの人が構内を行き来していた。

方向もわからず歩いていると朝早くから開いている店がある。そういえば昨日の昼から何も食べていない。

コナはすぐ近くにあったカフェに入った。


「いらっしゃいませ」


先に買ってから席に行くシステムの店だった。

数人並んで順番が来たコナは暖かいコーヒーとホットドックを注文した。

商品を買うところは混んでいたのに店内は空いている。

ここで買ってから新幹線に乗る人の方が多いのだろう。

コーヒーとホットドックの乗ったトレーを持って一番奥の二人掛けの席に座った。


正方形のテーブルにトレーを置き、コーヒーを飲む。

ホットドックを頬張りながら、これから

どうするかをコナは考えていた。


「仕事、探さなきゃな」


金を稼がないことには生活ができない。

祖父母に10万渡したせいでコナはわずかな金しか持っていなかった。

ということは家を借りる金もない。


コナが育った地では冬だけ出稼ぎに行く男たちがほとんどだった。

雪が積もったら仕事ができない人たちは、

その間違う土地へ住み込みで働きに行って

いたのだ。


それを思い出したコナは、コーヒーをひとくち飲んで携帯を取り出し、住み込みで働ける

ところを探す。

検索して出てきた中で一番金が良かったのが

夜の仕事だった。


働けたらなんでもいい。夜職でもなんでも。

しかしホストは無理だと思った。

小さい頃からあまり話すのが得意な方では

ない。

いわゆるおとなしい性格なのだ。

夜職は接客業がほとんどだが、ホストよりは

話さなくていいだろうと勝手に思い込んだ

コナは銀座にあるBARに面接を申し込んだ。


サイトを通さずに直接、その店にメールを

した。

待っていたが返信が来ない。コーヒーも飲み

干してしまったので、コナは店を出た。


新幹線の待合室は暖かかった。そこに座って

入れ替わる人々を見ていると時間がどんどん

過ぎていく。

気づけばもう14時を過ぎていた。

さっきメールしたBARからの返信はない。

今夜寝るところもない。

この季節に外で夜を明かすのは無謀だ。

他のところを探そうと、コナが携帯を開くと

メールの通知が来ていた。


【お申し込みいただきありがとうございます。

面接をいたしますので16時頃店まで来て

いただけますか?】


銀座にあるのはわかっているが、銀座がここから近いのか遠いのかもコナにはわからない。


【承知いたしました。よろしくお願いします】


返信してすぐにコナは待合室を飛び出した。


乗換案内で調べると銀座は東京から地下鉄で一駅だった。

歩いてもいけそうな距離だ。なるべく金を使いたくないコナは、時間の余裕もあるので携帯の

ナビを使って歩いて向かうことにした。


昼を過ぎた時間なのにたくさんの人が歩いている。

学校や仕事はどうしているのだろう。

そんなことを考えながらも迷わないように携帯を片手に黙々と歩いた。


面接をしてくれる店の近くに来ると急に人が少なくなる。

昼間なのに開いていない店もある。

景色は昼なのにこの街だけが眠っているように感じた。


細長いビルのガラス張りの入り口から中へ入ると地下へ

降りる階段がある。明かりがついていないので真っ暗だ。

階段のすぐ横にキレイな看板が立っていた。


【branch】と横長の銀色の板に彫られている。

この店で間違いない。

16時まではまだまだあるので、地下へは降りないでこの看板のところで待つことにした。


一時間ほど経ったが、誰も通らない。

このビル自体が起動していないみたいだ。

傾いてきた日差しがコナの足下に伸びてくる。

冷えていた足にはありがたい暖かさだった。


ビルの入り口からひとりの女性が入ってきた。

コツコツ、という靴の音がコナの前で止まった。


「メールくれた…山城さん?」

「はい。山城です」


BAR branchの人だろうか。コナは頭を下げた。


「あら〜」


女性がくすくす、と笑う。近くに来た女性は身長が割と高かった。


「お店、地下なの。どうぞ」


女性が壁のスイッチを押すと真っ暗だった地下への階段がキラキラと眩しいぐらい光った。

笑顔のまま女性は階段を降りていく。コナもあわてて女性の後を追った。




「はい。どうぞ」

「いただきます」


女性が淹れたコーヒーはいい香りだった。

カップを両手で持つと冷え切っていたコナの手がやっと人間らしい温度になった。


カウンターの椅子に座ったコナからひとつ開けて女性が座り、頬杖をついてコーヒーを飲んでいるコナを見ていた。


「どこから出て来たの?」

「山形です」


女性からはコナが東京の人間ではないことが丸わかりだったのだろう。

それにどう見ても未経験者だ。

即戦力にならない子が来てしまった、と女性はコナに気づかれないように眉を下げてため息をついた。


「なんで出て来たの?」

「家を出たかったからです」


コナは手短に自分の今までの状況を女性に話した。

隠すこともない。嘘をつくこともない。

聞きたいのならなんでも答えてやる、ぐらいの思いでコナは話した。


「なるほどね。あ、ごめんごめん。

私のこというの忘れてたわね」


コナの今までのことを聞いたのに、なんの感想も言わず女性はサッと椅子から立って、

カウンターへ入る。


背を向けた女性はコナに気づかれないように指先で目尻に滲んでいた涙をそっと拭った。


「私はここのママ。ママって店長のことよ。

枝折しおりです。

枝を折るって書いてしおりね」

「枝折さん」

「枝折さんでも、ママでもなんとでも呼んで。

えーと、あ、あったあった」


カウンターの下にある冷蔵庫を開けて、枝折はラーメンの袋を取り出した。


「お腹空いてない?このラーメンめっちゃおいしいのよ。お客さんがくれたの」

「空いてますけど…いいんですか?」

「すぐ作ったげるからね。作ってる間にコナが住み込む部屋、見といで。この奥のドア開けたら部屋だから」


コナが目を丸くする。枝折はニコッと笑って小さな鍋に湯を沸かした。


「あの、俺」

「採用させてもらうわ。よろしくねコナ」

「ありがとうございます!」


コナがカウンターの後ろの壁沿いにあるドアまで行き、枝折に深く頭を下げる。そしてドアを開けた。


狭いが靴を脱ぐスペースがある。上がってすぐの左側にトイレ、右側に洗面所と風呂があった。

6畳ほどの部屋にベッドとクローゼットと小さなキッチン。

地下なので窓はないが、照明も明るめ。キレイに掃除されているので新築みたいだった。


「こんな良い部屋に、本当にいいんですか?」


コナがドアから顔を出すと、枝折がうん、と頷いた。


「帰れない時のために作ってもらったんだけど使ってないのよ。洗面所だけはたまに使わせてね」

「はい」


化粧直しとかだろうか。コナがキレイに磨かれた洗面所の鏡を見ていると電動の髭剃りが置いてあった。


「髭剃り?」


手に取って首を傾げる。開け放しているドアからラーメンのいい匂いがしてきた。


「できたわよ。ほら。熱いうちに食べなさい」

「はい」


コナが部屋から出てまたカウンターに座る。

可愛いデザインの器に白いスープのラーメンが湯気を

昇らせていた。


「いただきます」

「どうぞ」


カウンターから出てきた枝折がお茶を入れる。

ズズズ、と勢いよく食べているコナを見て微笑んだ。


「うまいです」

「でしょ?博多の…なんて店だっけ。忘れたけどとりあえず博多ラーメンよ」


くすくす、とコナが笑う。そしてすぐに平らげてしまった。


「ごちそうさまでした」


コナが器を持ってカウンターに入り、サッと洗った。

椅子に座った枝折が片付けているコナを見つめる。

手を拭きながらコナも枝折と目を合わせた。


「あの、枝折さんは、旦那さんがいるんですか?」

「私?悲しいけど独身よ」

「え、でも髭剃りが洗面所に」

「ああ、あれ私のよ。

あ!もしかして女に見えた?」


枝折はどこからどう見ても女性だった。

見た目が手伝っているからなのだろうか、声は低いが男の声には聞こえない。

そして薄化粧なのに美しかった。


「女の人だと思ってました」

「うれしい。お客さんも気づいてない人多いのよ。常連さんは知ってるけどね」


枝折が照れくさそうに笑う。ドアを開けて髭剃りを回収し、カウンターの後ろの背の高い棚の引き出しに入れた。



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