二ノ宮先輩はオタク勉強中!
岩田コウジ
第1話
部室棟の階段を一段、一段、噛みしめるように昇る。
俺は逸る気持ちを抑え、職員室で受け取ってきた鍵を見つめる。
『写真部』と太めのマジックで書かれたネームプレート型のキーホルダーがぶつかってちゃらちゃら、と軽快な金属音を奏でていた。
それが俺には楽しげにリズムを刻み、まるで鍵が歌っているかのように感じていた。
すると今度は冷たい部室棟のコンクリの壁でさえ草原と花畑に見えてきて、そこをスキップしている錯覚さえ覚える。
「うん、完全にイッちゃってるな」
やや自嘲気味に鼻で笑った。
でも仕方ない、それくらい今の俺はウキウキと心が弾んでいるのだ。
入学したての時に写真部の復活を申請して早半年、漸く許可を取り付けたんだ、嬉しくない筈がない。
ここ東峯学園の写真部と言えば、かつてはコンクールを総なめにした全国でも指折りの強豪校で、俺はこの部へ入るために家から遠いこの高校を受験した。
なのにまさか入学してみたら、写真部が廃部になっていたなんて想像だにしなかった事態だった。
すぐさま部の復活を学校に掛け合ったが、なぜかなかなか許可が下りず、その間に夏の大きなコンクールのエントリーを逃してしまうこととなって、俺の描いたキャンパスライフは大きく軌道修正を余儀なくされた。
それは『写真の甲子園』と呼ばれる程の歴史と権威のあるコンクールで、カメラの道を志す高校生にとって登竜門なのだ。
つまり俺は大切な三回しかないチャンスのうち一回を棒に振った訳で、否応なしに焦りが募った。
とにもかくにも写真部を再び開けなければ先に進まない、俺は直訴するため何度も職員室に足を運んで説得を続けた。
そして粘り強い交渉の甲斐もあり、ようやくこの日を迎えたのだ。
時間は少々かかってしまったが、まだ夏に比べれば規模は多少小さくはなるけど冬のコンテストも残っているし、来年の夏までには必ず力作を撮って見せる!
俺はとうとう気持ちを抑えきれなくなって残りの段数をひとつ飛ばしで昇り切った。
タンッ、と小気味のいい破裂音がコンクリの廊下に響いて、俺はその先に視線を送る。
そして、これからの写真部に思いを馳せながら早歩きで新しい拠点に向かった。
すると、すぐに賑やかな笑い声が耳に入ってくる。
喧騒の震源は写真部部室からひとつ飛ばした先、廊下の突き当りにある部室のようだ。
その賑やかさは如何にも楽し気な大人数のパーティー会場のようで、部活動と言うより飲み屋やファミレスのそれに近い。
こっちは被写体と静かに向き合いたいのに、これでは堪ったものではない。写真は自身の世界との対話なのだ。
「せっかくの雰囲気が台無しだ……よし、いっちょビシッと言ってやりますか」
俺は腕まくりのジェスチャーをすると、写真部創設と部室使用の挨拶を口実にした抗議に向かうことにした。
高テンションから来る万能感に溢れる今なら気後れする心配は皆無だ。
とは言っても大人数で騒いでいるところへ抗議にひとり乗り込むのだ、それなりに勇気が要る。
だから俺は自ずと自分を大きく見せようとズカズカ歩いた。
「ホビーカルチャー同好会……?」
写真部部室の前を通過し、角部屋の部室の扉の前まで来た俺は、ドアの窓ガラスにかけられた段ボールの切れ端にマジックで書かれた表札を見る。
なんだそれは、部でもないのかと思った途端、耳をつんざく大きな笑い声が俺の決意を砕きに来る。
しかしこんなものに負けるか、こちとら半年交渉してんだ。
俺は強気にノックを三回し、間髪を入れず引き戸を開けた。
「失礼します!」
すると大勢の視線が俺に集中し、今まで賑やかだった教室に氷点下の風が吹き抜けた。
というかレクリエーション会場かここは。
そして訪れる暴力的な静寂。
俺を異端のように見つめてくる数多の視線に胸がきゅっと締め付けられ、無意識に唾液を飲みこむ音が脳裏に響く。
それは永遠とも感じられる地獄の時間だったが、輪の中心からひとりの声がすると空気が一変した。
「あら? 何かご用かしら」
その春風の如く柔らかで温かな声はツンドラの大地を満開の花畑へと変えてしまった。
声の主は席から立ち上がると穏やかな笑みを湛えてこちらを振り向いた。
(うっそマジか!?)
俺はその姿をひと目見て彼女が誰なのかを察し、心の声をあげる。
すらっとした長身の女性は長い黒髪を耳にかけると、周囲に気遣いを見せながらしずしずとこちらへ歩を進める。その姿はまさに大和撫子。
もしドラ〇もんが実在して、この単語を道具で具現化したとしたらきっと彼女が生まれるに違いない。
「あ、あのっ……、おr、自分は写真部部長の三浦嘉智と申します!
この度となりのとなりの部室を使わせて頂くことになりましたのでよ、よろしくお願いします!」
俺は彼女が到着する前に、食い気味でひと息に喋り切った。
もし目の前に立たれたら、緊張で何も言えなくなってしまうのが怖かったからだ。
「よろしく♪ 私はここの代表、二ノ宮よ」
(もちろん存じておりますとも!)
聞こえているのにわざわざ俺の近くまで来てくれた彼女は、軽く会釈をして柔和に微笑んだ。
俺はと言うと、目も合わせられずに直立したままガチガチに硬直していた。
こんなに俺が緊張するのには訳がある、というか知っていれば誰だって緊張する。
それは彼女が普通の美人ではないからだ。
この学校で彼女の顔と名前を知らぬ者など誰一人としていない。
成績は毎回トップクラスな上、陸上競技でいくつもトロフィーを持っている文武両道才色兼備、向かうところ無敵の生徒会長。
加えて実家は地元の大地主で、両親は共に会社をいくつも経営している御令嬢。
これだけでも盛り過ぎなのだが、彼女の魅力はそれにとどまらない。
オタク分野に於ける博識さが異常なほどで、どんなニッチでメニヤックな会話でも偏見なくすらすらと受け答えできてしまう、らしい。
もちろん彼女自身も何らかのオタクらしく、その熱量は相当なもの、みたい。
なんで伝聞なのかって、そりゃ噂だもの。
今、初めて会話したんだから。
それでここホビーカルチャー同好会がそのアジト、根城? で、存分に有志で語り合っていると。
「さっき写真部、と仰いました? ……となりの、となりの部室……!? 写真部の……!?」
二ノ宮先輩のモノローグに少々熱が入った結果、俺は彼女の声に少し動揺が見えていたことを見逃していた。
何より次の言葉を言うことで精いっぱいだったからだ。
「それで、ですね……写真、というものは静かに被写体と向き合うもので……ですからその……」
「……え!? あ、ごめんなさい、ちょっとうるさくしすぎたかしら? ごめんなさいわたくしったらつい楽しくて……今度からは気を付けるわね」
必死に言葉を紡いだ俺と対照的に二ノ宮先輩は、俺の決意の抗議をあっけないほどさらりと受け流してしまう。
「みなさーん、これからはお隣さんがいますから、お話のトーンは控えめに致しましょう」
それだけではなく、振り向いて他の生徒たちにも声をかける余裕。
旋回でたなびく黒髪や唇に人差し指を付けて『しー』をする姿もまるで絵画のようだ。
俺はと言えば、彼女の振り向いた際に流れて来た香気で鼻血が出そうになっている。
なんという力の差だ。絶望的じゃないか。
「これでも部室を一番端にして頂いたんですが……人間どうしても好きなことを語る時は声が大きくなってしまうものでしょう。
ですから、もしかしたら度々ご迷惑かけるかもしれないけどその時は大目に見てくださると嬉しいわ」
そう言うと二ノ宮先輩は軽く手を合わせて微笑みかける。
愛想笑いだとは百も承知だが、彼女が自分だけに笑いかけてくれている、その事実だけで嬉しかった。
「は、はい……、では……」
「よろしくね♪」
俺は当初の気合はどこへやら、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。
今鏡を見たら、きっと酷く腑抜けたへらへら顔をしているに違いない。
別れ際の先輩の言葉だって、これじゃどっちが頼みに来たんだかわかったものじゃない。
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