第8話 テレポートと自由落下

 視点の連続が失われ、浮遊感を感じる。

 亜美の中のカメラが切り替わり、自分の位置の設定がズレたような。


 すぐ近くに転移テレポートしたのだ。


 香織にそういった能力があるのは聞いていた。

 アテにしたわけではない。香織が大丈夫というから大丈夫なのだ。


 空中にいる! 

 目前に同じく宙に居る猫。


 ――落ちてやんの! 猫め。

  わたしはドジじゃなくお前を助けるために落ちてるんだぞ!


 亜美か猫か、どちらかの身体に勢いがついており、胸元にフカッと柔らかな猫ボディが接触し、とっさに抱きすくめた。


『左でつかまって!』香織の声。

 何も見ず左腕を伸ばす。モノが触れたので掴む。


 張り出した配管にぶら下がる格好になった。

 右腕に抱いたサヨリの鋭い爪がライダージャケットを引っ掻く。


 ちょっと落ち着こうか。


 下から協力者たちの、うおう、ああ、という声がした。


「……片手じゃ登れない」


 ――わたしは普通の娘っ子だからな。


 右手は猫で塞がり、足がかりも届くところに無さそうだった。

 ぶら下がる左手が滑らないようにだけ気を使う。


『亜美、昔やったイタズラ式で降りようか』

 傍らに浮かぶ霊体の香織が、真面目ながらも口の端で少し笑いながら言った。


「なんだっけそれ?」

 聞きながら、思い出した。



 昔、地元の高校で、同級生だった香織とフザけて悪さしたことがあった。

 なんとなく、ふたりして部室棟の窓から出たくなったのだ。

 

 窓には柵が付いていた。

 当時スリムだった女子(女子なんだ!)は柵の隙間をすり抜けられる。


 柵のついた窓から身を外へ出す。

 片手で柵にぶら下がる。

 降りたい。足がかりは少し遠い。


 細かいことは面倒な、無鉄砲な高校生はどうしたか。


 手を離す、掴む。手を離す。掴む。


 横になった鉄棒の柵をパッとはなし、十数センチ下方の次の横棒を、瞬間、片手でまた掴む。

 そうして徐々に身体を下降させる方法だ。


 思い出すとゾッとするシビアなタイミングだが、当時はなんの躊躇ためらいもなく、そうやって安定した足場まで降りたのだ。


 片手だったのは、確か本か何かつまらない軽い荷物を持っていたから。

 バカ女二人は変わらないわけか。亜美は苦笑した。


 でもあの時は二階だった。今は四、五階くらい。

 足下の配管や室外機のまばらな群れを見る。


 ――落ちて死んだら香織とオバケ仲間かな? まあ、いいけど。


 掴み直す予定の管は結構、下だ。


『ふむ、ふーむ、ふむふむ』

 白ワンピースの霊体姿で横に浮かぶ香織は、指をぴこぴこと上下に振り、配管を指して目測しているようだ。


 ――おい、自称女神様よ、そんなテキトーな感じでいいのか?


 口には出さないが、実に気楽な態度の香織に、心で悪態をついた。


『そうだねえ、二回、片手で降りて。そうしたら壁を蹴ってそのまま落ちれば平気』

「わかった」

 怖いが、不安はない。

 香織がいるから。文句はあるぞ。


 猫はバリバリと革ジャケットに傷を刻み続けた。

「上着がオシャカになる前に――」


 左手を開く。

 さっきの恐らく香織が施したテレポートと違い、馴染み深い自由落下。


 接触、全力で**掴む**。

 ぶら下がる。


 あちこち擦ったりしたが、猫サヨリは無事。

 繰り返したくはないが、コツはわかった。


 摩擦の残すように、撫で離すイメージで手を開く。

 指先で壁との距離を感じ取りながら落下。


 接触。掴む。


「ふー」

『うまい、補助してないよ』

「それはサンキュ、下は?」

『見て、偶然にゴミ袋の山』

「オッケイ」

 ツッコミは後でいい。人も見てるので素早く、なるべく自然に。


 モノに当たらないように、両足で壁を蹴り、支えていた左手を離した。

 立ち姿勢で、ポリ袋群めがけ、落ちる。

 武術の心得なんかないが、尻腰から身体の左側面で斜めに接地した方がいいだろう。

 少なくとも右に抱えた猫ちゃんはつぶれない。

 

 ――グッシャ。

 

 地面に、うまくポリ袋に落ちることができた。

 接地の瞬間に、スンッという香織の息遣いを間近に感じた。

 衝撃を緩和してくれたのだろう。

 

 不謹慎にも、夜の営みでの香織の吐息を連想してしまった。


 手を、足を震わせた感じ、亜美自身に大きな怪我はないようだった。ジャケットは要修繕だ。


「……おー、わたしは、生きてるなア――ありがと、香織」

 とんだアクションシーンだ。香織が居てくれたから良かったけど。


『どういたしまして、大丈夫だったでしょ?』

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