落ちこぼれ錬金術師の辺境改革 ~戦闘力ゼロの僕が、前世の化学知識で故郷を救うまで~
アサガオ
第1話 王立魔導学院の落ちこぼれ
爆ぜたのは、炎ではなく嘲笑だった。
全身の血の気が引いていく。 指先が急速に冷たくなり、握りしめた杖が震えるのを止められない。 視界の端が白く明滅し、鼓膜の奥でキーンという耳鳴りが鳴り響く。
「……以上だ。次、クレイグ」
教官の乾いた声が、僕の思考を強制終了させた。 訓練場の乾いた土の上で、僕は立ち尽くしている。杖の先から漏れ出たのは、
「おい見ろよ、また『不発』だぜ」
「ヴェルナー男爵家の長男だろ? 魔力がないわけじゃないのに、なんであんなに不器用なんだ?」
「錬金術にかまけてるからだよ。石ころを金に変える夢でも見てるんじゃないの?」
同級生たちのささやき声が、物理的な圧力を伴って僕の背中に降り注ぐ。 呼吸が浅くなる。肺が酸素を求めて痙攣するが、うまく吸い込めない。 恥ずかしい。 悔しい。 いや、そんな単純な言葉じゃ片付けられない。
僕は知っているのだ。 現象の理屈を。燃焼のメカニズムを。 酸素と可燃性ガスが結合し、熱エネルギーを放出する化学反応式を、この場の誰よりも正確に理解している。 前世――日本という国で、大学院生としてフラスコと数式に埋もれていた十七年分の記憶が、僕の脳裏には焼き付いている。
なのに。 この世界が求める感覚的な魔力操作が、僕の論理的すぎる思考回路と致命的に噛み合わない。
イメージしろ、と彼らは言う。熱く燃え盛る炎を心に描け、と。馬鹿げている。炎は感情じゃない。急激な酸化反応だ。 分子レベルの結合と解離のプロセスを無視して、ただ「熱くなれ」と念じるだけの魔法構築が、僕にはどうしても生理的に受け付けないノイズとして処理されてしまう。
結果が、これだ。いくら原理を知っていても、出力結果はゼロ。それが、逃れられない現実だった。
「……失礼します」
僕は逃げるように頭を下げ、訓練場を後にした。背中で弾ける爆音。次の生徒が放った火球が、標的のカカシを景気よく吹き飛ばす音がした。その熱波すら、今の僕には極寒の風のように感じられた。
放課後の石造りの回廊は、ひどく静かだった。夕日が長く伸びた影を作り、僕の足元を黒く塗りつぶしていく。
学院長室への呼び出し。 用件など聞かなくても分かっていた。重厚な樫の木の扉をノックする。ノブに手をかけると、じっとりと脂汗が滲んでいるのが分かった。自分の手なのに、他人の肉体のように感覚が鈍い。
「入れ」
許しを得て部屋に入ると、革張りの椅子に深々と座った学院長が、書類から顔も上げずに言った。
「アレン・ヴェルナー。単刀直入に言おう」
ペンの走る音が止まる。その一瞬の間が、心臓を鷲掴みにするほど長く感じられた。
「自主退学を勧める」
予想していた言葉だった。覚悟していたはずの言葉だった。それでも、実際に鼓膜を震わせたその音は、鋭利な刃物となって胸の奥を抉った。
「……理由は、実技の成績不振でしょうか」
喉が張り付き、掠れた声が出る。
「それもある。だがな、ヴェルナー君」
学院長がようやく顔を上げ、眼鏡の奥から冷徹な光を僕に向けた。それは無能な生徒を見る目ですらない。 異物を排除しようとする、事務的な眼差しだ。
「君は、魔法という神聖な力を侮辱している」
「……侮辱?」
思わず顔を上げた。侮辱などした覚えはない。むしろ、誰よりも真理に近づこうと足掻いてきたつもりだ。
「君が図書館に籠もって研究している『錬金術』のことだ」
学院長は吐き捨てるように言った。
「素材を混ぜ合わせ、小手先の変化を加える……。あんなものは、路地裏の商人が小銭を稼ぐための卑しい技術だ。高貴なる貴族が、ましてや魔導学院の生徒が本気で取り組むような代物ではない」
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。胃の底から、熱い泥のようなものがせり上がってくる。
卑しい技術? 小手先の変化?
違う。錬金術は、この世界で唯一、僕の前世の知識――「化学」とリンクする学問だ。物質の構成要素を解析し、再構築する。それは魔法よりも遥かに緻密で、無限の可能性を秘めた科学だ。
それを、否定された。僕の十七年間の努力だけでなく、前世で積み上げたアイデンティティそのものを、金儲けの小技と切り捨てられた。
「……錬金術は、可能性のある技術です。物質の理を解明すれば、魔法だけでは救えない命だって――」
「黙りたまえ」
机を叩く音が、僕の反論を遮った。
「ここは魔導師を育てる場所だ。商人を育てる場所ではない。……来週までに荷物をまとめなさい。実家への手紙は、こちらで出しておく」
会話は終了した。これ以上何を言っても、言葉は空しく響くだけだ。僕は拳を握りしめた。爪が皮膚に食い込み、微かな痛みが走る。その痛みだけが、僕がまだここで呼吸していることの証明だった。
「……失礼しました」
深く頭を下げる。床の絨毯の模様を睨みつけながら、僕は奥歯を噛み締めた。 涙は出なかった。代わりに、胸の中でどす黒い炎が静かに着火していた。
寮の自室に戻ると、衝動的に鞄をベッドに放り投げた。教科書、杖、そして実験器具。散乱したそれらは、僕の砕け散ったプライドそのものに見えた。
窓の外を見る。王都の煌びやかな夜景が広がっている。魔法の明かりで照らされた街。誰もが魔法を崇め、魔法使いこそが至高だと信じて疑わない世界。
「クソッ……!」
壁を殴りつける。鈍い音がして、拳の皮が剥けた。滲む血を舐めると、鉄の味がした。生々しい、敗北の味だ。
前世の僕は、事故で死んだ。志半ばで、研究室に行く途中の交差点でトラックに轢かれた。そしてこの世界に、アレン・ヴェルナーとして生を受けた。最初は歓喜した。魔法がある世界。前世の知識を使えば、何かすごいことができるんじゃないかと夢見た。
だが現実はこれだ。『適性なし』たった四文字の烙印が、僕の全てを否定する。
視線を机に戻すと、一冊のノートが目に入った。前世の記憶を頼りに書き溜めた、化学式と錬金術の融合理論。学院の誰に見せても鼻で笑われた、僕の宝物。
『ポーション作成における触媒としての魔力共鳴効率について』
『界面活性剤の精製プロセスと洗浄効果の向上』
ページをめくる。そこには、魔法でドカンと敵を吹き飛ばす派手さはない。あるのは、地味で根気のいる、しかし確実に世界を変えるかもしれない『生活のための技術』だ。
「……商人の小技、か」
学院長の言葉を反芻する。悔しさが、また胃を焦がす。
でも、本当にそうか?
魔法はすごい。確かに強力だ。でも、魔法で飢えは満たせるか? 魔法で病原菌を殺せるか? 魔法で作物が育つ土壌を作れるだろうか?
できない。それができるのは、彼らが馬鹿にする『錬金術』だけだ。
「……帰ろう」
口に出すと、不思議と心が定まった。
王都に未練はない。こんな、見てくれだけの華やかさに囚われた場所で消耗するのはもう御免だ。
故郷、ヴェルナー領。辺境の貧しい領地。父さんと母さんが守っている、痩せた土地。あそこなら。この知識がきっと役に立つはずだ。
いや、役に立ててみせる。僕を追い出したことを、この国の連中全員に後悔させてやるくらいの、とびきりの成果を出してやる。
僕は立ち上がり、散らばった実験器具を一つ一つ丁寧に拾い上げた。フラスコのガラスが、月光を反射して鋭く光る。その冷たい輝きは、今の僕の心の色によく似ていた。
明日、この街を出る。落ちこぼれの烙印と、誰にも理解されない最強の
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