椿説金の斧

 今日もきこりは木を切ります。


 森の中、ただ斧が木を切る音だけが響きます。


 すでに熟練の域に達したきこりですが、そんな彼でも失敗はあります。


 猿が木から落ちるように、弘法大師も筆を誤るように、泳ぎが達者な河童も川に流されるように、どの分野の達人でも失敗することはあるのです。


 きこりも例外ではありませんでした。


 長年の酷使により、柄が細くなった斧はきこりの手をすっぽ抜けてしまったのです。


 柄が細くなったのは知っていて、後で換えようとしていたのです。まるで後世の現場猫みたいですね。


 まさかあんな大参事が起こるなんて。


 青空の下、空を舞う斧、ゆっくりと流れていく情景は美しさすらありました。


 そして、時間が再び戻りますと、物理の教科書に乗せたいほどきれいな放物線を描き、泉へと落ちたのです。その直後に生じた水柱は相当な高さがありました。


「ああっ! おらの斧が!」


 きこりは嘆きました。唯一の商売道具をなくしたままでは食いはぐれてしまいます。


 大慌てで泉へと駆け寄りましたが、悪いことにその泉は淵から急に深くなるタイプで、底が見えません。しかも、きこりは泳げないので、本当に困りました。


 しばらく考えたのち、きこりは斧を諦めました。ちょうど新しいのが欲しかったところなので、そのために古いのを廃棄したと思えば、痛くもかゆくもありません。


 そうと決まれば、今日はこのまま切り上げて、酒場で一杯ひっかけよう。


 ウキウキ気分で、きこりは踵を返したとき、突如泉から爆発音が轟きました。


 何事かと思って振り返ると、泉から天を衝く光の柱が現れていたではありませんか。


 きこりはかつて聞いた話を思い出します。


 泉には大層別嬪な女神さまがいて、正直者にはご加護を与えてくれるという。


 きこりは期待しました。その別嬪な女神とやらを一目拝んでみたいと思ったのです。もちろん、下心もありました。


 光が薄れるにつれ、その奥に人影が見えてきました。


 そして、全貌が明らかになったとき、きこりは悲鳴を上げて、へたりこみました。


「ば、化け物っ!」


 泉の上に立っているのは、頭を斧で断ち切られた女神だったのです。頭が半分に割れていても、生きているなんて、さすがは神様というところでしょうか。


 女神と思しき何かは左手に持つ銀の斧を掲げ、こう言いました。


「ぎょばげぎゃごぼぼじだぼはごっぢぼびんぼぼぼが?」


 大変です。何を言っているのか、さっぱりわかりません。


 それもそのはずです。女神の脳の言語をつかさどる部分が破壊されてしまったのですから。


 きこりは恐れおののいて、ただ首を振ります。


 おそらくきこりはこの斧を投げたのはお前かと問われたと思ったのでしょう。


 きこりは正直者でしたが、命欲しさに保身に走ったのです。


 そんなきこりの様子を知ってか知らずか、女神は左手を下ろし、つぎは右手に持つ金の斧を掲げ、重ねて問います。


「ぼべべあ、ぼっべぼびんぼぼぼが?」


 やはりきこりは涙目になりながら、首を横に振ります。股間からは生暖かい液体が漏れ出ていましたが、それには気づきませんでした。


 女神は頷いたのか、頭に刺さった斧がかすかに揺れました。


 そして、女神は両手の斧を頭上高く持ち上げました。


「びょぶびぎぼぼのぼがべびあ、ぼのぼぼぼぶぶべばびょう!」


 女神は叫ぶや否や、二振りの斧をきこりめがけて、振り下ろしました。


 間一髪のところで、きこりは地面を転がって、驚異的な一撃を回避しました。


 女神が振り下ろした斧は大地を抉り、大きな穴をあけてしまいました。あんなのが当たったらと思うと、きこりなんてひとたまりもありません。


 きこりは踵を返すと、脱兎のごとく逃げました。中年太りしたあの肉体でよくも走れたものですが、彼は足がちぎれんばかりに駆けたのです。


 呪詛の声が背中を打ちますが、その声は次第に小さくなっていきました。


 命からがら村へと戻ったきこりは一部始終を話しましたが、聞く耳を持つ者はいませんでした。一人を除いて。


 きこりとはまた別のきこりがその話を聞き、女神から金と銀の斧を奪えるのではないかと皮算用しました。


 そして、その強欲なきこりは二度と帰ってきませんでした。


 きこりはもう泉に近寄ることはありませんでしたが、村では年に何回か行方不明者が出たそうです。


 復讐の女神と化した泉の女神は人間を呪うだけの化け物と堕しましたとさ。


 めでたしめでたし。



教訓:道具の手入れは念入りにしよう。

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