6章 お嬢様事変

第24話 お嬢様事変(1)

 二限目前の休み時間に登校したわたしを、いの一番にイスカちゃんが出迎えてくれた。


「あっ、陽香ちゃん!」


 駆け寄るイスカちゃんの背後には、八千重ヤチエちゃんも続いている。

 二人とも眉をハの字にし、気遣いの言葉を掛けてくれる。


「聞いたよ、襲われたって! 大変だったね!」

「お体はもう大丈夫なのですか?」

「うん。昨日今日と診療所で診てもらって、一応大事にはなってなかったけど、イスカちゃんも気を付けてね……」


 一応腕には湿布と包帯を巻いてあるが、幸い骨にダメージは入ってないし、今朝起きた時点で痛みもほとんどない。

 この分なら明日にでも紅華の活動を再開できそうだ。


「八千重ちゃんの方こそ平気なの?」

「ご心配には及びません、我が家の専属の医師に診ていただきましたので」

「わーお、さすが大銀行のご令嬢……」


 随分ダメージを受けたように見えたけど、強がってる風ではないし、少なくとも日常生活は平常運転みたいだ。処方される湿布薬も特別製なのかな。

 イスカちゃんは胸に手を当て、ほっと息をついた。


「よかったー。陽香ちゃん、連絡しても全然返事がないから心配で心配で……」

「あー、例の不審者に襲われた時、スマホをどっかに落としちゃったみたいでさ。心配かけてごめんね」


 昨晩、花園アプリの連絡網で、火虎先輩が襲撃者の件を周知してくれたそうだ。

 紅華にはより詳細な情報も付け加えていたらしく、通学路には普段より多くの紅華会員が配置されていた。


 紅華が総力を挙げて対応に当たっているのは心強いが、犯人が捕まらない限り安心できないのも事実。

 狐面と対峙した時の重苦しい空気を思い出し、わたしは身震いを一つ。


「それにしても、本当に何だったんだろうなぁ。強さもそうだけど、顔も声も目的も分からないのが一番怖いよ」

「ええ、あの火虎様に一撃入れて逃げおおせるとは、只者ではありません」


 続く八千重ちゃんも深刻な表情だ。

 火虎先輩の持ち味はパワーヒッターだが、スピードだって一級品だ。

 手負いのわたしたちを優先する必要があったとはいえ、襲撃者はとてつもない実力の持ち主に違いない。

 イスカちゃんも腕を組み、思慮深げな唸り声を上げる。


「うーん、そうだよねぇ。勝てるかどうかは別として、有名人の紅華三花弁に喧嘩を吹っ掛けるつもりだったならまだしも、新人の陽香ちゃんを襲う理由なんて……」


 そこでイスカちゃんはハッと顔を上げ、声をひそめて切り出した。


「ねぇ、ひょっとしてだけど……それ、ウチの生徒の犯行って可能性はないかな?」

「桜仙花の?」


 思いがけない発言に驚くわたしに、イスカちゃんは耳打ちめいた小声で続ける。


「うん、たとえば……ほら、紅華の入会試験でリタイアした人。あの中には火虎先輩にちょっとキツいこと言われた人もいたじゃん。それで試験を突破した陽香ちゃんに逆恨みして痛い目に遭わせようとした、とか」

「あー、なるほどね……でも、どうなんだろ……」


 理屈としては一応通るけど、いまいちしっくりこない。

 紅華の入会試験で落とされるような生徒が、あれほどの強さを持ち得るだろうか。

 復讐屋みたいな人に依頼した可能性もなくはないけど、そこまでしてわたしたちに固執する動機としては弱い気がする。


 不気味ではあるけど、憶測で犯人像を膨らませるのも良くないかもしれない。

 それよりも襲撃者と遭う前、他に気掛かりなことがあったような……

 記憶を手繰り寄せたわたしは、八千重ちゃんに水を向けた。


「あのさ、八千重ちゃん。答えにくかったらそれでもいいんだけど……あの時に言っていた『二年前の悲劇』って何なの?」


 ひょっとしたら襲撃者と何か関係あるかもしれないけど、あくまで個人的な事情だとするなら深入りは憚られる。

 しかし意外にも、わたしの発言に反応を示したのはイスカちゃんだった。


「あ、そっか。陽香ちゃんは外部生だから知らないんだね、【お嬢様事変】のことを」

「お嬢様事変?」


 またも馴染みのない単語が飛び出した。

 キョトンとするわたしに、八千重ちゃんは深呼吸を一つしてから、凛然と語り出した。


「構いませんわ、お話しましょう。離宮の学生ならいずれ知ることです」

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