第7話 桜仙花学園の華麗なる日々(4)
入学式の開始時刻になり、わたしたちは並んで会場の大講堂に向かった。
大講堂は一言で表すなら聖なる神殿だった。
壁や柱は真っ白な石造りで、天井付近の窓にはステンドグラスが嵌め込まれており、居るだけで身が清まるような気がする。
ステージ上では管弦楽部がピアノやバイオリンを演奏しており、わたしたち新入生はその美しい旋律と在校生の拍手に迎えられ、所定の長椅子に腰掛けた。
左右から寄せられる在校生の視線がむず痒く、祝福というより品定めされているような感じがする。
学校の式典といえば無骨な体育館と相場が決まっているわたしにとっては、これも小さからぬカルチャーショックだ。自然、わたしの背筋も伸びる。
理事長や特区のお偉いさんの祝辞などが粛々と進むにつれ、わたしは周囲の空気がひりつくのを感じていた。
在校生を含め、退屈そうにしている生徒など一人もいない。
お偉いさんのお話を有り難く傾聴しているというより、何かを待っているような……?
「それでは続きまして、生徒会長の
黒髪を靡かせる輝知会長がステージ脇から現れた途端、体育館を包む空気が変化した。
生徒たちの姿勢の正しさは変わらないが、先ほどまでの優雅でおしとやかな雰囲気とは明確に異なる。
全員が全員、目に力を込め、登壇する輝知会長の一挙手一投足に集中しているのが肌感覚で分かる。
期待、羨望、崇拝――そんな一言では片付けられないような、ある種の狂信や殺気さえも、その中には含まれていた。粘度を持ったかのように空気が重い。
そんな視線を一身に浴びながら、輝知会長は初対面の時と同じように柔和に微笑み、口を開いた。
「新入生の皆様、まずはこの桜仙花学園高等部への入学を果たされたことにお祝いを申し上げます。僭越ながら私、輝知瑞月が在校生を代表し、心より歓迎いたしますわ」
胸元に右手を当てて優雅に一礼してから、輝知会長は新入生へ視線を送る。
刹那、輝知会長と目が合ったように感じ、わたしの胸がドキンと高鳴った。
輝知会長は体の前で両手を重ね、一分の隙もない立ち姿で語る。
「今この場におわします皆様は、お家柄が抜きん出た方、容姿が麗しい方、学や才に秀でた方、或いはその複数を兼ね備えた方ばかりです。いわゆるお嬢様と呼ばれる立場で、日々特別扱いされることも多いでしょう。しかし私は、皆様に努々忘れないでいただきたいのです」
そこで輝知会長は笑みを消し、真剣な面持ちで口元を引き結んだ。
研ぎ澄まされた刃のように空気が張り詰め、わたしはごくりと喉を鳴らす。
「お嬢様とは、生まれながらにして永続的に与えられる称号ではありません。どれほど家柄に恵まれようとも、容姿が優れていようとも、先天的な才能に溢れていようとも、それはあなたが本当の意味でお嬢様であることを何ら担保しないのです。磨かれない宝石が光を失うように、他者を慈しみ尊重することを忘れ、自己の研鑽を怠れば、それは必ずお嬢様として……いえ、人としての価値を致命的に毀損することでしょう。少なくとも私は、そのような人物をお嬢様とも、我が校の生徒とも決して認めません」
式辞用紙も持たず、輝知会長はまっすぐ生徒だけを見つめ、淀みない言葉を紡ぎ続けている。
優美さと厳格さを兼ね備えた佇まい、そして溢れ出る圧倒的な自信と確固たる意志が、生徒たちを惹きつけてやまない。
輝知会長はフッと相好を崩し、大きく両腕を広げた。
「実りある時間を過ごし、誇りある人生にしましょう。自分に正直に、誰に対しても胸を張れる振る舞いを心掛けましょう。それを守り続ける限り、誰であろうと誇り高きお嬢様です。この桜仙花学園が、皆様の高貴な魂を磨き育てる場となることを、私はお祈り申し上げますわ」
そのように祝辞を締めくくると、輝知会長は再び胸元に右手を当て、丁重に一礼した。
直後、大講堂には割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
半ば義務的な響きを伴っていたこれまでのものとは全く異なる、心からの敬意と感動が込められた拍手だった。
かく言うわたしも夢中になって両手を叩くあまり、背中を指でつつかれていることになかなか気付けなかった。
「……さん、高遠さん! 式中に立ち上がるなんて非常識ですわよ!」
「あっ、ごめん! つい興奮しちゃって……」
わたしは知らず知らずスタンディングオベーションをしており、真後ろの弥勒寺さんは迷惑そうに眉根を寄せていた。
照れながら着席するわたしを見て、輝知会長が可笑しそうに噴き出した……ような気がした。
輝知会長が降壇してもしばし熱気は冷めやらず、司会が式を進行させるまで数十秒を要した。
「それでは新入生を代表し、弥勒寺八千重さんから答辞を賜ります。弥勒寺さん、よろしくお願いいたします」
「はい」
真後ろで凛とした返事が響き、指名された弥勒寺さんが颯爽とステージに向かった。
歩き姿の美しさは輝知会長にも引けを取らない。照明を受けて燦然と煌めく縦ロールは、どこか神々しくも見える。
壇上に立った弥勒寺さんは、大講堂の三方に深々と頭を下げてから、よく通る声で答辞を述べ始めた。
「新入生を代表し、わたくし
輝知会長と同様、弥勒寺さんも式辞用紙を持たず、立て板に水の答辞を述べている。
無数の瞳に晒されながらも、その表情は自信に溢れていて、笑みさえ湛えている。
同じ新入生ながら格の違いを見せつけられ、わたしは素直に尊敬の念を抱いた。
――弥勒寺さんってやっぱりすごい人なんだなぁ……
*
式典を終えて教室に戻る間も、わたしはずっと興奮し切っていた。
最強のお嬢様に続く道、その第一歩である入学式は、期待を遥かに超えた感動をわたしにもたらしてくれた。学校行事でこんなに心動かされることなど初めてだ。
イスカちゃんと並んで歩きながら、わたしは冷めやらぬ熱量で語り続ける。
「いやー、弥勒寺さんの答辞もすごかったよね! 一年生なのにカンペもなしにあんなスラスラ話しちゃうんだもん! 輝知会長のお話を踏まえたアドリブも完璧だったし、やっぱり頭いいんだなぁ、あんな長い台詞を覚えられるなんて……」
「覚える? 何を仰っているのですか、高遠さん」
わたしの視界の端に特徴的な金ロールが映るや否や、怜悧な言葉が割り込んできた。噂をすればご本人のお出ましだ。
澄ました顔でわたしたちの隣を歩きながら、弥勒寺さんは淡々と続ける。
「祝辞を聞かずしてどうやって答辞を用意するのです。理事長先生や輝知会長の御祝辞に、通り一遍の言葉をもって応じるなんて、この桜仙花学園でそんな不誠実な真似が許されるはずないでしょう」
「え? じゃあ、あれって……」
軽く混乱するわたしに、弥勒寺さんはさらりと告げた。
「当然、全部即興ですよ。答辞を担当することも名前を呼ばれた時に知りました。新入生の首席が任命されるしきたりなので、恐らくわたくしになるだろうとは思っていましたが」
衝撃の答えを聞き、わたしはあんぐりと口を開けることしかできなかった。
弥勒寺さんの言葉遣いは淡々と事実を適示するもので、嫌味な響きはない。それがさらに彼女の底知れなさに拍車を掛けている。
「すっ、すご……イスカちゃんは知ってたの? 指名されたらやばかったんじゃない?」
同意を求めてイスカちゃんに水を向けたものの、彼女の態度は至極落ち着いたものだ。
「まぁ、弥勒寺さんみたいにってのは難しいけど、二~三分程度の答辞なら多分どうにかなったと思うよ。人前で話すの好きじゃないから率先してやりたくはなかったけどね」
「マジか……」
イスカちゃんの平然とした答えに、わたしは余計に愕然とさせられた。
ホームルームの自己紹介でつっかえるわたしには絶対無理だ。挨拶どころか壇上まで辿り着くことすら疑わしい。
えっ、もしかしてわたし、さっき結構危なかった? 万が一わたしが指名されてたら多分大事故だったよ? いや別に首席だったかもなんて思い上がっているわけじゃなくて……
ぐるぐると思考が混線するわたしに、弥勒寺さんは容赦のない言葉を突き付けてくる。
「桜仙花学園生ならそれくらいできて当然です。言うべき言葉を自ら考え的確に伝える、そんなものはお嬢様どころか人として最低限の能力でしょう。それすらできない人間が大人になり要職に就くから日本は世界から取り残されてしまうのですよ」
「うっ、耳が痛い……」
思いがけない広範囲攻撃に巻き込まれ、わたしは声を詰まらせる。
離宮のお嬢様は、単に礼儀正しく学力に優れたお金持ちの娘じゃない。とっさの対応力や度胸、そういう人としての基礎スペック全般が並外れて高いんだ。
弥勒寺さんは決して謙遜しているわけではなく、ここではあれくらいの対応は『できるのが当たり前』なんだ。
自己紹介の際、クラスメイトが騒然とした理由がようやく分かった。
この学校で最強のお嬢様を目指すのは、確かに並大抵の話じゃない。
弥勒寺さんはおろか、勝手に親近感を抱いていたイスカちゃんですら、今や果てしなく遠い存在に思えてならない。
「高遠さん。もしこの程度のことで臆したのであれば、悪いことは言いません、早いうちに別の学校に編入することを勧めますよ」
わたしの心を見透かしたかのように、弥勒寺さんは口元に手を当てて忠告する。
「桜仙花学園に合格した学力は認めますが、ここで求められる能力はそれだけではありません。学力や記憶力なんてものは最低条件、重要なのはそれを踏まえて自身をどう飛躍させるかなのです。それでもあなたは、『最強のお嬢様を目指す』などという分不相応な目標を、これからもこの学園で掲げ続けるおつもりですか?」
弥勒寺さんの挑戦的な言葉が、鼓膜から全身の隅々に染み渡る。
わたしを支え続けていた『合格』という自負心が、今まさに失われようとしている。肩書きこそ同じ新入生だが、恐らくわたしは未だにスタートラインにすら立てていない。
不安に苛まれかけ、震えるわたしは――それを武者震いに変えて吹き飛ばした。
「もちろん、そのつもりだよ! むしろやりがいが湧いてきたってくらい!」
自分以外は全員格上、上等じゃんか!
だったらあとは這い上がるだけ! 失うものは何もない!
両手を握ってそう宣言するわたしに、イスカちゃんは嬉しそうに同調してきた。
「おっ、いいねー! その意気だよ、陽香ちゃん!」
「うん! 一緒に頑張ろうね、最強のお嬢様になるために!」
はしゃぐわたしたちを尻目に、弥勒寺さんは呆れ顔で溜息を吐いた。
「……まぁ、よろしい。いずれ嫌でも分かる時が来るでしょう、わたくしの忠告の意味が」
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