第二章 ③ マスカレード(仮面舞踏会)の戦端

 天皇皇后てんのうこうごう両陛下を護衛する第一課の側衛官そくえいかんは、決して職務しょくむ怠慢たいまんだったわけではない。


 皇宮護衛官には通常の警備・警衛けいえい任務に加えて、皇族と国民のコミュニケーションをサポートするという非常に難易度の高い任務が与えられている。


 故に、皇族と国民の間に入って壁となる護衛方法は常にできるものではなく、特に御仁ごじんが国民に至近距離でお声掛けをされる場合、国民よりも遠いところから護衛対象を見守る以外には何もできない。


 もちろん、あらかじめ危険人物がいるかどうかは宮内庁の方で調べているうえに、護衛官がその優れた観察眼で不審な人物がいないかを常に見張っているのだが、結論から言ってしまうと、この時集まっていた民間人は全員が危険人物だった。


 すでに目前まで迫った危機に彼らが気付いていたのかは別として、奉仕団体と両陛下が挨拶を交わすのに側衛官は口をはさまなかった。

 何故なぜなら奉仕団体の申し込みを受理した時点で宮内庁の安全確認は済んでいるし、ボランティアとして皇居の清掃を四日間も行ってもらっておいて怪しい人物というのも考えづらい。


 しかし、側衛官たちは見落としていた。

 戦後において一部団体からの強い反発で、いわゆる裏の政府機関を作れない日本は、特定の人物が信用に足る者かどうかをチェックする能力が諸外国に比べて大きく劣る──つまり安全確認は杜撰ずさんである現状。

 さらに、少し訓練すれば民間人を相手にしている警察組織の目をあざむくことは可能になる現実を。


 太いみきが連なる吹上御苑ふきあげぎょえんの一角。

 宮内庁職員の指示で奉仕団が半円状に立ち並び、直立不動の姿勢をとって待機たいきする。


 も無くして、当直の侍従じじゅう女官長にょかんちょう侍医じいを従えた両陛下が彼らの前に姿を現した。

 夢が現実味をびたように、全員の顔に緊張が走る。


 国民に威圧感いあつかんを与えないようにとのご配慮はいりょから、護衛官は周囲の風景に溶け込んで警備するのみ。両陛下のすぐそばに立つ者は誰もいない。国民と皇室の信頼関係が築けているからこそできることだ。


 両陛下が奉仕団に語りかけるため一歩前へ、半円に並んだ集団の中央に進み出る。

 ほがらかな笑みで、まず陛下が軽く会釈えしゃく


 奉仕団全員はそれに応じて腰を四十五度に折り、笑顔で頭を上げると同時に、各々の衣服に挿し込んでおいたプラスチック製の毒針を引き抜いた。


「どうもありがとう。今日はご苦労様……」


 陛下が口を開いた直後、半円状になった人々が一斉に眼前の二人に殺到さっとうした。

 あざやかな速度で大勢が一箇所いっかしょに収束する。


 砂浜に打ち寄せた波が海へと引いていく様子を連想させる芸術的ともいえる動きは、彼らが長い期間にわたってこの動作を反復訓練し続けた背景を物語っていた。

 誰一人としてお互いの動きの邪魔をせずに二人の人間を拘束こうそくし、同時に密集隊形を形成する。


 周囲に待機していた護衛隊は、奉仕団体が自らの護衛対象へうしおごとく押し寄せた瞬間に駆け出していた。そして、テロリストのじん襲撃しゅうげき態勢から迎撃げいげき態勢に移行したのを見て、彼らは敗北を本能的に直感した。


 待機している護衛隊は十名。

 武道にひいで、過酷な戦闘訓練を積む護衛官にとって六倍の数的劣勢なら十分にくつがえせる。


 だが、それはあくまでも訓練を受けていない素人犯罪者を相手取る場合に限られる。目の前の集団が連携をとり、決して各個かっこ撃破げきはされるような戦い方をしないことは考えるまでもなく予想できた。


 それでも、側衛官は命を犠牲ぎせいにして突撃した。


 護衛官はふところの拳銃を使用しなかった。

 警察の銃火器は犯人以外にダメージがおよばないよう低威力の機種が採用されているとはいえ、それでも彼らは両陛下への誤射を恐れて使用しなかった。


 両者の手が互いの血で染まり、怒号が飛び交う。


 混戦の最中さなか、一瞬だけ敵陣にできたわずかなほころびを護衛官は見逃さなかった。全身全霊をってこじ開けた敵陣の中から、人の濁流だくりゅうに埋もれていた細い腕をつかむ。


 他の護衛官も活路を悟り、手を伸ばし、閉じようとする犯人たちの壁を支え、その御方おかたを力に任せて無理やり引き出した。


 掴む相手の腕が千切れるのではないかという心配をしている余裕はない。

 取り戻そうと迫る手を残りの戦力でむかえ撃ち、一人が助け出したばかりの御仁ごじんを背中に乗せて走り出す。


 護衛隊は一言も言葉を発しなかった。

 全員が喋る余裕もなく、また喋らずとも何をすべきか解っていた。走り出した護衛官の今の使命は、背中に乗せた皇后こうごう陛下へいかを安全地帯まで無事に送り届けること。


 離れた場所に待機していた残りの側衛官部隊が駆け付けた時には、すでに雌雄しゆうは決していた。

 犯人は制圧した護衛官から奪った拳銃を陛下に突き付けており、手出しができない状態になっていたのだ。


 こうしてP226・230拳銃で武装した集団は、陛下を人質にして近くの吹上ふきあげ参集所さんしゅうじょに立てもった。


 しかし、本当の事件はこれからだった。



 *



 一方、この時はまだ御所にいる清仁きよひと蛍宮ほたるは何事もなく無事であった。


 本来ならば、早めに皇居に到着した三人の孫をご会釈えしゃくに参加させようかという陛下のご意見があったのだが、護衛第二課の課長および侍衛官じえいかんに反対され、そのまま御所にて待機となっていた。


 この警衛上の問題を第一に考えた二人の反対意見が、結果的に本事件の結末を左右する大きな鍵となった。



 もし、ここで三人の皇孫こうそんがテロリストの眼前に姿を現していたのなら、そこで日本は終わっていた。





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