第二章 ② 皇居勤労奉仕団の胎動

「ででで、殿下でんかッ! な、なんでここに!?」


「キョドり過ぎ……」

 あまりの出来事に呼吸が乱れ、冷たい目を向けられた。


「なっ……」

 そこでレイは言葉を一旦止め、周囲に聞こえない程度まで音量を落とす。

「なぜ、ここにいるのですか……ッ!?」


 司子しのこは、さも当然という口調で答えた。


「あら、自宅の庭を散歩しちゃいけないのかしら?」


 あなたの自宅は赤坂あかさか御用地ごようちですよね──という無意味なツッコミを何とかこらえ、問いただす。


「護衛班はどこです!?」


「エスケープは近代の天皇家からの伝統で、わたしはその血を受け継いでいるのよ!!」


 驚くほどまったく会話になっていないが、取りあえず護衛をいて抜け出してきた事情だけは理解できた。


 急いで本日の司子のご予定を思い出す。

 確か、彼女を含む皇太子御一家全員が皇居に参内し、両陛下と昼食を囲まれるはずだ。時計を確認すると、今は午前十時過ぎ。


随分ずいぶんと早いご到着ですね」

 これなら、今から帰らせれば問題はないだろう。


「ご飯をただ食べるだけの行事じゃないのよ。でも、確かに来るのが早過ぎたわね。お父様もうさまとお母様たたさまはまだ入城されていないし、陛下も公務があるみたいだからすることがないわ。今は、御所ごしょの庭で暇を持てあましたほたるきよが遊んでいるだけ」


 きよ、とは司子の十歳の弟で、皇太子ご夫妻の長男・清仁きよひと親王しんのう殿下の愛称である。

 つまり清仁殿下は皇長孫こうちょうそんであり、将来は天皇となる御身おんみだ。


 ちなみに皇太子殿下の子は現在四名おり、年齢順にすると長女の司子しのこ玉宮たまのみや)、長男の清仁きよひと逢宮あいのみや)、次女の式子しきこ蛍宮ほたるのみや)、そして次男の明仁あけひと月宮つきのみや)という兄弟構成になっている。


 本来なら、司子も御所にいなければならないはずだ。それなのに吹上御苑ふきあげぎょえんの御所を一人で抜け出し、西の丸へ遥々はるばると旅してきたようである。

 道中の各要所で警備に立っている護衛官は、自身の能力でくぐったのだろう。


 連絡を入れて他の護衛官に保護してもらおうかと考えた。けれど、今日はボランティアとしてここに来ているだけなので拳銃や無線機を携帯けいたいしていないと気が付く。

 とはいえ、持ち場を離れるわけにもいかない。結局、司子は素性すじょうを隠して同行させることになった。


 無論、通りかかった巡邏じゅんらの護衛官がいれば連れて行ってもらいたいのは山々だが、そうした場合は司子の《御力》で再度逃げられる可能性が高い。

 身柄みがらを確実に保護するためには、我儘わがままを半ば聞く代わりに近くに居ていただくしか手がないのだ。


 幸いなことに司子も無計画で脱走したわけではなく、きちんと顔を隠すフード付きのがいとう羽織はおっていた。


「あの、宮内庁の方。質問しても良いですか?」

 宮内庁庁舎前の広場で、またツアー客から声をかけられた。最早いちいち訂正する気も起きず、レイは先をうながす。


「あの方たちは、なんですか?」


 そう言って彼が指差ゆびさした方向を見ると、広場を横切る四列縦隊の集団が見えた。なるほど、彼の瞳には異様な光景に映るのだろう。


 四列で整然せいぜんと歩く若い男女。全員が割烹着かっぽうぎに身を包んでいるが、その下は完全に私服だ。

 髪を派手に染めている者などもいて、とても宮中関係者には見えない。されど観光客にしては歩き方が整い過ぎている点が不自然に思える、と彼は言いたいのだ。


 レイは笑顔で答えた。


「あれはボランティアの方々なんですよ、こうきょ勤労きんろう奉仕団ほうしだんと言います。吹上方面に向かっているので、清掃作業でしょう」


 皇居勤労奉仕こうきょきんろうほうしとは、皇居や御用邸で活動する民間ボランティアだ。

 宮内庁のウェブサイトから応募すれば誰でも皇居内に入れるが、当然に遊びではなく清掃活動目的なので、歩き方や所作を宮内庁から指導されたうえで行われる。

 若者たちの歩調が合っているのはそのためだ。


「へー、随分ずいぶんと若い人たちがボランティアに来てくださるんですね」


 この勤労奉仕、元は第二次大戦で空襲くうしゅうされた皇居の瓦礫がれき拾いを学生が自主的に行ったことが始まりであり、一時期は年配の団体ばかりになったそうだが、昨今ではあのように若い有志も多い。


「若い方にも皇室への関心が高まっているのでしょう。ありがたいことです」


 無論むろん、彼らがボランティア精神のもとに集まっている動機に微塵みじんの疑いもない。

 ただ、この皇居勤労奉仕は参加すると、ある特典が宮内庁より与えられる。その特典の中には、天皇皇后両陛下または皇族方にお会いできるという金銭では手にできない体験があるのだ。


 これは文字通り、両陛下がわざわざ奉仕団体の前に自ら姿を見せて感謝の言葉を交わす行為で、「ご会釈えしゃく」と呼ばれている。

 参加団体が後を絶たない理由の一つである。


 四列縦隊で十六行の人々が後に続いていくので、本日の勤労奉仕は総勢六十四名が参加だ。

 レイはうやまいの思いとともに若者たちを見送った。



 後から聞いた話だが、これが事件の始まりだった。

 いつも通り両陛下が奉仕団の方々に謝辞しゃじを述べようと、彼らの前に進み出た。


 次の瞬間。


 ────六十四名のテロリストは一斉に襲いかかった。











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