第一章 ⑦ 影の御役目

「レイ、きんさい」


「うーんんん、ああああ……」

 いつものように、レイのやる気のなさそうな起床音が寮室に響いた。


「ジジイか、あんたは。昨日、遅くまで何してたわけ?」


「漫画読んでた……」

「いや、子供か!」


「あとアニメ見てた」

「いや子供か!」


「司子様が好きだから」

「だから子供か!」と、ツッコミを入れた直後。真顔に戻り、「あ、司子様は子供だ」と納得する真白ましろ皇宮巡査。


 彼女は嘆息たんそくし、まだ寝惚ねぼけ眼のレイに質問してくる。


「呆れた。近頃、やけにアニメだの漫画だのをよく見るなと思っていたけど、あんた殿下と話を合わせるために見ていたわけ?」


「うん」


 堂々とした返答に、真白はさらなる溜息ためいきを吐き出した。


「それで、どうしたの今日は……。休日なのに起こしてくれって昨日言っていたけれど?」


「今日は少し用事があるんだよ」


「へぇー、デートの予定でもあるの?」

 そう言って意地悪げに笑う彼女の顔は、着替え中のレイを見るや間の抜けた表情に変わった。

「……って、あんた、何でスーツ着てんの?」


 ここでは入寮の日に着ただけで、後は半年間ろくにそでを通さなかった就活用のスーツに着替える。記憶よりもサイズがきつい。

 レイは真白の質問に微笑みながら答えた。


「まぁ、デートに行くのにジャージじゃ困るしね」



 *



「……なぜにスーツ姿?」


 華奢きゃしゃな肩に接した毛先を軽く内側に巻いた、ボブスタイルの髪。

 清流のようにんだ大きい瞳を半目にしてこちらを見てくるが、個々のパーツが芸術品の如く美しいのでマイナスの印象を与えない、そのご尊顔。


 いつも通りのワンピース制服を着こなした姿は、まぎれもなく皇孫こうそん司子しのこ内親王殿下だった。

 ──はたから見れば。


 しかし、幾度いくども会話を交わしているレイには、よく観察すれば彼女が本物ではなく偽物。つまりは司子の影武者かげむしゃを務める人間だと、すぐに判別がつく。


「これしか服がないんだよ。それに今日はお休みだけど、護衛官として皇族の近くにいるのならきちんとした格好の方がいいと思ってさ」


 数多の歴史上の人物と同様に、直系皇族である司子にも幾人かの影武者が用意されている。

 骨格の似ている子供を整形し、髪型やメイク、服装、表情と喋り方を御対象ごたいしょうと同一に訓練することで、皇族の身の安全を護衛官とは別の角度から守っているのだ。


 影武者の名はヨリ。

 幼い頃から司子と共に過ごしてきた彼女にも《親子関係》が発現しており、いざとなれば護衛としても行動可能な万能女児である。


 レイにとっては先輩とも呼ぶべき少女が言う。

「今日の予定は知っているの?」


「当番でないと皇族の予定は教えてもらえないんだよ」


「そりゃそうよね。御学友と会って話すだけよ。場所はその友人宅」


「……教えていいの?」


 そんな無駄話をしつつ二人が立っている、ここは赤坂御用地の東宮御所とうぐうごしょ・玄関前。


 赤坂御用地は皇居から近く、東京ディズニーランドよりも大きい庭園内に迎賓館げいひんかんや各皇族の邸宅などが連なる皇室施設だ。

 その中の東宮とうぐう(皇太子の意)御所とは、つまり司子を含む皇太子御一家の住居である。


 立ち話をする二人は、視線を合わせないまま絶えず別々の方向に目を向け続けていた。背後にある玄関以外の全てを警戒監視しているためだ。


 ヨリが問う。

「そういえば、私が教えた殿下のお気に入りの作品は見た?」


「うん。もしかして殿下ってミリオタ?」


「確かに軍事ものが多いけれどね。それ以外にも、名作と呼ばれる作品なら媒体を問わず多くをたしなんでいらっしゃるわ。最近は何だったかな……そう、『ゴッドファーザー』とか見直していたわよ」


「なにそれ」


「名作古典映画。マフィアが何かする話。これ以上はネタバレ注意」


「ヤクザな話か……あまり見てほしくないなぁ。『ローマの休日』とかにしてほしい」


「皇太子妃殿下はそれ大好きだけれど、真似まねして御所から抜け出されて困るのは私たちよ?」


「そうだね」

 レイは苦笑した。司子ならやりかねない。


「……っと、いらっしゃったみたいよ。我らのドンが」

 そう言って、ヨリが御所玄関の方向へ振り返る。

 レイには聞こえなかったが、御所の廊下を歩く司子の足音を感じ取ったのだろう。相変わらず忍者のように鋭い少女だ。


「──おまたせ、二人とも」


「「おはようございます。司子内親王殿下」」

 レイとヨリは、声を綺麗に合わせて司子へ挨拶する。これも訓練の賜物たまものだ。


 玄関から出てきた司子は、普段と同じく重さを一切感じさせない明るめのミディアムヘアを揺らし、大きく力強い瞳で眠たげなまぶたを支えていた。

 ヨリと並べば外見上は瓜二つだが、司子にはマフィアのボス的なオーラがあるので見分けはすぐにつく。


 彼女の後に続いて、妹の蛍宮ほたるのみやも玄関から顔を出した。今日は二人でお出かけになるらしい。


「では殿下、どうかご無事で」

 ヨリは可愛らしい動作で頭を下げる。


 これからヨリは司子が目的地の友人宅にいる事実を隠すため、あえて別の場所に移動して少しだけ身をさらす。

 それが影武者としての御役目なのだ。


 本日のレイは、任務ではないが司子と行動を共にする。

 数日前、今度の休日に予定がなかったら同行してほしいと彼女に言われ、特に断る理由もないレイは承諾した。《親子関係》を確立するため、少しでもそばにいた方が良いというのがその理由である。


 問題は、本部が皇族へのプライベートな付き添いを許可するかどうかだった。

 しかし、司子は「大丈夫よ、相手が断れない申し出をするから」と言って本当に許可を取ってきた。


 どうやって課長の頭を縦に振らせたのか気になるが、知らない方が良いだろうから質問はやめておく。


「あら、別に私服で良かったのに」

 真白やヨリと同じことを言う司子に、レイは少々キザな台詞を返した。


「レディをエスコートするのなら、正装でございます」


 彼女は少し目を見開いたが、すぐに気がついたようで嬉しそうな顔をして言った。

「なるほど。古いけれど、名作ね!」


 今の発言はレイが中二病を発症したわけではなく、司子が好きな漫画に登場する台詞を暗誦あんしょうしたのだ。


 一瞬、通じなかったらどうしようと心配したものの、さすがは司子であった。













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