第九話 旅立

「復讐は終わったのかい?」


 そんな声で、私は目を覚ました。

 真っ白な天井、閉まり切ったカーテン、地べたに座って左右を囲む、首の無い子供達。

 ベッドの足側には、高級そうな革椅子に座ってこちらを見ているモモの姿があった。彼女の左右にも首無しの人間が二人いた。一人はヴィル爺。もう片方は、私が先ほど喰い殺した白装束の男。


 私は震え声で、彼女の問いに答えた。


「……できた、よ」


 モモはそれを聞いて頷き、満足そうに微笑んだ。


「でも————」


 私は続ける。


「まだ、足りない」


 涙が、私の頬を伝った。


「うん、そうだね」


 彼女は、優しく微笑みながら私を肯定する。


「この力を使って、奴らを皆殺しにするまで、私は復讐をやめない——絶対に」


 覚悟を決めた私は涙を拭い、彼女の目を見つめてそう言った。

 次の瞬間、再び私の意識が混濁していく。


「さあ、現実に戻ろう——物語を、続けるために」


 そして、私は再び目を覚ました。


 * * *


 一番最初に目に入ったのは、雲ひとつない綺麗な青空だった。

 少し首を傾けると、そこにはこちらを見下ろしながら涙を流す、ミラの姿が。


 頭が、何か暖かくて柔らかいものに乗せられている。

 私は、彼女に膝枕をされていた。


 朦朧とした意識のまま、腕を使って身体を起こそうとするが、うまく起き上がれない。

 ふと、腹の辺りを見ると、そこには酷い火傷のような跡が残っていた。しかし、規則性があって、どちらかというと印のような——そうだ、私はこれを見たことがある。先の戦闘の時だ。信徒の腹に刻まれていた刺青——それと全く同じ模様であった。


 少しずつ、何があったのかが鮮明に蘇ってくる。焼け落ちた我が家、謎の少女、光、夜明け、森——


 次の瞬間、腹の底から虫唾が込み上がる。咄嗟に首を傾けた私は、ミラの太ももに勢いよく吐瀉物をぶちまけた。そうだ、私は人を喰ってしまったんだ——自分自身に対する嫌悪感と罪悪感で、私は嗚咽する。吐瀉物は、かろうじて人間の内臓の形をとどめていた。


「フィオナ、大丈夫!?」


 そんな私を見て、ミラがそう叫んだ。彼女は慌てて服を脱ぎ、それを膝枕の代わりにして立ち上がった。


「何か、拭けるものは——」


 そう言って、どこか遠いところを見るミラ。その方向に私が目をやると、そこにあったのは焼け落ちた孤児院。そして、そのそばに置かれた大きな盛り土。まさか、あれは——


「ようやく気づいたか——フィオナ、と言ったかな、君は」


 その時、玄関がある方向とは反対側から声が聞こえた。そこにいたのは、先ほどの少女——エリィ。彼女は銀色の長髪をなびかせながら、こちらを見下ろしていた。低身長で、子供っぽい声。それなのに、全く幼さを感じなかった。そんな彼女は、私に手を差し伸ばしながら口を開く。


「ほら、手を貸してやる」


 私は、その手を握ってゆっくりと起き上がった。彼女は、こちらに二枚のハンカチを差し出してから言う。


「何が起こったのか、自分が何をやったのか——覚えているな?」

「うん……全部」

「——そうか」


 ふと、目の前の盛り土に目を向ける。添えられた花。突き刺さった十字架。それが子供たちと白装束の墓標なんだと、私はすぐに悟った。


 涙も、声も出ない。全てが壊れてしまった今、悲しんだ所でどうにもならないのだから。

 

「あなたは……一体何者なの?」


 私はエリィにそう問いかけた。


「私の名前はエリィ。君たち“器”——禁忌魔法の所持者の身柄を保護するために派遣された“回収者”だ」


 ああ、まただ。器だとか禁忌だとか。訳がわからない。一体何が起こったのか、私のこの力が何なのか——


 ——なんで、私たちがこんな目に合わなくちゃいけなかったのか。


「エリィ——私たちに教えてよ。あなたが知ってること、全部」


 私はがそう言うと、彼女は少し悩むようなそぶりを見せた後、私たちに話し始めた。禁忌とは何か、白装束たちの目的は、私たちが襲撃を受けた、その全ての理由を。


 * * *


「まず一つ目に、君たち“器”について」


 彼女は、そう言って私の腹に刻まれた刻印を指差した。


「この世界に八つ存在する、持つ者の願いを、生涯に一度だけ叶えるとされている力——“禁忌魔法”。それを所持する者、あるいは適性がある人間を、私たちは“器”と呼んでいる。その腹の刻印は、禁忌を発現させたものだけに現れる特別なものだ」

「私の、願い……」

「ああ、君があの時感じた“強い復讐心”。それが、あの黒い粘液——“人を殺す魔法”とでも称しておこうか——を生み出したんだ」


 彼女は近くにあった倒木に腰を下ろし、私とミラの姿を正面に見据えてから話を続ける。


「そして二つ目に、君たちを襲った白装束の組織——“牙”について」


 彼女は淡々と説明する。


「彼らは、八つ全ての器を集めることを目的としている謎の宗教団体だ——こちらで調査を繰り返しているが、長の存在はおろか、活動拠点すら判明していない。だが——目的のためなら手段を選ばない。それだけは確かだ」


 その言葉が私の胸に重くのしかかる。手段を選ばない。脅しもせず、ただ最も効率的な方法——“皆殺し”と言う手段で、私たちの存在を炙り出すための餌として、みんな殺されてしまったのか。そう思うと、一度は諦めという感情で収まりかけていた怒りが、また沸々と湧き上がってくる。


「最後に三つ目。私のいる組織——世界連合軍“エクソダス”は、とある目的のために動いている。そう、“物語”の続きを、これ以上描かせないために」


 エクソダス——その名前に、私は多少聞き覚えがあった。確か、世界規模で結集された軍の名前で、ここ数百年の平和を保ち続けている——そんな感じだったはずだ。


「物語——君たちも知っているだろう。“魔女と人間のおとぎ話”を」

「ああ、知っているよ。確か、人間が勇者が八人の魔女を連れて、世界を変えたって言う——」


 ミラはそこまで言って、はっとした顔でエリィの顔を見つめた。同時に、私も真実に気づいてしまう。まさか、あれは——


「ああ——全て、実際に起こったとされている“旧歴史”——その一部始終を描いた物語だ。“八人の魔女”——つまり、君たち八人の器が牙の手に渡り、それが悪用されてしまえば、再び世界の改変が起こってしまう。新たな“神”が生まれてしまう。私はそれを防ぐために、エクソダスから器の保護任務を命じられた」

「で、でも、確証はないんでしょ? 前世なんて、誰にもわかんないんだしさ——」


 引きつった笑みを浮かべながら、ミラがそう言う。確かに、にわかには信じ難い話だろう。だが、私はすでに禁忌という力に目覚めてしまった。“奴らに、復讐させて”——その願いが叶ってしまった以上、私は全てを信じざるを得ない。


「確かに、“確証”はない——だが、“証拠”ならある。ミラ、君も見ていただろう、“信徒”と名乗る異形の化け物に、牙の一人が変貌する様を。あの儀式は、“信徒化”と呼ばれる禁呪。魔法を持たない旧人類“ネフィリム”に自らの体を明け渡して受肉させる、究極の秘技だ」


  そう言って、彼女は説明した。“ネフィリム”——それは、魔法を持たないとされる幻の種族。前世——旧暦で、世界改変の生贄となった副産物的存在。


「現段階での仮説だが——旧暦で世界を変えた人物は、“魔法が当たり前の世界”を望んだとされている——。それならば、魔法を持たない人間だけが生贄となった理由が説明できるからな。世界改変後、本来成功するはずだった彼らの存在自体の抹消が、何らかの要因が重なり失敗に終わった結果、知性と肉体を失ってこの世界の地下深く——深淵に堕ちたとされている。ただ、ここからが問題だ——」


 そう言って、彼女は少しだけ顔をしかめた。


「奴らは、この世界が誕生した遥か昔の時代から、深淵に封じ込められ続けている。だが、生物として進化はつきものだ——奴らはここ数年で、急速に知性を進化させている。先の信徒が良い例だ。今現在危惧されているのは、“封印の解除”。奴らが地下の封印を破ってもしも地上に出てきた場合、ほとんどの人間が“信徒化”し、世界は崩壊を迎えるだろう。そして——その時限爆弾は、もう爆発手前の状態にある。もって、後一年——。そこで君たちの出番だ。私たち通常の魔法使いの攻撃が、実体を持たぬ奴らに届くことはない。だが、“器”なら違う——。禁忌を用いた攻撃は、奴らに当たる。君たちが、世界の命運を握っているんだ」


 少し興奮気味に、彼女はそう言った。


「……ねえ」


 私はその言葉を遮るかのように、突然口を開けた。そして、ゆっくりと歩き出す。もう、今は何も喋らないでほしい。エリィの言いたいこともわかる。世界を救う使命を負っていることも、それまでに残された時間が少なくて、焦っているってことも。でも、今は黙っていてほしい。今だけは。何も考えたくない。


 墓標の前に座り込んだ私は、それを優しく手のひらで撫でた。

 土の中に埋められた、かつての笑顔、暖かな声、小さな手、夢——。その全てがもう戻ってこないんだという現実に、私はただただ打ちひしがれていた。


 震える指先が、静かに土を握る。


 今の私は、ただの抜け殻。中身が空っぽになってしまったその心は、自分で少し触れただけで、脆く、あっさりと崩れてしまいそうであった。


「ねえ……私……わたし……」


 ——こんな私に、生きてる意味は、価値は、あるの?


 そんな答えが出るはずのない問いが、心の中で、何度も何度も廻り続ける。そんな今の私に、復讐以外の生きる希望や意味を見出すことはできなかった。


 私は盛土を強く握りしめた。血が滲むほど、強く、強く。それは、悲しさではなく、自分に対する絶望や呆れに近い感情であった。


 そんな時、私の脳内に一つの言葉が響く。


「……私が、“器”?」


 そう言いながら、私はエリィの方を振り向いた。そして、私は生気の抜けた操り人形のように、ゆっくりと立ち上がる。


 「私……行かないと……ここにいたら、また……」


 言葉が、喉の奥で詰まる。


 ここにいたら、また何かを失うかもしれない。


 だから——


 一歩、

 また一歩。


 私はゆっくりと歩き出し、エリィの元に向かう。


 彼女の元に着くまでの数メートル、その間の数秒は、私にとって数時間にも、数日にも感じるものであった。


「……君はもう、“ただの少女”ではいられない。」


 私の視線が、彼女と交差する。


「君には、器としての使命がある。それは、私と共に、“禁忌魔法”を持つ器たちを見つけ、保護すること。そして、世界の崩壊を防ぐ一員としてネフィリムをこの世から消し去ること。でなければ、この世界は——」


 彼女はそこで一度言葉を区切ってから続けた。


「……再び、“書き換え”られるだろう」


 その言葉の意味は、計り知れなかった。


「先ほども言ったが、禁忌を所持する器は全員で八人、この世界に存在する。君たちは、そのうちの二人に過ぎない。そして今、他の器たちも同様、牙に狙われているだろう」


 その言葉で、私は目を見開いた。


「このままでは、世界が“牙”によって書き換えられ、“ネフィリム”によって世界が奴らに乗っ取られる。そうなれば、君たちの願いも、選択も、全てが無に帰してしまう」


 エリィは続ける。


「器を見つける旅に、私は君たち二人を連れて行く。拒否する権利はあるが——」


 彼女が静かに、だが、はっきりと言い切った。


「君があの力を制御し、その“願い”を叶えるためには、私についてくる道以外はない」


 私の“願い”。

 

 それは、「牙」の連中を皆殺しにした後、再びここに戻ってきて命を断つこと。その“願い”を、エリィがはっきりと理解しているのかは分からない。


 しかし、「復讐」、そして、「贖罪」。

 それらを叶えるためには前に進むしかないと、私は悟っていた。


「行こう、ミラ」


 その言葉を聞いて、ミラが優しく、私に微笑みかける。


「……ああ、フィオナと一緒なら僕……きっと、大丈夫だから」


 その笑みは、どこか痛々しく、でも、どこか安堵したような笑みであった。


「では、旅の始まりだ」


 会話を聞いたエリィがそう告げる。そして、燃え落ちた孤児院と墓標を背に、私たちは歩き出した。

 必死で涙を堪えようと、強く、強く拳を握る。爪がめり込み、皮膚が破ける。

 

 ——痛みすら感じないその傷口からは、ただただ黒い液体が、絶え間なく流れ続けていた。


第一章〈完〉

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