第二楽章 ③ 最後の願い

「な……なに? なんで?」

 エーカは混乱しつつも、やっとの思いで声を発した。


「なんで、ルチアちゃんが帝国語を話してたの? なんで、フルートを持って出て行ったの?」


 娘からの質問に、母は茶化ちゃかすような口調で答えた。

「またエーカの『なんでぇー』が始まったぁ。……心配しなくていいわよ。後で話すから」


 心配しなくていいと言われても、するに決まっているではないか。

 なにせ、ルチアはエーカと同じ十二歳の女の子で、それが制服のスカートをひるがえしながら砲弾の雨降る戦場に出て行ってしまったのだから。


 だが同時に、エーカは自分とは違う〝何か〟を先ほどのルチアから感じ取っていた。立ち上がった彼女の周囲にある空間が、陽炎かげろうの如く揺らめいていたのだ。

 もしかしたら、あれは「気」とか「魔力」とか呼ばれている力ではないのだろうか。


 だとすれば、それを身にまとっていたルチアは──。

 それ以上、エーカは考えたくなかった。


 黙り込んだ娘を見兼みかねたのか、母は両手をエーカの肩に置き、こうささやいた。


「今は何も考えないで。お母さんの声だけに耳をましなさい」


「うん……」


「エーカ、さびしいときとか悲しいときには歌を歌いなさい。元気になるから」


「うん」


「歌声は喉から出ているのではないの。ここから出ているのよ」

 母はエーカの胸に手を置く。エーカもまた、母の手に自らのてのひらを重ねた。


「ここ? 心臓……?」

 歌うように刻まれる鼓動こどう。二つの手で胸の中が温かくなっていくのを感じる。


「そう、歌は人の心から発音するものなの」


「こころ……」

 母の言葉を忘れないように、エーカは呟いた。


「楽しいときに歌うと、楽しい声が出るでしょう?」


「でも悲しいときに歌うと、悲しい歌になるよ」

 言いながら肩を落としてしまった娘に、母は元気づけるように答える。


「それでいいのよ。悲しいときの歌は、悲しい心を外に出してくれているの」


「そうなんだ」


「エーカの夢は、なぁに?」

 母は明るくう。


「うんとねー、トランペットを上手になること……かな」


「そう、いつかお母さんに聞かせてね。楽しみにしているから」


「うん! あっ……」

 エーカは大事なことを思い出した。


「なーに?」


「お母さんの曲、吹けるようになったんだよ!」

 海をただよう遭難者が遠くに島を発見したかのように、エーカの顔に血の色が戻った。


「そう……」


「やくそくだよ!!」


「約……束?」

 母は笑顔を崩さずに聞き返す。


「トランペット、買ってくれるんでしょ?」


「え、ええ。そうだったわね。トランペット、約束だったわね……」


「うん!」


「…………」


「お母さん、なんで泣いてるの?」


「……なんで、でしょうね。エーカが大きく育ってくれてっ、うれしいの、かもしれない」


「………………」


「エーカ、今までつらかったでしょう。ごめんね……」


 エーカは、ひどく困惑こんわくした。

 なぜ母が泣いているのか、なぜそんな言葉を口にしているのか分からなかった。


 ただ、何かに対して母が悲しい思いをしている事実。それにえきれないという思いが胸の中でふくらみ、鼓動を速くした。


「なんで謝るの? お母さんと一緒に暮らせて、すごく幸せだよ?」


 母の涙をどうにかして止めようと、エーカは自分の思いをどもりながらも必死で伝えた。


 わたしは不幸ではないと。辛いことは、一つとしてなかったと。

 お母さんと一緒にいられて幸せだったと。

 しかし、母の涙は止まらなかった。


 もっと自分の心を上手く伝えられたらよかったのだ。母に届く言葉、自分の言いたい思いをしっかりと表現できる手段が欲しいと、切実に願った。

 母を泣かせ、涙を止めることもできない無力な自分がどうしようもなく憎かった。


 くやしくて、なんで自分はもっとできないのだろうと、その想いがほほを伝った。


「うん……。エーカと一緒で、お母さんも幸せだったわ」

 エーカが泣いていると気付いた母が、娘をなぐさめるために涙をこらえてくれた。


「これからも一緒だよ? ね?」


「当たり前でしょ。ずっと一緒よ」


「えへへ、よかったぁー」

 涙をぬぐい、エーカは母に笑顔を見せた。


 それが最後だった。



 *



 娘を抱きながら、エーカの母親──ユーカは小さな窓を見た。

 窓枠の下から上へ、真っ直ぐに光の線が走った。


 軌道から推測して、教会付近に落ちてくる可能性が高い。目で見なくとも、音響力の波動で音弾の所在しょざいは感知できる。

 他にもいくつか、軌道かられて民家を削りながら右往うおう左往さおうする音弾が迫っていた。


 もし、これが最後ならば母として何を伝えるべきだろう。

 いや。考えている時間はない。


 代わりに、ユーカは自分の娘を強く抱き締めた。覆い被さるように丸くなる。

 その瞬間、「生きて」という願いが口からこぼれた。



「生きなさい、英歌えいか……ッ!!」



 何処どこからか、トランペットの音色が聞こえた。


 それを最後に、宮輝みやき癒歌ゆうかの意識は途切とぎれた。







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