第2話 撮影開始

「――はい、カット」

俺がスマホの録画停止ボタンを押した瞬間、目の前の「可憐な乙女」は即座に死んだ魚のような目に変貌した。

「……はぁ。疲れた。今のテイク、ちょっと甘すぎなかった?」

星名莉々花は、先ほどまで俺の口元に運んでいたショートケーキのフォークを、カチャリと皿に投げ捨てた。

「いや、アルゴリズム的には適正範囲だ。クリスマスのカップル動画における視聴維持率は、開始15秒の『のろけ』濃度に比例する」

「あんた、よくその顔でそんな恥ずかしいセリフ言えるわね」

「データに基づいているだけだ。それに、お前の演技は悪くなかった。

特に最後の『クリームついてるよ』と言って俺の唇を指で拭うアドリブ……あれはポイントが高い」

「あ、あれ? あれは演技っていうか、あんたの食べ方が汚すぎて生理的に無理だったから拭いただけなんだけど」

「……そうか。まあ、結果として映像(エビデンス)が撮れれば動機はどうでもいい」


俺は冷静に返したが、内心では少しだけ舌を巻いていた。

こいつ、ナチュラルに「あざとい」行動ができるのか。

計算でやっているなら策士だが、天然でやっているなら……なるほど、前の彼氏が胃もたれを起こしたのも頷ける。


「とりあえず、素材(マテリアル)は揃った。あとは俺の編集次第だ」

俺は残ったケーキを無表情で胃に流し込み、会計のために席を立った。

「え、もう帰るの? せっかくのイブなのに?」

「我々の目的は『復讐』であり『馴れ合い』ではない。

最短最速で動画をアップロードし、初動のインプレッションを稼ぐ必要がある。

お前は家に帰って、俺の指示通りにSNSのアカウント設営を進めろ」

「ちぇっ。ビジネスライクねぇ……ま、いいけど」


莉々花はつまらなそうに頬を膨らませたが、店を出る時には既にスマホを取り出し鬼のようなフリック入力で何かを打ち込んでいた。

おそらく、新しい「鳥籠(アカウント)」の準備だろう。

俺たちは駅前で、互いに「お疲れ」の一言もなく背を向け合い、解散した。

聖夜の街に消えていく彼女の背中は、どこか楽しげに見えた。


帰宅後、俺は自室のPC前に座り、戦闘態勢に入った。

モニターに映し出されるのは、先ほど撮影したばかりの動画データ。

タイトルは仮だが、『【ご報告】私たち、付き合うことになりました♡』で決まりだ。

ベタすぎる? 

いや、YouTubeという戦場では、ベタこそが最強の武器(ウェポン)なのだ。


「さて……オペを開始する」


俺は編集ソフトを立ち上げ、タイムラインに素材を並べていく。

俺のスキルは、単に映像を繋ぐだけではない。

「視聴者がどこで離脱するか」を予測し、コンマ一秒単位でカットを調整する。

不要な間(ま)を削ぎ落とし、テロップで情報を補完し、BGMで感情を誘導する。


だが、作業を進めるうちに、俺の手がふと止まった。

画面の中の莉々花が、俺を見つめて微笑んでいるシーン。

カメラ越しに向けられたその瞳は、潤んでいて、どこか儚げで、守ってあげたくなるような引力を放っていた。


(……チッ。なんだこの画力は)


悔しいが、被写体としてのポテンシャルはSランクだ。

照明も当てていないファミレスの蛍光灯下で、これほど肌が発光して見えるとは。

俺の無機質な編集技術(ロジック)に、彼女の圧倒的な感情(パッション)が乗ることで、画面から異様な熱量が溢れ出している。


「……悪くない。いや、これは『売れる』」


俺はカフェイン錠剤を噛み砕き、深夜のテンションでキーボードを叩き続けた。

フィルター加工、色調補正、そしてサムネイル作成。

サムネには、二人が顔を寄せ合い、今にもキスしそうな瞬間の切り抜き画像を使用。

文字は極太明朝体で『聖夜の奇跡』。

煽り文句は完璧だ。


午前4時。

レンダリング完了。

俺は震える指で「公開」ボタンをクリックした。

賽は投げられた。

あとは、世界がこの「嘘」をどう消費するかだ。

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