美貌×最強の天才陰陽師があまりにも怠惰なので、帝都が妖怪事件で大変なことになっています
@kossori_013
第1話 クズ記者
# 第一章
大正十二年、初夏。
東京の街は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返る深夜になっても、ガス灯の青白い光が路地の奥まで這いずっていた。かつて闇に潜んでいた何かたちは、この冷たい光に追い立てられるようにして、人々の記憶からも消えつつあった。
妖なんてものは、今や子供を脅かすための作り話か、田舎の老人が酒の肴に語る昔話でしかない。少なくとも、文明開化の波に洗われたこの帝都においては、そういうことになっていた。拝み屋だの陰陽師だのといった連中も、今や怪しげな職業の代名詞で、まともな人間なら近づきもしない。
だが。
本郷三丁目の路地裏で、十六の少女が忽然と姿を消したのは、三日前のことだ。目撃者は誰もいない。ただ、現場には彼女の下駄が片方だけ、泥に半分沈むようにして残されていた。警察は家出と断定したが、少女の母親は泣き崩れながら、「あの子は絶対に」と繰り返すばかりだった。暗闇に吸い込まれるように消えた、と近所の者は囁いた。まるで、何かに引きずり込まれたように、と。
その二週間前には、浅草の木賃宿で、身元不明の男の遺体が発見されている。正確には、遺体の一部、と言うべきか。両腕と両脚だけが、まるで几帳面に並べられたように、薄汚れた畳の上に置かれていた。胴体も頭部もない。あるのは、無数の穴が開いた四肢だけ。穴の縁は黒ずんでいて、何かに食い荒らされたようだった。いや、食い荒らされた、というより、内側から何かが食い破って出てきた、そんな痕跡だった。検死を担当した医師は、その晩から三日間、食事が喉を通らなかったという。医師の助手が酒場で愚痴っているのを聞いた者によれば、「まるで、虫に食われたような穴だった」とのことだった。
そして昨夜。神田の交番に勤務していた巡査が、突如として発狂した。勤務中、何の前触れもなく奇声を上げ始め、拳銃を抜いて通行人に向けたのだ。幸い、同僚が取り押さえて事なきを得たが、拘束された巡査は白目を剥いたまま、意味不明な言葉を呟き続けている。「見える、見える、全部見える」「笑ってる、ずっと笑ってる」と。今も病院で拘束されたまま、うわ言のように同じ言葉を繰り返しているという。
この手の話を追いかけるのが、神林慎之介の仕事だった。
二十六歳。帝都新報社会部に籍を置く、三流記者。いや、三流というのは控えめな表現かもしれない。彼が書く記事の九割は、事実を大胆に脚色し、残りの一割に至っては、ほぼ創作と言っても差し支えなかった。ゴシップと嘘と残酷記事。それで神林は、細々とではあるが、飯を食っていた。
「また書いてるのか、神林」
編集部の片隅、煙草の煙が澱んだ空気の中で、神林は原稿用紙に向かっていた。インクの匂いと、誰かが持ち込んだ弁当の残り香が混ざり合って、吐き気を催しそうだった。窓を開ければ外から工場の煤煙が入り込み、閉めれば室内の熱気と体臭がこもる。どちらにしても地獄だ。隣の席の先輩記者が、呆れたような声をかけてくる。
「ああ」神林は煙草を灰皿に押し付けながら、にやりと笑った。「浅草の木賃宿の件だ。見出しは『人食い鬼、帝都に出現か』でどうかと思ってる」
「お前なあ……」先輩は額に手を当てた。薄くなった頭髪を気にしているのか、最近は帽子を脱がない。「警察は動物による損壊って発表してるだろう」
「動物ねえ」神林は鼻で笑った。「あんな綺麗に四肢だけ残して、胴体と頭を持っていく動物がいるもんか。それに、穴の開き方がおかしいんだ。内側から外に向かって開いてる。つまり、何かが中から食い破って出てきたってことだ」
「どこでそんな情報を」
「検死官の助手が飲み屋で愚痴ってたのを聞いた」
「盗み聞きか」
「取材だ」神林は涼しい顔で言った。「それより、神田の巡査の件も追加しようと思ってる。『連続怪奇事件、警察も発狂』ってな」
「お前、そのうち警察から訴えられるぞ」
「訴えられてからが勝負だ」
神林が入社したのは四年前だった。もともと、旧制中学を出て、家業の呉服屋を継ぐはずだった。だが、父親が博打で店を潰し、一家は離散した。神林は路頭に迷いかけたところを、たまたま知り合いの紹介で帝都新報に拾われた。大した学歴もなく、コネもない。配属されたのは、社会部の中でも最も下っ端の、三面記事担当だった。
最初の頃は、それなりに真面目にやっていた。事件の現場に足を運び、関係者に話を聞き、事実を積み上げて記事を書いた。だが、そういう記事は売れなかった。編集長は神林の原稿に赤ペンを入れながら、こう言った。
「つまらん。もっと読者が喜ぶものを書け」
読者が喜ぶもの。
それは、事実ではなく、刺激だった。恐怖であり、驚きであり、怒りであり、不安だった。神林は、そのとき悟った。新聞記者というのは、真実を追求する職業ではない。読者に娯楽を提供する職業なのだ、と。
それからは、話が早かった。
事実に脚色を加え、想像を膨らませ、大仰な表現で読者の興味を引く。そうして書いた記事は、飛ぶように売れた。編集長は満足げに頷き、神林の給料は少しずつ上がっていった。
だが、同僚たちの目は冷たかった。
「恥を知れ」
ある日、同期の記者にそう言われたことがある。その記者は、真面目に取材をして、丁寧な記事を書くタイプだった。だが、彼の記事は売れなかった。半年後、彼は会社を辞めた。最後に神林にこう言い残して。
「お前みたいな奴がいるから、新聞の信用が落ちるんだ」
神林は何も言い返さなかった。ただ、心の中でこう思った。
綺麗事を言っても、腹は膨れない。
それから三年。神林は、三面記事のエースになっていた。ゴシップと嘘と残酷記事。彼の書く記事は、常に読者の期待に応えた。編集部の誰もが、神林の手法を非難しながらも、その売上には目を細めた。偽善だ、と神林は思った。皆、自分が書きたいだけだ。だが、書けないから、神林に書かせている。それで、神林を軽蔑することで、自分の良心を保っている。
神林は、そういう人間たちを見下していた。
だが、最近は、それすらもどうでもよくなっていた。
「なあ、神林」
先輩記者が、煙草に火をつけながら言った。
「何だ」
「お前、このままでいいのか」
「何がだ」
「このままずっと、嘘を書き続けるのか」
神林は手を止めた。先輩の顔を見ると、そこには憐れみのような表情があった。神林は、それが癪に障った。
「嘘じゃない」神林は言った。「可能性を書いてるだけだ」
「可能性、ねえ」先輩は苦笑した。「まあ、いいさ。お前の人生だ」
そう言って、先輩は自分の席に戻っていった。
神林は原稿用紙に向き直った。だが、筆が進まない。
同じような事件が続きすぎている。消える人間、奇妙な死体、発狂する者たち。パターンが見えてしまえば、読者も飽きる。神林自身も、書いていて退屈だった。どの記事も同じような見出し、同じような文体、同じような結末。マンネリだ。
新しいネタが欲しい。
そう思っていたとき、ふと、ある噂を耳にした。
その夜、神林は神田の小料理屋で、警察の下っ端と一杯やっていた。田中という名の、四十過ぎの巡査部長だ。家族を養うために安月給で働き、上司には頭が上がらず、酒でしか憂さを晴らせない男。神林は、そういう男を何人も知っていた。そして、そういう男から情報を引き出すのが得意だった。
「最近、変な事件が多いな」神林は酒を注ぎながら、何気なく言った。
「ああ」田中は杯を空けると、疲れた顔で頷いた。「まったくだ。うちの署も大変だよ」
「神田の巡査の件、あれはひどかったな」
「ああ、川島か」田中は眉をひそめた。「あいつ、まだ病院で暴れてるらしい。何が見えてるんだか」
「何か、心当たりはないのか」
「さあな」田中は首を振った。「ただ、署長がな、妙なことを言ってたんだ」
「妙なこと?」
「ああ」田中は声を潜めた。「陰陽師に相談したって」
神林は、内心で笑いを堪えた。陰陽師。この時代に、まだそんなものを信じている人間がいるのか。
「陰陽師って、あの、式神がどうとかいう」
「そうだ」田中は苦笑した。「俺も最初は冗談かと思ったよ。でも、署長は本気だった。なんでも、本物がいるらしい」
「本物ねえ」
「ああ。で、実際に会いに行ったらしいんだ。非公式でな」
「で、何か言われたのか」
「さあな」田中は首を傾げた。「署長は何も言わなかったが、帰ってきたときの顔が、妙に不機嫌だった。なんか、腹が立つことでもあったんだろうな」
「どこにいるんだ、その陰陽師は」
「本郷のどこかだったかな。詳しくは知らんが」
神林は煙草の煙を天井に向かって吐き出した。
陰陽師、か。
胡散臭い。この文明開化の世の中に、まだそんなものを信じている人間がいるのか。いや、警察の署長が相談に行くとなると、それなりに名の知れた人物なのかもしれない。だが、どうせインチキだろう。式神だの呪術だのと、それらしいことを言って、金を巻き上げる詐欺師に決まっている。
神林は、にやりと笑った。
好都合だ。インチキ陰陽師をこき下ろす記事を書けば、それなりに読者は喜ぶだろう。『帝都を騒がせる怪事件、警察が頼ったのは時代遅れのペテン師』とでも見出しをつければ、面白い記事になる。専門家を叩く記事というのは、読者の溜飲を下げるものだ。特に、胡散臭い連中を叩くとなれば、なおさらだ。
ちょうどマンネリを打破するのに、いいネタじゃないか。
翌日、神林は編集部で、その陰陽師について調べることにした。警察の知り合いに電話をかけ、少し金を握らせれば、住所くらいはすぐに手に入る。金に困っている下っ端は、いくらでもいる。神林は、そういう人間関係を築くのが得意だった。いや、得意というより、それが彼の仕事の要だった。
電話口の声は、最初は渋っていた。だが、神林が金額を提示すると、すぐに態度を変えた。人間なんてそんなものだ。綺麗事を言っても、結局は金だ。
住所は、本郷三丁目の奥だという。
神林は受話器を置くと、席を立った。
「どこ行くんだ」先輩記者が声をかけてくる。
「取材だ」
「また、例の怪事件か」
「いや、今度は専門家インタビューだ」
「専門家?」
「陰陽師だよ」神林は笑った。「警察が頼ったっていう、インチキ野郎をこき下ろしてくる」
先輩は呆れたような顔をした。
「お前、本当に容赦ないな」
「仕事だからな」
神林が編集部を出たのは、午後二時過ぎだった。初夏の日差しが、アスファルトを焼いている。路面電車の音が遠くから聞こえ、人々は暑さに顔をしかめながら歩いている。神林は帽子を深く被り直すと、本郷に向かった。
電車に揺られながら、神林は考えていた。
どういう記事にしようか。
まず、陰陽師の胡散臭さを強調する。時代遅れの職業、科学の時代にそぐわない存在。そして、警察がそんなものに頼らざるを得ないほど、事件が深刻だということを匂わせる。いや、むしろ、警察の無能さを際立たせるべきか。どちらにしても、読者は喜ぶ。
神林は、記事の構成を頭の中で組み立てながら、本郷三丁目で電車を降りた。
本郷三丁目から少し奥まった場所に、その家はあった。
周囲は古い長屋や商家が軒を連ねる、いかにも下町らしい一角だったが、その家だけは妙に目立っていた。いや、目立つという表現は正確ではない。むしろ、逆だ。周囲の喧騒から切り離されたように、静かで、ひっそりとしている。二階建ての日本家屋。外観は特に変わったところもないのだが、なぜか近寄りがたい雰囲気があった。家の前を通る人々は、無意識のうちにその家を避けるように、少し距離を置いて歩いていた。
神林は門の前で一度立ち止まり、家を眺めた。
看板も何もない。ただの普通の家だ。本当にここに陰陽師がいるのか。それとも、警察の下っ端が間違えたのか。
いや、間違いないだろう。この妙な雰囲気。いかにも、怪しげな商売をしている連中が好みそうな場所だ。
神林は、手帳を取り出して、門の様子を書き留めた。古びた木の門、手入れされていない庭、薄暗い玄関。どれも、記事のネタになる。
それから、神林はもう一度、家を眺めた。
この家の主は、どんな人物なのか。
老いた山伏のような男か、それとも、いかにも胡散臭い拝み屋風の男か。どちらにしても、神林にとっては格好の標的だ。
神林は、にやりと笑った。
さあ、どんな嘘をついてくれるのか。楽しみだ。
神林は意を決したように門を叩いた。
▲▲▲
第一話をお読みいただき、ありがとうございました!
次の話では、ついに陰陽師が登場しますよ。
お、やっとか、と、
少しでも興味を持っていただけた方、
いやいや神林もなかなかいいぞ、と
思っていただけた方、
もしよろしければ、ぜひ
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