シミ転生 ~スローライフを望んだ俺が地下帝国の主にされるまで~

かみさん

第1話 滋味水 久木という男

 薄暗い闇の中に炎の赤が揺らめいている。

 ゆらゆらと揺れながら、闇も同じように揺れて、どこか恐怖心を誘うような……そんな果てしない黒が外側には広がっていた。


 その中央には魔法陣が描かれ、周囲には供物らしきものが並べられていて。


『魔王様、今一度命を宿し、我らを導いてくだされぇ……』


 俺——滋味水じみみず 九木くきは儀式の祭壇と化していた。




 ……うん、改めて状況を確認しよう。


 滋味水 九木……これが俺なのは間違いない。

 地味なのに承認欲求はだけは人一倍あって、学生時代は彼女が欲しくて香水を買ってみたり、身だしなみを整えてみたりと頑張って空回りし続けたイタイ奴……。


 自分で自分を痛めつけているみたいで嫌になるな……。

 でも、自分を見失わないためには続けないと……うん。


 だって……。


 俺、今、壁の染みだから。







「……はい……はい……申し訳ありません。今日中には終わらせます。え? 明日? 明日は…………いえ、申し訳ありません。行きます」


 俺は電話を切ると、ため息をついた。


 しんと静まり返った室内は薄暗く、俺以外の人の気配はまったくない。

 それもそのはず。腕時計を見ればすでに時刻は二十三時。定時が十七時なのだから、すでにもう六時間は残業していることになる。


「はぁ……配線はあと一時間位か。穴あけは音出しできないから……明日元請に連絡を入れて——」


 電気工事士——それが今の俺の職業だった。

 なんでエアコンの効いた室内でデスクワークをする予定が、こんなエアコンもない、空気は埃っぽい、毎日毎日体力を限界まで酷使する仕事に就いているのか? それには理由がある。


 本来は大手のIT系に入るはずだったんだ。

 なのに、そこの社長と幹部が会社のお金を使い込んでいて……その結果、社内は大混乱に陥り、俺の募集は白紙になっていた。

 それが三月。大慌てで就活を再開したけど、そんな時期に募集している会社が多いわけもなく……。


 ようやく受けられた面接で「うちは現場に出てる人もいるけど、今回募集してるのは管理だから。多少現場を回ることもあるけど、デスクワークが基本だよ」と言っていたから、それを信じてしまったのだ。

 それに、「電気工事士の資格は国家資格だから、取っておくと手に職を付ける意味でも良いよ」と言われ、その口車に乗せられてしまったのもある。


 たしかに、資格は国家資格だったし、手に職を付けるのも出来た。

 けれど、それが社長の思惑だったんだろう。


 日に日に、手が回らない現場の手伝いに言ってほしいという依頼が増えて、車移動することが増えた。

 そうしているうちに作業自体にも慣れてきて、すでに資格を持っていたこともあってデスクと向かい合っているより工具を持っている時間が増えてきた。

 おかしい……そう思ったこともあったさ。

 それでも、若いうちは作業を経験しておいた方が良いと先輩に言われたこともあって頑張って来たんだ。


 ……結構、面白かったしな。

 そうして、五年の実務経験という条件を満たしたこともあって、一個上の資格を取ったところで俺の待遇は変わってしまった。


 会社で仕事をするのではなく、現場で仕事をするようになった。

 28歳になった今では1戸建て……つまり1軒家を工事を8件担当している。


「しょうがない……明日は朝礼のある現場だし、ネカフェでシャワーと仮眠をとるしかないか……」


 今日中に仕事を終わらせないと、他の業者さんに迷惑をかけてしまう。

 頭は痛いし、体は怠い……体力なんてすっからかんで、休みなんて前に何時とったかも覚えていない。けど、それは他業者の人たちには関係は無いし、なにより頑張ってると言ってくれてコーヒーを奢ってくれるような職人仲間たちを裏切りたくない。

 だから、この仕事だけは終わらせていくべきだ。家には帰れないけど車に着替えは何着か常備しているので、それで対応するしかないだろう。


「よし、やるかぁ……」


 疲れたけど、仕方がない。

 俺は電線を持つと、脚立に上り始める。




 ——そんな時だった。


「あ、れ?」


 グラリと、視界が揺らいだ。

 さすがに連日の睡眠不足が祟ったのかな? と、他人事のように考えていた。


 後になって思えば、なんて呑気だったんだろうと笑ってしまう。

 俺が昇っていたのは六尺……つまり高さにして二メートル弱程度の高さの脚立だったのだから。そして、下はコンクリートだ。


 落下する。

 浮遊感が全身を包み込む中で、視界の端っこに黄色い物体があることに気付く。


 ……ああ、そういえば電話する時にヘルメット外してたんだっけ……。


 今更気付いても、もう遅い。

 

 ――ドスン!


 大きく鈍い音が全身に響いた瞬間、糸が切れたように俺の意識は途切れた。

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