第2話 事件

11月6日 午後2時33分

 その日、高校受験を控えた俺はいつも以上に勉学に打ち込んでいた。こんなことで父に心配をかけるわけにはいかないという思いと、子ども特有の潔癖けっぺきから生じる、どろどろとした大人の争いから目を背けたいという二つの思いが、それを加速させていた。そんな中、教室で授業を受けていた俺を担任と教頭が慌てふためいて連れ出し、こう告げたのだ。


 父が自殺を図った、と。


 到底、そんなことは信じられなかった。数日前まであんなに意気込んでいたあの父が自殺なんてするはずがない。目の前が真っ白になった。それを見ていたクラスメイト達が一斉にどよめき始める。しかし、俺の耳には全く響いて届いていなかった。「とにかく今は一秒でも早くお父さんの元へ行ってあげなさい」という教頭の言葉になんと返事をしたかさえ覚えていない。


 おぼつかない足取りで帰宅した俺を待っていたのは、暗い顔をした祖母だった。まだ三歳にもなっていない弟は何が起こったのか理解していないようだった。お気に入りの犬のぬいぐるみを片手に、口をぽかんと開けてこちらを見ている。その無垢な様子が余計に辛くて、俺は歯を食いしばった。そんな弟に目もむけず、祖母は顔をしかめて言い放った。


「跡継ぎは久彦にやらせる」


          〇


 叫びにも嗚咽おえつにもならない声を出して、俺は家を飛び出した。そのあとのことはよく覚えていない。気が付くと俺はベッドに横たわって、無機質な天井を眺めていた。そこは病院のようだった。左腕から点滴のチューブが伸びている。医者の話によると、俺は近くの川でおぼれていたところを通行人に発見され、一命をとりとめたらしい。意識がはっきりするにつれ、いっそ死んでいた方がマシだったという思いが俺の胸をいっぱいにした。


 しばらく経ったころ、俺のもとに警察がやってきた。こんな状態の俺に事情を話せと言うからその訳を聞いたところ、祖母が頑なに口をつぐんているらしい。木元きもとと名乗った刑事は、俺に続けてこう言った。


「君のおばあさんには口止めをされたんだけどね、これは伝えておかないといけない」


 今日の昼頃、父は母とともに夏目湖なつめこ近辺の崖から車ごと飛び降りたらしい。遺書などは見当たらなかったが、現場の状況からして事件性はないと警察は判断したようだ。不幸中の幸いともいうべきか、意識不明の重体というだけで、父と母は生きていた。市内の大きな病院で手当てを受けているという。面会にはまだ少し時間がかかると刑事は告げた。俺は少しばかり安堵あんどすると同時に、先ほどの祖母の様子を思い返す。身内から自殺者が出たとなれば一族の恥。それどころから母を道ずれにしたというのだから最悪、殺人者にもなりかねない。祖母が俺や弟にも冷たかった理由はこれだったのかと理解した。


「とりあえずまた後日、話を聞かせてください」


 そう言うと木元は足早に病室を後にした。木元が去ってから、俺は考えるのをやめられなかった。頭の中に黒々としたものが芽生えだす。父が自殺なんてするわけがない。あいつがやったんだ。あいつがやったに違いない。あいつが、あいつが父と母を・・・。


 その時、俺は復讐を誓った。


          〇

11月7日 午前10時41分

 特に目立った外傷も見られず、俺は翌日には退院することができた。金は寝ている間に祖母が払っていったそうだ。迎えには誰も来なかった。「若いっていいわねぇ。でも、こんなこともうしちゃだめよ?」という看護師の言葉に俺はうなずくことが出来なかった。

 

 家へ帰ると、見知らぬ車が二台、玄関先に停められていた。居間から聞こえてくる声に、それがすぐに叔父の車だとわかった。瞬間的に殺意が芽生えるのをぐっと抑え、俺は廊下を進んだ。


「やあ、紀一郎きいちろう君。オヤジの葬式ぶりだね」


 居間の横を通った時、叔父がこちらに手をあげて声をかけてきた。隣には叔母がいて俺に軽く会釈する。叔父の前には、祖母と弁護士の男が座っていて、机の上には様々な書類が並べられていた。この弁護士は父と懇意にしていた仲田なかだという男だ。俺はそれを一瞥すると何も言わずに自室へ向かった。


「コラ紀一郎、挨拶くらいせんカァ!」


 祖母の怒鳴り声が後ろから聞こえてきた。それを無視して二階に駆け上がり、自室のドアを思いっきり閉めた。荷物を投げ捨て、ベッドに横たわる。思わず舌打ちをしてしまう。あいつらは敵だ。祖母は叔父に飯倉神社を引き継ぐ手続きをすでに進めているのだろう。自分の息子が死にかけているというのに、世間体ばかり気にしている。それにあの弁護士の男も気に食わない。金にならないとわかった途端、叔父に寝返りやがって。そんなことを考えていると、さっき閉めたはずの扉がゆっくり開くのが目に入った。何かと思って起き上がると、そこには弟の宗二郎そうじろうが立っている。


「にいちゃん、おとぉとおかぁは?」


 そう問う弟を俺は強く抱きしめた。

「大丈夫だ。お父さんとお母さんはすぐに帰ってくる。俺が、必ず連れ戻してやる」

 ほんとぉ?とニコニコと笑う弟に俺は強くうなずいた。

 

 俺は取り返さないといけない。岩祭家を、飯倉神社を。


           〇

 

 その晩、俺は明かりもつけず、自室にこもっていた。外の月明かりがぼんやり部屋を照らす。最初は意気込んでいたものの、復讐の計画はなかなかうまく立てられない。たかが中学三年生の俺にそんなことを考える力があるはずもなかった。


「はーあ」


 思わずそんなため息が漏れ出る。日本人は答えのない問題を解決するのが苦手だ。こないだテレビで見た自称評論家の言葉が頭の中で再生される。俺もその例にもれず、何もできない人間なのかもしれないと気持ちが沈む。


「じいちゃん、助けてくれよ・・・」


 もう届かないとわかっていながらそんなことを呟く。こんな時、祖父ならどうしただろうか。祖父を思い浮かべながら、回転する椅子の上で部屋を見回した。その時だった。本棚の上から二段目、左端にある本が俺の目に留まった。俺は椅子から立ち上がって、本棚に駆け寄った。


『よくわかる! 弓道の基本動作 小目書房おめしょぼう


 俺は大きく目を見開いて声をあげた。


「これだ!」

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