復讐

蓮音

第1話 前触れ

 我が岩祭いわまつり家は、戦国時代より続く萩島はぎしまの豪家だ。もとは武家として栄えたが、江戸時代初期、萩島の象徴ともいえる飯倉いいぐら神社の家系が断絶されたことを機に、神職へと転身し、代々この地を治めてきた。岩祭家が萩島の安寧を祈る気持ちは今も昔も変わらない。お前もゆくゆくは飯倉神社の神主として、萩島の人々の心の拠り所となり、その発展に貢献しなさい―――――


 俺は幼少の頃から祖父にそう教わってきた。祖父はとても優しく、そして強い人だった。その言葉を胸に、私はこれまでどんな苦境に立たされようとも努力を惜しまず、次期岩祭家の当主としての自覚を保ち続けてきた。中学校を卒業する頃には弟もでき、そこに兄としての自覚も加わった。親からとやかく言われたからとか、世間体を気にしていたからとかそんなものではなく、岩祭家を守りたい、萩島の地を守りたいという純粋な気持ちの表れだった。弟の誕生で我が家には新たな活気が生まれ、笑顔の絶えない日々が続いた。これからもこんな平和な日常がずっと続くものだと信じていた。そんな岩祭家に、暗雲が影を落とし始めていることに俺は気づく余地もなかった。


          〇


 一か月前、祖父の善一郎ぜんいちろうが亡くなった。それはあまりにも突然のことだった。ようやく夏の暑さから解放され、少し肌寒さを感じさせるようになった秋の早朝。ドタドタと廊下を慌ただしく走り回る音で目が覚めた。何事かと下に降りた時、俺は状況をすぐに察した。いつも冷静なあの母が目に見えて取り乱している様を俺は初めて見た。


 享年76歳。心疾患による突然死だった。葬儀はその後、すぐに執り行われた。祖母や母は今朝とはまた違った意味で慌てていた。俺には弟の面倒を見るくらいしかしてやれることが無くて、こんな時に子供はつくづく無力だなと悔しかったのを憶えている。


 葬儀には多くの人間が参列したが、豪家とは言え、バブル時代の崩壊も相まって残された財産は限りあるものだったので、資産争いなんてものは起こりようもなかった。問題は飯倉神社の後継者だ。通常であれば、長男である父が神主を引き継ぐ手はずになっていたのだが、祖父の遺言に父・弥一郎やいちろうの名はなかった。代わりに書かれていたのは、二人でよく話し合えという内容だった。二人というのは、父とその弟である久彦ひさひこ叔父さんのことだ。叔父は大学時代に家を飛び出したきり、今日に至るまで萩島の地を離れ、大学で歴史学を研究していた。以前、何かの集まりで顔を合わせたことはあったが、叔父は一族のしがらみを嫌い、いつか当主になることを夢見る俺を憐れむような目で見ていたのを今でもよく憶えている。


 そんな叔父が、祖母によって遺言書ゆいごんしょが読み上げられた後、「俺は当主を請け負うつもりだ」と静かに言い放ったのを聞いて、俺たちは言葉を失った。のちにそういう状況を青天の霹靂へきれきというのだと知った。叔父はもちろんそんなものには興味がないと一蹴いっしゅうするはずだと、一族の誰もが思っていたのだ。そこからは地獄のような言い争いが続いた。これまで家のことを何一つせず、自由に生きてきたくせに権力だけは欲しようとする。そんな叔父のことが父は許せなかったのだと思う。当たり前の話だ。あんな声を荒げて怒り狂う父を見たのはこれが最初で最後だった。祖母の鶴の一声でなんとかその場は収まり、後日、再び話し合いが行われる運びとなった。


 父は地元の商工会や知り合いの弁護士、中には代議士にまで話を持ち掛けて、入念に準備をしていた。最悪の場合、裁判を起こす気だったのだと思う。父の鬼気迫る顔に俺はそらおそろしいものを感じた。その矢先、事件は起きた。

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