第9話 弁当屋視点

# 第九章 弁当屋視点


 地下秘密基地のメインモニターには、警告の赤いランプが点滅していた。電子音が規則的に響き、基地全体が緊急モードに切り替わっている。

 藤堂千代は、コンソールの前で素早く指を動かしていた。彼女の目の前には、無数の計器が並んでいる。基地の防衛システムが、全て起動していた。

「侵入者検知。数は十二。生体反応は……不明?」

 千代は眉をひそめた。彼女の操作する高感度レーダーは、地球上のあらゆる生物を識別できる。だが、今回検知したものは、データベースのどれにも該当しなかった。

「千代、どういう状況だ」

 藤堂巌が、テレパシーで問いかけてきた。無口な親父さんは、地上で最後の客を見送ったばかりだった。彼の声は、いつもと変わらず穏やかだったが、その奥には警戒心が潜んでいた。

「生物兵器みたいなものよ。犬の形をしてるけど、中身は機械じゃないわ。遺伝子操作された何かね」

 千代は画面を拡大した。商店街の各所に潜む、犬のような影。だが、その体温分布は異常だった。局所的に高温になっている部分があり、明らかに自然な生物ではない。

「全員、戦闘態勢に入って」

 千代の声が、基地全体に響いた。彼女の指が、コンソール上を滑る。防衛システムの起動スイッチを、次々と押していく。

 地下基地の奥から、藤堂星菜が駆けてきた。看板娘の彼女は、まだエプロンをつけたままだった。その長い髪が、彼女の動きに合わせて揺れる。だが、よく見ればそれは髪ではなく、無数の触手だった。根元から先端まで、意思を持って蠢いている。

「千代さん、何が起きてるの?」

「地上げ屋たちが、本気で来たみたいね」

 千代は冷静に答えた。画面上で、一匹のK-9が弁当屋に近づいてくる。

「星菜、あなたは地上に残って。万が一、基地に侵入されたら大変だから」

「わかった」

 星菜は頷き、地上への階段を駆け上がった。その後ろ姿を見送りながら、千代は小さく呟いた。

「まったく、せっかく平和に暮らしてたのに」

 一ノ瀬輝が、厨房から出てきた。彼はまだコック服を着ていたが、その顔はすでに変化していた。甘いマスクは消え、代わりに大きな一つ目が顔の中央に開いている。その目は、暗視能力を持つ。わずかな光でも、全てを見通すことができる。

「どうする、千代」

 輝の声は、落ち着いていた。彼は一等恒星国の第三王子だ。戦闘訓練も受けている。こういう状況にも慣れていた。

「まずは自動防衛装置で追い払うわ。電柱に仕込んだレーザー砲があるでしょ。あれで警告する」

 千代はコンソールを操作した。画面上に、商店街の地図が表示される。電柱の位置に、緑色の点が灯った。

「発射準備完了。目標、ロックオン」

 千代の指が、トリガーボタンに触れた。


   *


 地上では、星菜が店先に立っていた。夕暮れの商店街は、いつもと同じように静かだった。最後の客が角を曲がり、姿が見えなくなる。

 その時、一匹の犬が路地から現れた。

 星菜は、その犬を見て眉をひそめた。野良犬にしては、様子がおかしい。動きが機械的で、目の色が不自然だった。

「あら、野良犬さん? お腹空いてるの?」

 星菜は、あえて明るい声で言った。相手が何者であれ、まずは普通に接する。それが、地球で暮らすための鉄則だった。

 彼女は店内に戻り、売れ残った唐揚げを小皿に盛った。それを持って外に出ると、犬は少し近づいてきていた。

「はい、どうぞ。食べていいわよ」

 星菜は皿を地面に置いた。だが、犬は食べようとしなかった。代わりに、その場で黒い液体を排泄し始めた。

 液体は地面に広がり、アスファルトを溶かしていく。そして、鼻をつくような悪臭が立ち上った。

「あら……ちょっと、そこは困るわ」

 星菜は顔をしかめた。この匂い、ただの排泄物ではない。何か化学物質が混ざっている。

 彼女は店内に戻り、モップを取ろうとした。だが、その瞬間、背後で閃光が走った。

 振り返ると、犬が消えていた。いや、正確には灰になっていた。電柱の上部から、赤い光線が放たれたのだ。

 星菜は電柱を見上げた。そこには、わずかに煙が上がっている。自動防衛装置が作動したのだ。

「千代さん、ありがとう」

 星菜は小さく呟いた。だが、安心するのは早かった。

 商店街の各所から、複数の犬が飛び出してきたのだ。


   *


 地下基地では、千代が素早く対応していた。

「第一波、撃破。だけど、まだ来るわ」

 モニターには、十一個の赤い点が表示されている。それらが、一斉に弁当屋に向かって移動を始めた。

「電柱のレーザーだけじゃ足りない。補助防衛システム、起動」

 千代の指が、別のスイッチを押す。すると、弁当屋の屋根から、銀色の球体が飛び出した。

 球体は空中で浮遊し、ゆっくりと回転を始める。その表面には、複雑な回路が刻まれていた。宇宙の技術で作られた、自律型防衛兵器だ。

「自動追尾モード。全目標を排除せよ」

 千代の命令と同時に、球体から複数の光線が放たれた。赤いレーザーが、K-9たちを次々と狙い撃つ。

 地上では、生物兵器たちが弁当屋を取り囲んでいた。彼らは外壁に体当たりし、顎で木材を噛み砕いていく。だが、その度に球体からのレーザーが飛んでくる。

 一匹のK-9が、レーザーに貫かれて倒れた。だが、残りは止まらない。彼らは学習しているのか、レーザーを避けながら攻撃を続けた。

「しぶといわね」

 千代は舌打ちした。自動防衛装置だけでは、全てを排除しきれない。

「輝、星菜、出番よ」

 千代の声が、地上に響いた。


   *


 星菜は、店内で光線銃を手に取っていた。銀色に輝く、細長い武器。宇宙諜報員の標準装備だ。トリガーを引けば、高エネルギーのレーザーが発射される。

 輝も、同じ武器を手にしていた。彼の一つ目は、暗闇の中でも全てを見通す。動体視力は地球人の十六倍以上。どんなに素早く動く標的でも、彼は外さない。

「行くぞ」

 輝が言った。星菜は頷いた。

 二人は店の外に出た。そこには、複数のK-9が待ち構えていた。生物兵器たちは、一斉に二人に向かって飛びかかってくる。

 輝が光線銃を構えた。彼の一つ目が、ターゲットを捉える。引き金を引くと、赤いレーザーが放たれた。

 レーザーは正確に、一匹のK-9を貫いた。生物兵器は悲鳴を上げ、地面に倒れ込む。だが、すぐに灰になり、消えていった。

 星菜も、続けて発砲した。彼女の光線銃から、青白い光が放たれる。別のK-9が、光に包まれて崩れ落ちた。

「あと九匹」

 輝が冷静に数えた。彼の目は、商店街全体を見渡している。K-9たちは、様々な場所から攻撃してくる。

 一匹が、星菜の背後から飛びかかってきた。だが、その瞬間、星菜の髪が動いた。

 いや、髪ではない。触手だ。

 星菜の長い黒髪は、実は強力な触手の集合体だった。それぞれが独立して動き、意思を持っている。触手は素早くK-9に巻きつき、そのまま地面に叩きつけた。

 ゴン、という鈍い音が響く。K-9は地面に激突し、動かなくなった。

「あと八匹」

 星菜は笑顔で言った。だが、その目は真剣だった。

 残りのK-9たちは、より慎重になった。彼らは散開し、死角から攻撃しようとする。だが、輝の目は全てを見ていた。

「右から二匹、左から一匹、正面から三匹」

 輝が言うと、星菜は即座に反応した。触手が複数の方向に伸び、K-9たちを迎え撃つ。同時に、光線銃を連射する。

 レーザーが次々と放たれ、生物兵器たちが倒れていく。球体からの援護射撃も加わり、戦況は一方的だった。

 だが、一匹だけ、攻撃をかいくぐった。

 そのK-9は、窓ガラスを破って店内に侵入した。千代がいる地下基地への入り口を、本能的に察知したのか。

 星菜は慌てて店内に駆け込んだ。だが、K-9はすでに奥へと進んでいる。

「させない!」

 星菜の触手が、一気に伸びた。店内の天井を這い、K-9に追いつく。そして、その体を掴んだ。

 K-9は抵抗した。強靭な顎で、触手を噛もうとする。だが、星菜の触手は、地球上のどんな金属よりも硬い。噛みつこうとしても、歯が折れるだけだった。

 星菜は触手でK-9を持ち上げ、店の外に投げ飛ばした。宙を舞うK-9に向けて、輝がレーザーを発射する。

 生物兵器は、空中で灰になった。

 そして、静寂が訪れた。

 商店街には、もう動くものはなかった。地面には、灰の跡がいくつも残っているだけだった。

 星菜は、ゆっくりと息を吐いた。

「終わった……の?」

「ああ」

 輝が頷いた。彼の一つ目は、まだ周囲を警戒していたが、もう敵はいなかった。

 二人は店内に戻った。地下へと続く階段を降りると、千代が安堵の表情で迎えた。

「お疲れ様。完璧だったわ」

「千代さんのサポートのおかげよ」

 星菜は笑った。だが、その笑顔は少し引きつっていた。

 巌が、テレパシーで語りかけてきた。

「これで、相手も諦めるだろうか」

 千代は首を横に振った。

「無理ね。あれだけの攻撃を仕掛けてきたんだもの。きっと、もっと強力な手段を考えてくるわ」

「でも、私たちの正体はバレてないわよね?」

 星菜が心配そうに尋ねた。

 輝は、少し考えてから答えた。

「K-9にはカメラが搭載されていた。最後に店内に入ってきた個体に、僕の顔を見られた」

「え……」

 星菜の顔が青ざめた。

「つまり、一つ目を見られたってこと?」

「ああ」

 輝は静かに頷いた。

 地下基地に、重い沈黙が流れた。

 一つ目。それは明らかに、地球人ではない証拠だった。もし映像が記録されていたなら、相手はもう気づいているだろう。自分たちが宇宙人だということに。

「どうする?」

 千代が、全員に問いかけた。

 巌は、しばらく考えてから答えた。

「今すぐ地球を離れる必要はない。だが、警戒を強めなければならない」

「でも、もし本当にバレてたら……」

 星菜は不安そうに言った。

「相手は、私たちを研究対象にするかもしれない。捕まえようとするかもしれない」

「その時は、戦うしかない」

 輝が言った。その声は、いつもの穏やかさとは違う、戦士の声だった。

「僕たちは諜報員だ。地球を守るために来たわけじゃないが、自分たちの居場所は守る」

 千代は頷いた。

「そうね。せっかく見つけた、おいしいご飯のある星なんだもの。簡単には諦められないわ」

 星菜も、少し笑顔を取り戻した。

「そうだよね。地球は最高だもん。お弁当は最高だもん」

 巌が、全員を見渡した。

「では、決まりだ。ここに留まる。そして、相手が何を仕掛けてきても、対応する」

 全員が頷いた。

 だが、その時、基地の通信装置が鳴り響いた。

 千代が操作盤に駆け寄る。画面には、見慣れない車両が映っていた。黒いワゴン車が、路地からゆっくりと離れていく。

「あれが、さっきの攻撃を指揮してた車両ね」

 千代は画面を拡大した。車内に、何人かの人影が見える。

「追跡する?」

 輝が尋ねた。千代は首を横に振った。

「いいえ。今は泳がせておきましょう。相手の出方を見るわ」

 ワゴン車は、商店街から遠ざかっていった。そして、夜の闇に消えた。


   *


 地下基地では、再び会議が開かれた。四人の宇宙人と、一匹の看板犬ポチが、円卓を囲んでいる。

 ポチは、外見は普通の柴犬だった。だが、その目には知性が宿っている。彼もまた、宇宙からやってきた諜報員だった。

「ワン」

 ポチが吠えた。だが、それは普通の犬の鳴き声ではなかった。その音波には、特殊な周波数が含まれている。脳に直接作用し、他者を洗脳する力を持つ音だった。

「ポチ、落ち着いて」

 星菜が、ポチの頭を撫でた。ポチは大人しく座り直した。

 千代が、モニターに映像を表示させた。さっきの戦闘の記録だ。K-9たちが次々と倒されていく様子が、様々な角度から記録されている。

「相手は、かなりの科学力を持ってるわ。あの生物兵器、遺伝子操作の技術はかなり高度よ」

「でも、僕たちの技術には及ばない」

 輝が言った。

「あのレーザー兵器、地球の科学では再現できないはずだ」

「それが問題なのよ」

 千代は深刻な顔をした。

「もし相手が、僕たちの技術を欲しがったら? 研究対象として、僕たちを狙ってきたら?」

 その質問に、誰も答えられなかった。

 巌が、ゆっくりとテレパシーで語りかけた。

「最悪の場合、本部に連絡する必要がある」

 その言葉に、全員の顔が曇った。

 本部。宇宙の、遥か彼方にある司令部。そこに連絡するということは、地球での任務が失敗したと認めることになる。そして、強制的に帰還させられる可能性もある。

「それだけは嫌だ」

 星菜が強く言った。

「まだここにいたい。地球にいたい。おいしいご飯を食べたい」

 輝も頷いた。

「同感だ。地球の料理は、宇宙のどこにもない。この星には、まだ学ぶべきことがたくさんある」

 千代は、少し考えてから言った。

「じゃあ、こうしましょう。相手が次に何をしてくるか、様子を見る。もし交渉してくるなら、話し合いもありかもしれない」

「交渉?」

 星菜が驚いた顔をした。

「相手は悪い人たちよ? 地上げで、たくさんの人を追い出してきたんだから」

「それはそうだけど」

 千代は肩をすくめた。

「でも、相手も合理的に動くはずよ。僕たちと戦うより、協力した方が得だと判断すれば、態度を変えるかもしれない」

 巌が、テレパシーで同意を示した。

「その通りだ。地球人は、利益で動く。それを利用すればいい」

 輝は、少し不安そうだったが、最終的には頷いた。

「わかった。でも、油断はしない。いつでも戦える準備はしておく」

「当然よ」

 千代は笑った。

「さあ、今日はもう休みましょう。明日も、お弁当を作らないといけないんだから」

 その言葉に、全員が笑った。

 宇宙人たちは、地下基地から地上へと戻っていった。そして、また普通の弁当屋の家族に戻る。

 だが、彼らの心の中には、新しい不安が芽生えていた。

 自分たちの正体が、バレたかもしれない。

 そして、次に何が起きるか、誰にも分からなかった。

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