第8話 発見

# 第八章 発見


 篠宮零のタブレット端末の画面は、暗闇の中で青白く光っていた。商店街の地図上で、十二個の赤い点が弁当屋を取り囲むように配置されている。彼はワゴン車の後部座席で、その光景を満足そうに眺めていた。隣に座る研究員たちは、緊張で背筋を伸ばしている。

「第一段階、配置完了」

 篠宮は呟いた。その声には、抑えきれない興奮が滲んでいた。

 画面上の赤い点は、それぞれが一匹のK-9を示している。生物兵器たちは、商店街の各所に潜み、じっと弁当屋を見つめていた。街灯の影、路地の奥、駐車場の車の下。彼らは完璧に擬態し、誰にも気づかれることなく待機していた。

「データ収集開始」

 篠宮が指を滑らせると、画面が切り替わった。K-9たちに搭載されたカメラからの映像が、分割画面で表示される。弁当屋の店先、閉まりかけたシャッター、店内から漏れる暖かな光。どの角度からも、弁当屋の様子が監視できた。

「素晴らしい」

 篠宮は小さく笑った。これほど完璧な実験環境は、なかなか手に入らない。実験室での模擬試験とは違う、リアルな状況下でのデータ。それこそが、科学を進歩させる。

 隣の研究員の一人が、おずおずと口を開いた。

「篠宮先生、本当に実行するんですか? あの、人が巻き込まれる可能性が……」

「黙っていろ」

 篠宮は冷たく言い放った。研究員は口を閉ざし、うつむいた。

「お前は科学者だろう? 実験にリスクはつきものだ。それを恐れていては、何も成し遂げられない」

 篠宮は画面に視線を戻した。弁当屋の店先では、最後の客が弁当を受け取り、礼を言って立ち去ろうとしている。いい光景だ。平和で、何も知らない人々。彼らは、自分たちがこれから科学の進歩に貢献することになるとは、夢にも思っていないだろう。

「第二段階に移行する」

 篠宮は画面をタップした。指示が送信され、K-9たちが動き出す。

 まず、一匹が路地から這い出した。その動きは、野良犬そのものだった。弁当屋から十メートルほど離れた場所で、ゆっくりと歩き回る。時折、地面の匂いを嗅ぐ仕草をする。完璧な演技だった。

 しかし、その犬の背中からは、かすかに蒸気のようなものが立ち上っていた。体温調節がうまくいっていないのか、それとも内部機構の発熱か。篠宮は眉をひそめた。

「体温管理システムにエラーか。メモしておけ」

 研究員がノートに何かを書き込む。ペンの走る音が、車内に小さく響いた。

 K-9は、ゆっくりと弁当屋に近づいていく。店先の看板娘が、犬に気づいた。彼女は少し驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。

「あら、野良犬さん? お腹空いてるの?」

 彼女の声が、K-9に搭載されたマイクを通じて聞こえてくる。篠宮は興味深そうに画面を見つめた。

 看板娘は、店の中に戻ると、小さな皿に何かを盛って出てきた。おそらく、売れ残った弁当の一部だろう。彼女はそれを地面に置き、K-9に向かって優しく言った。

「はい、どうぞ。食べていいわよ」

 K-9は、その皿に近づいた。鼻を近づけ、匂いを嗅ぐ。そして、その場で排泄を始めた。

 黒い液体が、地面に広がっていく。

「おっと」

 篠宮は目を細めた。これが、神経毒だ。皮膚に触れれば即座に麻痺し、吸い込めば呼吸困難を引き起こす。K-9の糞尿は、最高の威嚇兵器だった。

 看板娘は、その液体を見て顔をしかめた。

「あら……ちょっと、そこは困るわ」

 彼女は店の中に戻り、モップを持って出てきた。そして、その液体に近づこうとした。

 篠宮は身を乗り出した。これでいい。彼女が毒に触れれば、すぐに倒れる。その光景を見れば、周囲の人間は恐怖し、弁当屋には近づかなくなる。完璧だ。

 だが、その瞬間。

 弁当屋の軒先に取り付けられた電柱から、赤い光線が放たれた。

 光線は一瞬で、K-9を貫いた。犬のような生物は、声を上げる間もなく崩れ落ち、黒い煙を上げながら灰になっていった。地面に広がっていた毒液も、光線の熱で蒸発し、わずかな焦げ跡だけを残した。

 篠宮は、画面を凝視した。今、何が起きた?

「先生、あれは……」

 研究員が震える声で言った。

「レーザーです。電柱から、レーザー光線が……」

 篠宮は舌打ちした。レーザー? あんな古い商店街に、そんな防衛システムがあるはずがない。だが、確かに映像には、電柱から放たれた赤い光線が記録されていた。

「面白い」

 篠宮は笑った。その笑顔には、驚きと興奮が混ざり合っていた。

「予想外の展開だ。だが、たった一匹やられたくらいで諦めるわけにはいかない」

 彼は画面を操作し、残りのK-9たちに指示を送った。

「全機、一斉に突入しろ」


   *


 商店街の各所から、K-9たちが一斉に飛び出した。その動きは統制されており、まるで訓練された軍用犬のようだった。十一匹の生物兵器が、弁当屋に向かって走る。

 篠宮のタブレット画面には、複数のカメラ映像が流れていた。K-9たちの視点から見た世界。揺れる映像、近づいてくる弁当屋の建物、そして、再び放たれる赤い光線。

 電柱からのレーザーが、もう一匹のK-9を撃ち抜いた。生物兵器は悲鳴を上げ、地面に倒れ込んだ。だが、残りの十匹は止まらない。弁当屋を取り囲み、店の外壁に体当たりを始めた。

 ドン、ドン、ドン、と鈍い音が響く。K-9たちの顎が、木材を噛み砕いていく。その力は凄まじく、わずか数秒で外壁に穴が開き始めた。

「いいぞ、いいぞ」

 篠宮は興奮を隠さず、画面を見つめた。

「もっとデータを取るんだ。噛む力の持続時間、壁材に対する有効性、全て記録しろ」

 研究員たちは慌てて端末を操作し、データを記録していく。車内は緊張と興奮で満ちていた。

 だが、その時、弁当屋の屋根から何かが飛び出した。

 それは小さな球体だった。表面は金属的な光沢を持ち、空中で回転しながら浮遊している。球体から、複数の細い光線が放たれた。レーザーだ。今度は電柱からではなく、その球体から。

 光線は正確に、K-9たちを狙い撃った。一匹、また一匹と、生物兵器が倒れていく。その精度は驚異的だった。動き回るK-9たちを、球体は正確に追尾し、一発で仕留めていく。

「何だ、あれは」

 篠宮は画面に顔を近づけた。球体の表面には、複雑な模様が刻まれている。それは、地球上のどの技術にも似ていなかった。

「先生、あの技術は……どこの国の?」

 研究員が尋ねた。篠宮は首を横に振った。

「知らない。だが、面白い。非常に面白い」

 残ったK-9は、もはや五匹だった。彼らは弁当屋の中に侵入しようと、必死に壁を破壊していた。だが、球体からのレーザーは容赦なく、次々と彼らを撃ち落としていく。

 最後の一匹が、ついに弁当屋の中に入り込んだ。窓ガラスを破り、店内に飛び込む。篠宮は息を呑んだ。これで、弁当屋の人間と直接対峙する。K-9の攻撃能力が、実際に人間に対してどれほど有効か、ついにデータが取れる。

 だが、店内に入ったK-9のカメラ映像は、すぐに途切れた。

 画面に映ったのは、光の洪水だった。

 複数のレーザー光線が、K-9を包み込む。生物兵器は、抵抗する間もなく蒸発した。その最後の映像には、店内の様子がわずかに映っていた。無口な親父が、手に何か銃のようなものを持っている。きっぷのいいおばさんも、同じような武器を構えている。看板娘は、その長い髪を揺らしながら、何かを叫んでいた。

 そして、映像は完全に途切れた。

 篠宮のタブレット画面には、もはや赤い点は一つも残っていなかった。十二匹全てが、殲滅されたのだ。

 車内は、静寂に包まれた。研究員たちは、呆然と画面を見つめている。篠宮だけが、笑っていた。

「ははは、はははは!」

 その笑い声は、車内に響き渡った。まるで、最高のプレゼントをもらった子供のように、彼は笑い続けた。

「素晴らしい! なんて素晴らしいんだ!」

 研究員の一人が、恐る恐る尋ねた。

「先生、これは……失敗ですよね?」

「失敗?」

 篠宮は笑いを止め、研究員を見た。その目は、狂気に満ちていた。

「これは失敗じゃない。最高の発見だ。あの弁当屋には、未知の技術がある。あのレーザー、あの球体、あの武器。どれも地球上のどこにもない技術だ。これは……宝の山だぞ」

 彼はタブレットを操作し、録画された映像を巻き戻した。電柱からのレーザー、浮遊する球体、店内の武器。それらを何度も何度も見返す。

「データは十分に取れた。K-9たちの反応速度、攻撃パターン、防御システムに対する耐性。全て記録されている。そして、何より……」

 篠宮は画面を拡大し、店内に映った人々の姿を凝視した。

「あの弁当屋の厨房にいた青年。よく見ろ」

 研究員たちが画面を覗き込む。厨房のお兄さんが、一瞬だけカメラの方を向いていた。その顔は、おかしかった。目が一つしかない。大きな、円い目が、顔の中央に一つだけ。

「これは……」

 研究員の一人が、息を呑んだ。

「人間じゃない……」

「そうだ」

 篠宮は満面の笑みを浮かべた。

「あれは人間じゃない。何か別の生物だ。もしかすると……いや、間違いない。宇宙人だ」

 その言葉に、車内が再び静まり返った。宇宙人。そんな馬鹿な。だが、あの技術、あの姿。地球上のどこにもないものだとしたら、説明がつく。

 篠宮は、もう笑ってはいなかった。彼の顔には、真剣な表情が浮かんでいた。それは、獲物を見つけた狩人の顔だった。

「これは報告しなければならない。白金社長に、すぐに」

 彼は携帯を取り出し、番号を入力した。呼び出し音が数回鳴り、すぐに繋がった。

「篠宮だ。緊急の報告がある」

 電話の向こうから、冴の冷たい声が聞こえてきた。

「結果は?」

「全滅だ。K-9は全て破壊された」

 一瞬の沈黙。そして、冴が低く言った。

「無能が」

「待て。話は最後まで聞け」

 篠宮は興奮を抑えながら続けた。

「弁当屋には、未知の防衛システムがある。レーザー兵器だ。しかも、地球上のどの国も持っていない技術だ。そして……店の人間は、人間じゃない」

「何を言っている」

「宇宙人だ」

 篠宮ははっきりと言った。

「あの弁当屋の連中は、宇宙人だ。厨房の男の顔を見た。目が一つしかない。しかもあの技術。地球外の存在としか考えられない」

 電話の向こうが、また沈黙した。だが今度は、違う種類の沈黙だった。冴が、情報を処理している沈黙だ。

「証拠はあるのか」

「映像がある。K-9のカメラが、最後に捉えた」

「すぐに送れ」

「わかった」

 篠宮は通話を切り、映像ファイルを冴に送信した。数秒後、送信完了の通知が表示される。

 篠宮は窓の外を見た。商店街の方向から、サイレンの音が聞こえてきた。おそらく、誰かが警察に通報したのだろう。だが、もう遅い。現場には、灰になったK-9の残骸しか残っていない。証拠は何もない。

「撤収するぞ」

 篠宮は研究員たちに命じた。ワゴン車のエンジンがかかり、ゆっくりと路地を抜けていく。

 車内で、篠宮は一人、笑っていた。今日は失敗ではない。むしろ、大きな収穫だった。宇宙人。地球外生命体。それを手に入れることができれば、彼の研究は新たな次元に到達する。

 彼は窓の外を流れていく街並みを見つめながら、呟いた。

「必ずサンプルにする。必ずな」

 その声には、執念が込められていた。科学者としての好奇心と、マッドサイエンティストとしての狂気が、一つに溶け合っていた。


   *


 翌朝、白金冴の執務室では、緊急の会議が開かれていた。出席者は冴と篠宮、そして数名の腹心の部下たちだけだった。

 会議室の大きなスクリーンには、昨夜の映像が映し出されていた。電柱からのレーザー、浮遊する球体、そして、一つ目の男。

 冴は腕を組み、無表情でスクリーンを見つめていた。その横で、篠宮が興奮を隠さずに説明を続けている。

「見てください、この技術を。レーザーの精度、エネルギー効率、どれを取っても現代科学の水準を遥かに超えている。そして、この一つ目の男。明らかに人間の構造とは異なります」

 腹心の一人が、疑わしげに言った。

「だが、宇宙人だなんて……本当にそう言い切れるのか?」

「他に説明がつくか?」

 篠宮は鋭く反論した。

「あの技術、あの外見。地球上のどこを探しても、こんなものはない。結論は一つだ。宇宙人だ」

 冴が、初めて口を開いた。

「篠宮の言う通りだ」

 その声は静かだが、確信に満ちていた。

「あれは宇宙人だ。そして、我々にとってこれは問題ではなく、チャンスだ」

 腹心たちが、冴を見た。

「チャンス、ですか?」

「そうだ」

 冴は立ち上がり、窓際に歩いていった。朝日が、彼の白いスーツを輝かせている。

「宇宙人がこの地球にいる。それも、我々の目と鼻の先に。彼らの技術を手に入れることができれば、白金グループは世界を支配できる」

 篠宮が、嬉しそうに頷いた。

「その通りです。あの技術があれば、軍事、医療、エネルギー、全ての分野で革命を起こせます。利益は天文学的な数字になるでしょう」

 だが、腹心の一人が慎重に言った。

「しかし、相手は強力です。K-9を全て殲滅するほどの戦力を持っています。正面から戦えば、我々が負ける可能性も……」

「戦う必要はない」

 冴は振り返り、冷たく笑った。

「交渉すればいい。彼らが何を望んでいるのか、探ればいい。そして、取引をする」

「取引、ですか」

「ああ。宇宙人といえども、何か目的があってこの地球にいるはずだ。その目的を知り、我々が協力できることを示せば、技術を譲り受けることも可能かもしれない」

 篠宮が、興奮した声で言った。

「いいですね。そして、もし交渉が決裂したら、その時は実力行使だ。今度はもっと強力な兵器を投入します。K-9など序の口です。私には、まだ使っていない切り札がいくつもあります」

 冴は頷いた。

「だが、今は待て。まずは情報収集だ。あの弁当屋を監視しろ。彼らの行動パターン、目的、弱点。全て洗い出せ」

「了解しました」

 腹心たちが一斉に頷いた。

 会議は終わり、人々が部屋を出ていく。最後に残ったのは、冴と篠宮だけだった。

 篠宮は、まだスクリーンを見つめていた。一つ目の男の映像を、何度も何度も見返している。

「篠宮」

 冴が声をかけた。

「あまり前のめりになるな。宇宙人を研究したい気持ちはわかるが、まずは慎重に行動しろ」

「わかっています」

 篠宮は振り返り、笑った。その笑顔は、まるで子供のようだった。

「でも、我慢できますかね。あんな面白いサンプルが目の前にいるのに」

 冴は何も言わず、ただ窓の外を見た。商店街の方向を。あそこに、宇宙人がいる。この星にはいないはずの存在が、小さな弁当屋で、普通に生活している。

 冴の口元に、小さな笑みが浮かんだ。

「面白くなってきたな」

 彼は呟いた。

 新しいゲームが始まろうとしていた。

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