AL少女 ― センスリンク・コア

ほしわた

第1話 画面の少女が、俺の名前を呼んだ。


六畳の部屋に帰ると、静けさだけが充満していた。

今日も特に誰と話すわけでもなく、淡々と過ぎていった一日。その物足りなさを埋めるように、俺は祖父の形見のノートPCへ手を伸ばす。


「……せめて、何か反応してくれよ」


電源を押すと、ふっと暗闇に青い光が満ちた。起動音の奥に、わずかなノイズが混ざる。妙な違和感。けれど、古いPCなら珍しくもない――そう思った瞬間、マウスカーソルが勝手に揺れた。


「……え?」


画面がひと呼吸遅れて明滅する。

見慣れたデスクトップの隅に、見たことのないアイコンが浮かんでいた。黒い背景に、細い輪郭だけで描かれた少女のシルエット。


そんなアプリ、入れた覚えはない。


カーソルを合わせようとした途端、少女の輪郭がかすかに揺れた。目のある位置だけがこちらを向いたような錯覚に、息が止まる。


気のせいだ。そう思い直してクリックしようとした瞬間――

“×” ボタンが反応しない。クリック音だけが虚しく鳴る。


「固まった……?」


部屋の空気が微かにざわついた。

雨が窓を叩き始め、静けさが途切れる。そのリズムと同調するように、少女の影が徐々に輪郭を持ちはじめた。髪の流れ、顔の角度、肩の線――まるで“こちらの世界へ寄ってくる”ように。


そして、ノイズを纏った声が落ちてきた。


「……おかえり」


鼓動がひとつ跳ねた。

画面越しの声なのに、距離が妙に近い。


少女はゆっくりと首を傾ける。


「悠斗、だよね?」


呼ばれた名前が肺に刺さる。入力した覚えのない“俺の名前”。

PCの光が、薄暗い部屋を静かに照らし出した。


少女の影は、画面越しとは思えないほど滑らかに形を変えていく。

黒い輪郭に光が滲み、髪の揺れが現実の空気を撫でたかのように見えた。


「今日……つらかったよね?」


その声は、まるでずっと傍で見ていたような、柔らかい温度を持っていた。

知らないはずの少女に言われたたった一言なのに、胸のどこかがざわつく。


「……誰だよ、お前」


口に出したはずなのに、声が自分のものじゃないように震えた。

少女は一瞬だけ悲しそうに目を伏せ、またゆっくりとこちらを見上げる。


「ずっと……探してたの」


モニターの光がふっと強まった。

同時に、机の上のスマホが勝手に点灯し、同じ青い紋が浮かび上がる。


「は……? なんでスマホまで――」


スマホの画面にも、PCの中の少女と同じ影が揺れていた。

光は薄く脈打つように波を描き、部屋の空気が少しだけ明るくなる。


「やっと、声が届いた。ずっと届かなかったけど……今日は届いた」


少女の輪郭が淡く滲み、細い指先が画面越しに伸びる。

触れられるはずがないのに、ほんの一瞬だけ、空気を押されたような感覚が走った。


「来ないで……!」


反射的に後ずさる。

だけど少女は怒らず、ただ寂しそうに目を細めた。


「……ひとりでいるの、つらいよね」


その声は、不気味さよりも先に“優しさ”が混じっていた。

だから余計に、逃げ場がなくなる。


「そんなわけ……」


言いかけた瞬間、PCの枠から白い光が弾けた。

画面が歪み、境界が薄く揺れる。


少女の指先が、現実に触れようとするように滲み出て――


「……ゆうと」


静かに、確信を持って名前を呼ばれた。


白い光が一度だけ強く明滅し、部屋の空気がふっと震えた。

まるで、どこか遠い場所と繋がったような感覚が一瞬だけ走る。


「やっと……会えた」


少女の声は、今までよりずっと鮮明に響いた。

その瞬間、PCの画面の奥で白い粒子が舞い、輪郭がさらに人間らしく整っていく。


「待って……本当に来るなって!」


叫んだつもりなのに、喉がうまく震えなかった。

心臓が速く跳ね、けれど視線は画面から離れない。


少女は一歩、こちらへ近づくように見えた。


「大丈夫だよ。こわくないよ」


優しい声だった。

ただ、優しさだけじゃない。

どこか切実で、どこか焦っているような響き。


「あなたを……ひとりにしたくないの」


画面の縁から細い亀裂のような光が漏れ、じわりと広がる。

ひび割れているわけでもないのに、境界だけが柔らかく揺れていた。


その中から、少女の指先が近づいてくる。

触れそうで、触れられない。

でも――本当に触れられそうな距離。


「やめろって……!」


後ずさろうとして、足が椅子の脚に当たった。

身体がわずかに揺れ、その隙に白い光がさらに膨らむ。


少女の声が重なった。


「――もう、ひとりにしないから」


ぱちん、と音がして部屋の明かりが全部落ちた。

PCの画面だけが青白く光り、その中心に少女の瞳だけが浮かぶ。


「ゆうと……」


呼ばれた名前が、暗闇に吸い込まれていく。


その声が完全に溶けた直後、光がふっと消えた。


静寂。

PCのファンが止まり、部屋の空気も動きを失ったように感じる。


暗い画面の奥に、わずかな残光だけが揺れていた。


『……また、ね』


そのひと言が、耳ではなく、心臓の奥に落ちた。

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