第7話 白豚君、アルバイト初日①


 ――7月23日。夏休み8日目。



「雇用契約書は確認したわ。さすが都ね、仕事が早い」


 開店前の安西食堂。店内で契約書を交していた。未成年ということで、保護者の同意が必要――というよりも、美晴さんと母さんでとっとと決めたらしい。時給1100円というのも、かなり良心的と言える。ただ、それ以上に魅力的なのはまかない付きということ。美味しいは正義だ。


 それは兎も角。僕の膝の上に乗る鳴ちゃん。右に明比ちゃん。そして左に安西舞夏さん。なんだろう、この贅沢なラインナップは。


 それでいて、安西さんがどことなく不機嫌に見える。やはり、白豚に大切な妹を任せるのは不安なのだろうか?


 少し離れた席で、音哉君が面白いものを見たと言わんばかりに、ニヤニヤしている。孔君は不在。何より安西安蔵アンアン氏――もとい、大将がさらに不機嫌に見えた。


「大将、寝不足ですか? 夏バテしちゃいますよ。いかに夫婦仲が良いとはいえ、夜はほどほどに――」

「お前のせいだよ! 朝から子どもの前で露骨なトークかますなしっ!」


 ジョークで場をやわらげようとしたが、失敗だったらしい。新汰先生、やっぱり僕には100年早いようでした。


「パパはね、娘を横取りされた気分になっているだけ。更年期でちょっと不安定なのもあるかな。あまり気にしなくて大丈夫だからね。それと昨日、どちらかと言うと、アンアン鳴いたのはパパの方だったから」

「分かりました」


「分かるな! 美晴さんもそういうこと言うのヤメテ! それに俺、まだ若いし!」

「大将、大丈夫です。なんとなく察していました」

「全然、大丈夫じゃないからな?!」






 ――閑話休題そんなこんなで







「それじゃぁ、今日からよろしくね」

「あ、はい……」


 それは良いのだが、安西さんから送られる視線が痛い。そして、なぜかTシャツの裾を掴まれる。ちなみに僕のTシャツは毛筆書体で【猪八戒】とデカデカと書かれているデザイン。


 僕は格好良いと思うのだが、新汰曰くセンスがご臨終らしい。オシャレ道は一日してならずということか。深い。深すぎる。


 なおこのTシャツを買ってくれたのは母さんだ。

 母さんは元アイドルだが、センスは並以下。もちろん僕も。親子で、専属スタイリストの上川さんにはよく怒られている。まぁ白豚にオシャレを求めちゃいけないと思うの。これ、真理。極致。


「……」


 それにしても、安西さんの視線が強い。痛い。怖い。さすが一匹オオカミと言われている安西さん。目力が強い。それでいて、シャツの裾を離さない。これはどう解釈したら良いのだろう。


「舞夏、めちゃくちゃ怒ってない?」

「パパでも分かるレベルよね。白都君の前なら素直になれるていると言えるけど」

「おい、坊。あんまり舞夏をエロい目で見るなよ。思春期の娘はデリケートなんだから――」


 大将、美晴さんに中華鍋で頭を叩かれた。どうやら、その回答は不正解のようです。それにしても良い中華鍋だ。我が家にも欲しい。


「お姉ちゃんはね、めいのことが羨ましいんだよ」

「ん?」


 僕は捻る。お膝で抱っこの鳴ちゃんを見るが、いまいち分からない。


「あ、あの……安西さん……?」

「「「「「はい」」」」」


 安西家、全員が返事をする。なお元プロレスラー極悪アンアンは、現在ダウン中につき除外。それにしても……あ、いえ、うぇ? 安西さんの不機嫌さに磨きがかかっているんですけど?! 明比ちゃん、へるぷみー! 哀れな白豚めを助けて!


「だって、お兄ちゃん。私や鳴のことは名前で呼ぶでしょ? でもお姉ちゃんのことは名前で呼んでくれないお、ダメだと思うの」


 Oh。6歳に窘められた白豚でした。


「別にそんなことで怒ってないし……」


 そう言いながらTシャツ引っ張るの止めて。のびるっ、のびるから! 猪八戒がっ!


「じゃぁ、これからは音哉君を2号、安西さんを3号と――」

「囚人番号みたいで新鮮だね。姉さんに手錠プレイ?」


 音哉君! 君は冷静になんてことを言うの! 大将、耳だけでピクピクと反応しない!


「確かにそうよね」


 美晴さんは得心したとばかりにコクンと頷く。


「これから毎日、顔を合わせるんだもん。名前で呼び合うぐらい、しても良いんじゃない?」

「しょ、それは業務命令というヤツでしょうか……?」


 噛んだ。しまらない。


「まさか? 円滑な業務遂行のための確認作業よ。だって、どう呼び合うかって、大事じゃない。ねぇ、舞夏?」

「うん、大事。すごく大事。絶対、大事。命より最優先すべき命題。めっちゃ大事」


 安西さん、食い気味。でも、最優先事項を間違っている気がするんだ。


「舞夏は白都君のことをなんて呼ぶの? できるだけ親しみがもてる呼び方が良いんじゃない?」

「ん……にぃ――いや、あの……その、はくって呼んでも良い?」


 そんな顔を真っ赤にしながら、無理に言わなくてもって思うけど。〝はく〟なんて今まで呼ばれたことがなかったから、むしろ新鮮だて思うけれど。


「えっと……それじゃぁ、僕は【姉御】とお呼びしてもよろしいでしょうか?」


 一匹オオカミなんて言われている安西さんだが、弟・妹想いなことはイヤという程、感じている。白豚ボクも舎弟として誠心誠意、お仕えする所存でござ――いやす?


 あれ、空気が冷たい。

 冷房の温度、下げました?

 安西さんの眼差しが冷たい。寒い。絶対零度すぎる!


「あ、あの……?」

「却下。全然、親しみを感じない。せめて、私が『ハク』って呼ぶのと同じくらいの、オーブンさが欲しい」

「えぇぇぇ?」


 難題である。どうしろというのだ。ただ、と思い返す。彼女はお店のお手伝いが主だ。その間の子守シッターがボクの主な任務。そこまで思い詰めなくては良いのでは、と切り替える。


「えっと……じゃぁ、舞夏さんだから。マイマイはどうですか?」


 脳のリソースをフル稼働した回答。どうでしょう?

「マイマイって、カタツムリのことですよね?」


 音哉君、君ってば容赦ないね!?


「ちなみに姉さんは、虫全般が苦手なんですよ。だから、そこは避けた方が良いかと思います」


 Oh……今回もアドバイスありがとう! 僕も虫は苦手だよ。奇遇だね! Hey,ブラザー!


「私は別にマイマイでも良いけど……」

「考える、考えるからちょっと待って!」


「マリアンヌとかどう?」

「明比ちゃん、ナイス!」

「脱日本人ですね。舞夏の欠片もない気がします」


「じゃぁ、ちょびカワ!」

「鳴ちゃん、可愛いよね! あのキャラ!」


 なんだかちょびっと小さくて不思議なベリー可愛いキャラクター達。ちょびカワは、小さなお友達に大人気なのだ。


「最早、姉さんとの関連性はゼロですよね」

「鳴のことは名前で呼ぶのに。私のことは呼んでくれないの?」

「うぐっ……」


 音哉君と安西さんのツッコミに、僕はタジタジで。


「……な、名前呼びなんか絶対に許さねぇか――ぐふっ」


 極悪アンアン。再び、中華鍋の鉄槌の前に沈む。うわぁ、あれは痛いよね。






「ねぇ、ハク?」


 その笑顔ズルい。ズルすぎる。

 学校でだって、そんな笑顔を見せたことないでしょう?



「ハクは、私をなんて呼んでくれるの?」




■■■





 さらに続いた押し問答の末――。

 家族会議で、反対1、賛成多数で僕は安西さんを「舞夏」と呼ぶことが決まったのだった。なお、当然ながら僕に投票権はありませんでした。








________________


【とあるお母さんの呟き】


「舞夏、がんばれ。敵はかなり手強いわよ」

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2025年12月9日 12:30

【カクヨムコン11連載版】この夏、僕たちは「こい」という字をまだ知らない 尾岡れき@猫部 @okazakireo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画