第3話 今世は縁が切れないように
八島電子。
この時代は、まだ国を代表するような大企業であるこの会社は、近い将来に経営不振にまで陥ってしまう。
1周目の人生でも、経営一族との縁こそ切れてしまったが、俺とまったく関わりが無かったわけじゃない。九重グループに就職した後、この企業が開発したとある製品が、俺の出世の一因になったからだ。
とはいえ、やはり今の関係が決して良いとは言えない。
それは現会長である
父親が斡旋する数々の縁談に嫌気が差した母が、俺の父といわゆる駆け落ちをしたためだ。
その証拠に、今回の集まりにも俺の父の同行は許されなかった。
でなければ、しがない小説家であるおれの父は、こういった滅多にない場には、嬉々として来たに違いない。
家にあった中でも上物の服を着て、八島家に赴くと、貴族と呼ばれるに相応しい内装と、アンティーク家具に圧倒される。
食堂には、長いテーブルに、親戚である八島一族が座っていた。
「
美津とは、俺の母のことだ。
見ての通り、明らかに歓迎していない言葉を投げてきたのは、八島会長の長男にあたる八島
その横には、彼の子息である八島
最後に、次男である八島
「二人とも、座りなさい」
緊張する母に、一族の党首であり八島電子の会長である八島霞外が毅然と呼びかけた。
その言葉に促されるまま、豪華な料理の並べられたテーブルに着く。
母さんへと向けた冷たい視線を見るに、親子関係の改善は相当難しそうだ。
張り詰めた空気でする食事会は、まるで残業で集った会議室だった。
俺にとっては慣れたものだが、こんな雰囲気で食事を楽しむことなんてできない。
そんな時、この重い空気に一石を投じたのは、伯父の中也だった。
「そういや父さん、空也を帝門学園に入れてもらうって話、どうなっていますか? ご配慮いただけるんですよね?」
「っ!?」
中也の息子である空也もそろそろ高校受験を考える年頃だろう。
だが、まさか「帝門学園」という単語が出てくるとは思わなくて、思わずむせるところだった。
「空也の受験に便宜を図ることはない。そのように以前にも言ったはずだがな」
「し、しかし……八島家の跡取りをその辺の高校に入れるわけには―――」
俺と違い、空也は八島という苗字を背負っている。
本来、受験などせずにエスカレーター式で大学まで進めるはずなのだが、帝門学園出身という肩書きには、それだけの箔があるということか。
「帝門に裏口入学はありえん」
しかし、おじい様の態度は変わらなかった。
「父さん、私が何も知らないとお思いですか? 帝門学園には、推薦枠があるのでしょう? 受験は飾りも同然で、上流階級の子息のほとんどが、推薦枠だと聞きましたよ」
「……それは間違いではないな」
おいおい、マジかよ。困ったことになった。
それなら、普通に受験していい点数を取っても、落ちる可能性があるということか。
受験が飾りということは、一般枠の合格基準が不透明だと言っているようなものだからな。
「だが、儂は推薦枠など使わなかった」
「その結果、私は落とされたじゃないですか! 息子に苦労させたくないと必死になるのも、理解してください」
「……美津は受かっただろう?」
「……ッ」
その返答に、伯父は歯を食いしばるように押し黙った。
これもまた驚きの真実だった。
母さんが帝門の出身だって? しかも、この空気からして長男と次男は落ちている。
だとすれば、兄妹の中で一番優秀だったのは母さんだったんじゃないか?
……やけに伯父が母さんを揶揄する理由に、段々と察しがついてきた。
この人は優秀な妹にコンプレックスがあるんだろう。
(読めてきた……つまり、俺と母さんを呼んだのも、このためか)
恐らく、伯父のこの弱点を突くために呼ばれたのだ。
伯父が以前からおじい様に息子の入学の手助けを依頼していたのだとしたら、この話がされるのも予測できるだろう。
それに対して予め、伯父の弱点となる母さんを呼んだのだとすれば、辻褄が合う。
八島霞外……1周目では直接話す機会こそ無かったが、とんだ食わせ者じゃないか。
「だからって、八島の推薦枠を使わない手は無いでしょう!? あるものを使わないなんて、考えられない。ほら、空也も言うことがあるだろう」
「お、お爺様、お願いします! 八島家唯一の子息として、精一杯頑張ります!」
親子揃って立ち上がると、おじい様に向けて頭を下げた。
おじい様は髭元を擦り、考え込んでその様相を見つめていた。そうして再び口を開こうとしたタイミング……そこで、俺は手を挙げた。
「あの……口を挟むようで申し訳ないんですけど……俺は八島家の子息としてカウントされていないんですか?」
「お前みたいな出来損ないが……? 冗談だろ」
すかさず空也が俺を馬鹿にしてくる。
まあ本来の俺が出来損ないだったのは事実なので飲み込むとして、だ。
もうここで口をつぐむ俺はもういない。
それに決定権を持っているのは、お前じゃないしな。
「俺はおじい様に聞いているんだ。口を挟まないでくれ」
「なっ!? お前ごときが――」
「……ふむ。太樹か」
おじい様の言葉に、場が凍る。
真剣に考え込むのを見るに、俺はまだ子息としてカウントされていることを確信した。
母さんは、おずおずと様子を伺うことしかできていなかったが……俺を信じてほしい。
ここは切り込むべきだと、そう元エリートの直感が告げているのだ。
「なら、こういうのはどうでしょうか? 次の模試で、俺と空也が勝負するんです。成績の良かった方に、推薦枠を与えるというのはいかがでしょう」
お願いするのではなく、まずは推薦枠を与えられるだけの価値を示すべきだ。
それに、ちょうど母さんに模試を受けたいと切り出すつもりだった俺の目的も叶う……まさに一石二鳥だ。
まさかの展開に、伯父は唖然とした表情を浮かべていた。
対して、空也は俺の提案を嘲笑し始めた。
「太樹……お前が? どれだけ頑張っても成績は良くならない無能って呼ばれていることを、俺が知らないとでも? それで俺に勝てるとか、本気かよ」
「本気かどうかは置いておいて、そんなに勉強に自信があるなら、推薦枠なんて要らないんじゃないのか?」
「なっ! それはお父様が…………」
「だ、黙れ空也。お前が受けたいと言い出したんだ。そうだろ?」
空也は渋い顔をして、伯父の顔色を窺った。
どうやら勉強に自信があるのは本当らしいが、伯父に信用されていないみたいだ。
まあ、受験が飾りだとすれば、その気持ちも理解できてしまうが。
「太樹の案……悪くない」
やがておじい様が口を開いた。
机の下で、俺は拳を握りしめる。推薦枠を得るための方法は、これしかないだろう。
チャンスを掴めた時点で、もはや勝敗は決した。2周目の俺に、空也の勝ち筋はゼロだ。
「……一族以外にも、次世代を担う優秀な子供は、空也の世代に多く現れてきている。儂は推薦枠を、そんな彼らに与えようと考えていたのだ、が…………美津、息子をしっかりと育てたようだな」
「……恐縮です。お父様」
どうにも母さんとおじい様の関係は難しい。
母さんは気付いていないみたいで謙遜したが、俺にはおじい様の言葉が褒め言葉に聞こえた。
この爺さん、本当は……母さんに期待していたんじゃないのか?
「いいだろう。空也と太樹……次の模試で良成績を取った方を推薦してやる」
当主の言葉に、それ以上の反論は生まれなかった。
それどころか、伯父は口元を手で覆い隠してその口端を歪ませていた。空也も再び俺を凝視しながらニヤニヤと不遜に笑う。この親子は似た者同士だな。
次男の内海は激論が収まったことにホッとため息を吐いた。この人はなんでこんなビビっているんだ? 相変わらず不気味だが、気にするべきじゃないか。
最後に……母さんは心配そうな顔で俺を見た。きっと俺が何か変わったことには気づいているんだろう。それでも何も訊かないのは、俺に対して微かにでも期待を孕んでいるからだって、信じたいところだ。
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