第9話 『Interlude – 幕間 #2 “竜の鱗と財宝を煮込む、重すぎる愛のレシピ”』

 極彩色の嵐が去ったダイニングルームには、重たい静寂と肌を刺す寒気が残された。

 私は椅子に深く沈み込み、己の手を見つめる。

 指先が震えている。

 爪の先が、やはりほんのりと――まるでネイルアートを施したみたいに、妖しい紫に染まっていた。

 そして唇にグロスを塗ったみたいな虹色の輝きも。

 それは先ほどの料理(物語)が、私の身体に残した確かな『契約』の証。


 血管の中を流れるものが、ただの血液ではなく、蛍光色に発光する『物語のインク』に置換されてしまったかのような錯覚を覚える。

 ドクン。心臓が脈打つたびに、視界の端にノイズが走る……勿論、実際にそんなことはない。

 ないはずなのに、強烈な経験が私をおかしくしている。


 確かなのは、私の唇がとても、ああ、とてもきれいな虹色に輝いている事。

 誰をも惹きつける、艶やかで美しい唇。うっとりしてしまう。



「少し、失礼いたしますね。……次のスープは、煮込むのに骨が折れるのです」

 綾霞がワゴンを下げ、厨房の奥へと消えていく。


 重い扉が閉ざされる直前、隙間から熱風と、黄金色の光が漏れ出したのを私はちらりと見た。



「ふふ、気に病むことはございませんわ」

 紗雪が、私の冷えた手を両手で包み込む。

 陶器のように冷たかった手が確かな温もりを宿している。

 アレンジしたのだろうか、メイド服の袖が萌え袖になってて、手のひらの半ばまで隠してしまっている。


 私が気が付いた事、に気が付いたのか。くすり。と小さく笑うと。

「どうです、どうです? 可愛いかしら?」

 そっと手のひらまではみ出す袖を握った、緩いグー手にして。

 口元に添え、肘で胸元を寄せる、あざと可愛いポーズの上目遣いで私を見上げる紗雪。


「にゃん」

 くいっとお尻を突きだし、にゃんこポーズ


「にゃにゃぁん」

 お顔を洗う猫真似ポーズ


 その愛くるしい仕草は完璧すぎて、逆に背筋が粟立つほど。

『人間が喜ぶツボ』を完全に解析し、出力しているような、精巧な模倣の可愛らしさ。

 いけない、毒され過ぎている。忘れよう、いえ、切り替えよう。


「にゃにゃぁ?」

 どうしたの? というように、にゃんこおててを形作って、小首をかしげる。

 うん、どう見ても可愛い。ただひたすらに愛くるしい。

 あざと可愛い紗雪がいるだけ。



 しばしそんな癒される遊びに興じていると。


 ドクン。

 床下から、重低音が響いた気がした。


 それは館の鼓動か、それとも、厨房で火が入った竈の音の反響か。


 不安げに辺りを見渡す私に。紗雪はナプキンで、私の口元に残る『果実』の汚れを、愛おしげに拭う。

 おや、まだそんなものが残っていたとは。


「染まっていくことは、満たされること。……あなた様が色づくことで、この虚ろな館も『脈』を打ったのです」



 ◇  ◇  ◇



 厨房――そこは『錬金術師の工房』と呼ぶ方が相応しいかもしれない。

 天井まで届く巨大な棚には、無数の瓶詰めが並んでいる。


『嫉妬』『独占欲』『献身』……ラベルに記された感情の欠片たちが、ホルマリン漬けの標本のように揺らめいている。

 部屋の中央には、大人が数人は入れるほどの巨大な寸胴鍋が鎮座していた。

 その下で燃え盛っているのは、薪の火ではない。青白く輝く、不可思議な焔。


「……さて」

 綾霞はエプロンの紐を締め直し、巨大な中華鍋のようなお玉を構える。

 鍋の中では、黄金色の液体がドロドロと沸騰していた。


「今回の主役は『竜』。……それも、星をもたやすく砕き、天の運行を決するほどの力を持った、規格外の存在」

 彼女は棚から、一際重そうな木箱を取り出す。

 蓋を開けると、中には眩いばかりの金貨や宝石、そして――巨大な竜の鱗が詰め込まれていた。

 それは過保護な竜と、その愛を受けるにふさわしい、世界に否定された女の子の物語を構成する、きらびやかで重厚な要素たち。


 ザラララッ!

 綾霞は躊躇なく、財宝と鱗を鍋の中へ投入する。


 液体が激しく跳ね、黄金の蒸気が立ち上る。

 甘く、重く、そして胸が詰まるような濃厚な香りが充満する。


「ただ甘いだけでは、スープになりません。……まず欠かしてはいけないのは当然、相手を想うあまりに世界さえ壊しかねない『過保護』という名のスパイス」

 彼女は懐から、小瓶を取り出した。中に入っているのは、きらきら輝く夜空色の粉末。

 それは、抽出された物語の中で竜が少女に向ける、焦がれるような執着心そのもの。


「そして、熱い炎、破滅の足音」

 今度は別の瓶を手に取り、赤い粉末をパラパラと振りかけると、スープの色が一変する。


 黄金色の中に、血のような赤がマーブル状に混ざり合い、とろみを増していく。

 グツ、グツ、グツ。

 鍋底から、低い唸り声のような音が聞こえる。

 それは竜の寝息のようでもあり、愛する者を腹の中に閉じ込めてしまいたいという、捕食者の願望のようでもあった。


「煮込みましょう。……形がなくなるまで、骨の髄まで。自由意志などという不純物が残らなくなるほどに、トロトロに。愛で、あの冷え切った『器』を、火傷するほどに温めて差し上げますから」

 綾霞は無表情のまま、ゆっくりとお玉を回し続ける。

 その薄赤色の瞳に、煮えたぎる黄金のスープが映り込み、ゆらゆらと揺れていた。



 ◇  ◇  ◇



 ダイニングルームでは、私がさらなる寒さに身を縮めていた。

 極彩色の熱狂が去った後の虚脱感がさらに深刻な冷えを齎し(もたらし)始めている。

 虹色に輝く唇だけが、不思議と熱を放つ。


 冷えは……いえ、これは実は、飢え?

 先ほどまでの極彩色が懐かしい。喪失感はさらにひどくなっていくばかり。指先の感覚がなくなりかけている。

「……寒いですか」

 紗雪が、私の肩にショールを掛けてくれる。

 そして、彼女自身も私の膝の上に再び座り、首の後ろに手を回し、身体を寄せてきた。


「でも、もうすぐですわ。……綾霞が作るスープは、絶品なのです。一口飲めば、身体の芯から熱くなって……そう、まるで竜の腹の中にいるような安心感に包まれますの」

 紗雪が夢見るように瞳を細める。

 それは、安心なの? ふとよぎる疑問はしかし、濃厚な香りに吹き流されて行ってしまう。

 厨房の方から、先ほどに倍する芳醇な香りが漂ってきた。

 馥郁たるコンソメ、そして焦がした黄金の匂い。


 それは食欲をそそると同時に、どこか逃げ場のない重苦しさを孕んでいる。



 ――ガチャリ。

 厨房の扉が開く音がした。

 私は生唾を飲み込む。


 胃袋が、新たな一皿(物語)を求めて悲鳴を上げていた。


「お待たせいたしました」


 湯気を纏った綾霞が、ワゴンを押して現れる。

 銀のスープチューリンの中で、黄金の液体が静かに波打っている。

「続きましてのメニューは『コンソメスープ』。……世界で一番安全で、世界で一番窮屈な、黄金の檻の味でございます」


 さあ、スプーンを手に取って。

 冷えた身体に、熱すぎる愛を流し込む準備を。


(To be continued ... 12/10 Potage – Potage clair, Consommé)



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