第10話 馬車と振動

 朝五時。

 まだ寮の鐘も鳴っていないのに、学園はすでにざわめいていた。

 四百人の一年生が荷物を背負い、職員に怒鳴られ、泣きそうなやつがいて、やたらテンション高いやつもいて、教科書には載らない“本物の冒険前”の匂いが満ちていた。


 そんなことを思いながらDクラスの集合場所へ向かうと、カイが大きく手を振っていた。


「クロガネー! おっそーい! 凍死しないように寝袋持ってきたかー?」


「持ってきたよ。毎回確認しなくていいのに」


「いや、お前が凍えたら俺が眠れないからな!」


「その理由まだ引っ張るんだ……?」


 リオはというと、肩に荷物を三つも掛けてあくびしていた。


「寝たんだけどさ……緊張で目が覚めちゃって……今日、寝不足で死ぬかもしれん」


「出発前に死ぬのはやめて」


 セナが苦笑しながらリオの荷物を一つ取り上げる。


「カイ、荷物見せて。絶対何か忘れてる」


 ミルナがカイのカバンを勝手に開けて確認を始めた。


「ちょ、勝手に見るなよ! 俺のプライバシーが!」


「寝袋と食料と……あっ、やっぱり水袋入ってないじゃない」


「うおっ!? そんなの必要か!?」


「死ぬよ?」


「まじか」


 ミルナは既にメモ帳と照らし合わせながら全員の荷物を確認していて、完全に教師の顔になっていた。


「クロガネは……ちゃんとあるね。優秀」


(うん、優秀じゃないと“計画”に支障出るからね)


 そんなやりとりをしているうちに、馬車出発の角笛が鳴った。


 


 揺れの強い木製の馬車。

 六人でぎゅうぎゅうに座ると、カイが最初に頭をぶつけた。


「いってぇぇぇぇ!! この馬車絶対狭いって!」


「座れって言ったのに……」


 セナが呆れたようにため息をつく。


 隣では、グレンが早くも顔を青くしていた。


「……もう……揺れが……」


「お前、関所着く前に死ぬ気か!? ほら、酔い止め飲め!」


 カイが水を渡す。


「ありがとう……」


「そういえばさ」


 リオがふと思い出したように言った。


「明日のダンジョン、一〜三層までが基本で……四層には入れないんだよな俺ら?」


「B〜Jクラスは禁止だって言ってたね」


 セナが言う。


「Aクラスと二年生だけ四層以上。五層行くのは……一部の希望者だけ」


「五層ボスって、ほんとにリポップするのかな?」


 リオが小声で聞く。


「五層に行く人ら、すげぇよなぁ」


 カイが羨ましそうに言う。


「俺らも行ってみてぇ」


「カイは三層で迷子になるでしょ」


 ミルナが即答した。


「ひでぇ!」


「実際なると思うけどね?」


「ミルナまでそんなこと言う!?」


 馬車の外を見ると、地平線まで延々と馬車の列が続いていた。


「……四百人って、こう見るとやばいな」


「壮観だね」


 セナが外を見ながら微笑む。


「なんか……大冒険って感じする」


 ミルナも少し楽しそうに言った。


 俺は笑顔で頷きながら、内心で静かに候補者を並べていた。


(素材にするなら、二年生の剣士がいい。

 でも、冒険者でも構わない。

 ……どちらにしても、明日のうちに一人“落ちる”)


 


 夕方、北部関所に到着した。


 木壁に囲まれ、焚き火の煙が漂い、兵士と冒険者が交代で見張りに立っている。


「ここが……関所か。すっげー!」


 カイが目を輝かせる。


「野宿じゃないだけマシだね」


 セナが周囲を見回す。


「テント張るスペースは班ごとに決まってるよ」


 セナが地図を見ながら案内を始めた。


 班員全員でテントの骨組みを広げ、布を張り、杭を打ち、明日のための簡易キャンプができていく。


「よし、完成!」


 リオが立ち上がり、満足げに両手を広げた。


「カイ、そっちのロープ逆」


「……ほんとだ」


「やっぱりね……」


 ミルナが溜め息をつきながら手直しする。


(こういう小さな不器用さすら……明日の“崩れ”では役立つんだよ)


 夕食は乾燥パンと温かいスープ。

 思ったよりうまい。


「うめぇ……」


 カイがスープを抱きしめるように飲んでいた。


「クロガネ、パン食べる?」


「ありがとう」


 焚き火の火が揺れ、影が長く伸びる。


「……なんかさ」


 リオが火を見つめながらつぶやく。


「明日、四百人全員でダンジョン入るんだよな。すげぇよな」


「事故ないといいけど……」


 セナが心配そうに言う。


「大丈夫だって!」


 カイが自信満々に胸を叩いた。


「あれだけ人数いるんだから、誰かが助けてくれるだろ!」


「その考えが一番危ないんだけどね……」


 ミルナが冷静に返す。


「なぁ、クロガネ」


 リオがこちらを向いた。


「お前、怖くねぇの?」


「怖いよ。怖いけど……みんなが一緒ならなんとかなるでしょ」


「おお……なんか主人公みたいなこと言った!」


「クロガネかっこいー!」


「ね、頼もしいね」


「うん、信頼してる」


(……いいね)


 その言葉は、最高においしい餌だった。


 信頼。期待。希望。


(全部、明日の崩壊に必要な“味付け”だ)


 その後は、軽いゲームで盛り上がった。


「大富豪、ルールわかる?」


「わかるけど、弱い」


「よし、俺が勝つ!」


「カイは絶対弱い」


「ミルナ、それ偏見!」


 焚き火の明かりが揺れ、笑い声がテントに染み込んでいく。


(こんな平和な夜……本当に最後)


 


 夜。

 テントに敷かれた寝袋に潜り込むと、隣ではカイが早くも寝息を立て始めていた。


 リオはごそごそ動きながら寝ている。

 セナは小さな祈りを唱え、グレンは毛布にくるまって静かに目を閉じていた。

 ミルナはペンでなにか書き込んでいる。


 外では風が木々を揺らし、焚き火の音がかすかに聞こえる。


(さて……影騎士の“素材”も決めなきゃ)


(……二年の剣士がいいか。明日の動きを見てからでも遅くない)


 目を閉じ、呼吸をゆっくり整える。


(明日。全てが動き始める)


(俺の巣へ、四百人が踏み込む)


(魂は……ひとつだけでいい)


(だけど、“崩れる音”は……たくさん聞きたいな)


 静かに笑いながら、眠りへ落ちていった。

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