18話 内緒

「じゃ、明日ね」


 電車が駅に停まるや否や、日向さんは慌ただしく降りていった


 友達が待っているらしく、わたしたちの邪魔になりたくなくて先に去ったのだ


 けれど私はそんな彼女が嫌いじゃない


 むしろ肩の力が抜けるような、ほっとする気持ちになる


 そっと花梨の方を目で追うと、彼女の表情も先ほどより柔らかく緩んでいた


「じゃ、ふたりで行こうね」


 彼女が手を引くと、私は自然にそのリズムに合わせて、人ごみの隙間をすり抜けていく


 まだ朝七時だったのに、ホームはすでにサラリーマンと生徒でぎっしりだ。花梨の家がにぎやかなエリアにあるせいか、この駅はいつもこんなに混んでいるのだろう


「すごく混んでるね」


 つぶやいた声が人の喧騒にかき消される。私の家の近くの駅は、郊外だからか、さみしいくらい静かなのに


 その代わり、通勤時間はずっと長くなってしまう


「慣れれば大丈夫だよ……」


 花梨の声が少しかすれている


 朝の冷たい風が喉を痛めたのか、平気なように見せても、吐息が白くかすんでいる


「さむそう……どこかで熱いもの飲んで暖まらない?」


 顔をしかめる花梨を見て、脳を経由せずに口から出てきた提案


「…やだ…学校…行けばいい」


 一瞬、ためらいが瞳ににじんだけれど、すぐに水面の泡のように消えてしまった


「行けばいい?」私は彼女の腕をつかんで、耳もとに寄り添って囁いた


 花梨の耳がピンと赤くなり、連鎖反応のように、つんとした顔もやわらかくなった


「……ずるいよ、凛川ちゃん。耳に息吹きかけるなんて…ルール違反だよ……」


 喫茶店の席に座ると、花梨はまだ耳を赤らめたまま、紅茶のスプーンを小さくかき混ぜている


「そんなルールあったっけ?」


 朝、ごまかしてた花梨のことを思い出し、ちゃんと反撃してやると決めた


「……うう」


 花梨が悲鳴みたいなうめき声を上げるのを無視して、自分の紅茶に口をつける


「……凛川ちゃん、変わったね」


 しばらく沈黙が続いてから、小さな声でつぶやく音が聞こえてきた


 変わった?私が?意味深な彼女の瞳をじっと見つめた


「ずるくなっちゃった……昔はこんな風に、悪戯しなかったのに」


 ずるくなっちゃったのか。


 昔の自分って、どんな子だったんだろう


 登校途中、私は花梨の言葉を唇に噛み締める


 記憶の片隅には、いつも一人で歩いていた自分の姿が浮かぶ。友達なんていたのかもしれないけど、その記憶は曖昧で、掴めない


 これまで誰にも「変わった」なんて言われたことがない


 だから花梨の言葉が、胸の中でふわふわと浮いて、なかなか落ちてこない


 もしかしたら、本当に変わったのかもしれない


 でも、それは……


 花梨のことを、友達以上の、家族みたいな存在だと思えるようになったからなのか


「……おはよう」


 活気のない声であいさつを済ませ、自分の席に座る


 時間がまだ早いので、教室には人影がまばらだ。小澤さんも、まだ来ていない


 昨夜やり残した宿題を取り出し、この隙にせっせと追いかけようとした


 それほど難しい問題じゃなかったから、頭の回転があまり速くない自分でも、宿題を回収される前までにスムーズに終わらせることができた


「え、次の授業は保健体育だって。身長測るらしいんだよ。凛川ちゃんは今何センチ?」


 休み時間のベルが鳴るや否や、花梨が顔を寄せてきて、好奇心いっぱいに尋ねる


「えー、女子の身長なんて、無礼だよね。それにしても、白村さんも身長めっちゃ気になるわ」


 小澤さんが割り込んでくるのはいつものことだけど、私もごもっともだと頷く


 女子の身長なんて、誰もが内緒にしたい秘密だもん


「……内緒」


 本当に知りたかったら、測定するときにこっそり見ればいいのに


 だけど花梨なら、きっと堂々と正面から見ちゃうんだろう


 そんな想像が頭をよぎる


 具体的な数字は知らないけど、目測では三人中で花梨が一位、私が二位、小柄な小澤さんが三位だ


 それは誰が見ても明白な結果だ


 保健体育の時間、教室で先生が注意事項を説明し終えると、クラス全員で体育館に移動した


「では、注意事項の説明はここまで...さあ、さっそく身長測定を始めますね……あっ、男子からお願いします」


 先生がめがねを押し上げ、記録帳を手に取ると、男子生徒たちがざわざわと列を作った


 私たちはそばに立って、クラスの男子たちが一人ずつ身長を測るのを見ていた


 そのとき、花梨が突然先生のところへ歩み寄り、何かささやいた


 先生はうなずいて、手を振って了承したようだった


「あれ、さっき先生に何か話してたの?」


 彼女が戻ってきたかと思うと、小澤さんがせっかちに口を挟む


 好奇心から、近くにいた女子たちは皆耳を傾けている。私もその一人だ


「さっき先生に、男子が身長測り終わったら、教室に帰してって頼んだんだ」花梨が満面の笑顔で答えた


 私が花梨の真意を考え込んでいると、そばにいた女子生徒が先に気づき、ささやかに歓声を上げた


「さすが山崎さん!」


「そうそう、あの男子たち絶対身長ばかりじーじー見てるもん」


「本当に救世主だわ」


「そんなことないんだよ」


 花梨は手を振って否定した


「私も女子だもん。異性に身長を見られるなんて、あたしだって恥ずかしいよ」


「…あっちの女子生徒たち、ちょっと静かにしてください」


 遠くから先生の声が響いてきた


「わかりましたー」


 女子たちは目を見合わせて、こっそり笑いあった

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