第1話 献血バスをバスジャックする奴

 献血バスをバスジャックされた。



「ぅう動くなああああああぁぁぁぁ!くぁ、金をおおおおぉぉぉぉぉぉ、金を出せええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ~!」


「ひぃっ!!」



バスの進行方向と同じ向きで、縦一列に3つほど並んでいる一番前の献血チェアに座り、左腕を伸ばして、採血器とチューブで繋がっており、ウルフヘアでワイシャツに赤いネクタイを締めている女性の名前は佐藤。


棒付き飴を口に咥えながら採血器のスタートボタンを押して、検査分の血液が入った数本の採血管をバスの後ろへ持って行って作業をしている、くせ毛でぼさぼさの髪の毛に、白衣を着ている男性医師。


この二人しかいないバスに、雨と汗と涙でずぶ濡れになりながら全身黒い服を着ている、髪型も乱れ、鬼の形相で大きく息を切らしている男が、いきなりどたどたと階段を駆け上がり、献血バスに入るや否や騒ぎ立てる。


バスのエンジン音や、それに伴う振動にパラパラとバスに雨が落ちる音、突然騒々しく荒れ狂った男の叫び声など、鳴っている音すべてが緊張感を煽り立てるように聞こえ、リラックスして献血なんて出来るわけがない状況だった。


男の叫び声はバスの中の空気を満たすほど目一杯広がり、はち切れそうに響いていた。


 男は、ドアを勢いよく閉め、右手に持っていた果物ナイフをこちらに向ける。


背中を向けて作業していた医師は何だよと面倒くさそうに振り向く。


 ちょうど献血を始めたばかりだった佐藤は目の前の状況をすぐに理解しようと努めたが、突然の出来事によって心の余裕が失われ、身体が硬直してしまった。


怖いという感情よりもこの状況を何とかしたいという気持ちがじわじわと高まったことで、目だけをきょろきょろと辺りを見渡し、なんとか情報を集めながら少しずつ冷静を取り戻していくうちに身体の硬直も解け、この状況を打開するために自分にできることを模索していた。



「うるさいなぁ、献血中だぞ!」


「なんだあああああぁぁぁぁぁ!その態度はあああああぁぁぁぁぁ!!」



 男はナイフを医師に向けて大粒の涙を流しながら顔をくしゃくしゃにして訴えた。



「見てみろよ、お前が大きい声出してっから、女の子がびっくりしすぎて真顔になってんじゃねぇか!」


「黙れえええええぇぇぇぇぇ!!金だああぁぁぁ!!を出せえええええぇぇぇぇぇ!!!」


「貧乏金なしか!!」


「「暇なし」だあああああぁぁぁぁぁ!!!」



 医師は男に挑発を繰り返し、そのたびに男は冷静になることが不可能な状態になって、ナイフを持っていた手は大きく震えていた。


 ここで電子音が控えめに鳴る。


限界が近づいている男は、その献血完了のアラームが鳴っても気付いたそぶりを見せなかった。


ということはつまり、意識は完全に医師に集中して、それ以外のものは全く入っていないのだと佐藤は感づいた。


男は医師の方へゆっくりと通路を歩いて行く。


徐々に佐藤が座っている左横の通路を通り過ぎていく。


男を確認しながらゆっくり横を向いて、そのまま後ろを向いて医師の方に進んでいることを確認しながら、ほかに方法がないと意を決するように、手に持っていたスマホをポケットにしまって、自分で左腕にチューブを固定しているテープを剥がして、刺さっていた採血針を抜いた。


 針がどこにも触れないよう上を向くように剥がしたテープを使って肘掛けに固定した。


ゆっくり静かに献血チェアから降りて、恐怖に怯えながらも静かに自分の傘を手に取った。


 ナイフを医師に向ける男に傘を後ろから向ける佐藤。二人は綺麗に一列に並んでいた。


 医師はポケットに手を突っ込んで棒付き飴を口にくわえたまま、眉を下げて哀れむ顔を男に向けていたが、男の後ろにいた佐藤の奇妙な行動に何をやってるんだあの子はと首をかしげて、見えやすいように男を避けるように向こうへ視線を移した。


 佐藤は腰を低くしながら、傘の持ち手を男に向けるように持ち直す。


持ち手の端を上にして男に向けて水平にする。


気づかれないようにゆっくりと近づけていく。


 次の瞬間、素早く男の両足の間へ傘を通して、持ち手の端を股間にひっかけるように上げて強く引っ張った。



「ぎゃあああああぁあああああぁあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」



 股間が吸い込まれそうな激痛が走る。


 一瞬声が出なかったが、痛みに耐えることができず、思わず叫ぶ。


男の叫び声が佐藤の鼓膜を叩きつけて脳を震わせる。


後には引けないという緊迫した気持ちでおもいっきり引っ張る。


しかし男は、痛みから逃れようと引っ張っている同じ方向のこちらに近づいてくる。


佐藤は後ろを振り向いて、あまり距離がないことに気づく。


このままだと引っ掛けた持ち手が外れて、仕返しされるだろうと股間に引っ掛けたまま、傘の先端を上向きへと方向を変えて両手で引っ張った。



「あああああぁぁぁぁぁ無理っ!!無理無理無理無理ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」



 傘を上に向かって引っ張っている自分の両腕が視界に入る。


採血針で開いた穴から大量の血がドクドクと流れ、左肘からぽたぽたと連続的に滴れ落ちる様子を見て静かに思う。



「私、何しているんだろう……」


「なんでこんなところにいるんだろう………………」


「なんでこんなことをしているんだっけ…………?」



 400mlの血液を採られて止血をせず、さらに血を床に流しながらバスジャック男の急所にダメージを与え続けているこの混沌となっている状況が目の前で広がっている中、大量出血によって脳に血が回ってこないのか、意識がぼんやりとしてきて分からなくなってきた。


 次第に視界がキラキラと輝く砂嵐のようなものが見えるようになってきて、吐き気も襲ってくるようになった。


 なぜこんな状況でこんなことをしなきゃいけないのか、因果応報で何か自分に返ってきたのかと、今日一日を振り返ってみた。



「痛い!痛い!!痛い!!!痛い!!!!痛い!!!!!痛いって!!!!!!」



そういえばとあることを思い出す。



「今日はツイていない日だった」



だが、ここまでツイていないとは予測もしていなかった。



今日は火曜日。


 名古屋市は深夜から雨が続いている。


 朝、カーテンを開けると、強く雨が降っており、遠くのビルが雲に隠れてまるで無くなったかのように映っていた。


特に寝坊した訳でもなく、朝ごはんを食べるのも、掃除機をかけるのも、家を出たのが遅かった訳でもなく通常の一日の始まりだった。


いつもは誰にも会わないように階段で降りているが、その日のエレベーターは誰も使っておらず、自分が住んでいる階数に止まっており、運命を感じて乗ったが、途中で3回止まって3人乗ってきた。


最後にエレベーターを降りると、1階のエントランスにある自動ドアは、冊子が反射する素材が使われており、赤色の中に青色と黄色が混じったものが目に入った。


まさかと思い、すぐさま自分の胸元に視線を向けると赤地に紺色の中に黄色のストライプのネクタイをしていた。


女性のネクタイは珍しいらしい。


だが、これが無いとやる気も出ず、脳も起きないので、おやすみモードから一気に気分を変えるアイテムであり、佐藤にとって必需品である。


さらに曜日によってネクタイの色が決まっているが、今日は、赤地に黒色のストライプが入ったネクタイを着けるはずが、間違えて月曜日に着ける赤地に細い紺色と黄色のストライプが入ったネクタイを着けてしまっていたのだ。


だが、原因はそれだけではないと確信していた。


 というのも、1日の運勢は出社している道中、家を出て地下鉄に乗り、会社まで歩いて着くまでの間でスムーズにいけるかどうかで占っている。


 この間に特に何事もなければ一日問題なく終わらせることができるとしているが、今日みたいに、電車が数分遅れ、決まっていないのになぜか定着している、いや、もはや決まっていると言っていいだろう電車の2番ドアに乗り込むと、いつもこの時間は誰もいないのにドアの前で立っている人に睨まれたり、会社の最寄り駅の改札口を通ろうとしたら向こうから先に通られて、改札機のバツ印が消えないうちにもう一人、また一人と通って別の改札機に移動しなければならない状況に立たされる日は、あまり良くない日として定めており、実際にその通りになるのである。


 さらに改札機を先取られた時、自分の後ろには自然発生した列が出来ており、後ろから、お前がのろまだから取られたんだぞという心の声が聞こえてきそうで、穴があったら入りたい。


 穴に入る前に改札口から出なければならないが、後ろの列が完全に通り終わるまで自分は待たなければならないのだ。


なぜなら、改札機を取られた挙句、横入りするなどなんて図々しい奴なのかしらと言われそうで怖いのだ。


それに今日は雨の日ということもあり、晴れている日よりも圧倒的に人が多く、出勤のストレスに加えて雨というストレスを募らせており、案の定、みんな朝からピリピリとしている。


 さらに、トイレで黒いジャージに着替えて、地下鉄の出入り口を出てすぐに通常、遅れがなければ通れるはずの交差点があるのだが、赤信号に捕まってしまったのだ。



「今日は大人しくしていよう……」



いつもは残業しないために自ら仕事を進んで片付けているが、今日みたいな日は予定を立てて計画通りに仕事をしようとすると、上司や先輩から別の仕事を容赦なく横入りするように頼まれて、計画していた予定が見事に狂うだろうと、あまり出しゃばることなく言う通りに仕事をしようと決めた。






だが、これだけでは終わらなかった——


 突然、男性の声で呼ばれ、びっくりしながら勢いよく振り向いた。


 その男性の服装を見ると、ただ事ではないとすぐに理解した。






つづく


次回

第2話 絶体絶命!!

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