7話 獣人の生活難と雇用不足

 風が麗孝の衣を翻した。地模様の浮かぶ深緑は、清楚でありながら高級さを醸し出す。滑らかな黒髪は、肩近くでゆったりと結わかれていた。

 錦華楼の主から一転、流水のように穏やかな力強さを感じる。小さな笑いを零し、麗孝は軽やかに手を振った。


「謹慎の意味を知ってるか? 胡雲嵐の子とは思えん奔放さだ」

「……人格形成をする幼少期は、野生にいたもので。どこで謹慎を聞いたんです」

「御膳房。弁当の納品に行ったら盛り上がってたよ。獣人の子がいなくなって、せいせいしたと」

「でしょうね。それで、なんの用です? あなたも僕を笑いに?」

「まさか。再就職の案内だよ」


 麗孝は、叡秀と侑浬、侑珠にも視線を落とす。満足げに頷くと、叡秀へ手を伸ばしてきた。まるで、握手を求めているように見える。


「三人とも、俺の店で働かないか。子どもたちにも、成人と同額の給料を出す」

「錦華楼で? 僕はともかく……侑浬と侑珠も?」

「当たり前だ。子どもたちがいなくちゃ、お前を雇う意味はない」


 少しばかり苛立った。優秀とはいわないが、御膳官に足る技術は持っている。宮廷人の地位に興味はないが、『無意味』の判定は、料理人の矜持を引っかかれた。

 さすがに睨みつけてしまうが、麗孝の視線は叡秀にない。早くも侑浬と侑珠へ移り、目を細めて笑み浮かべた。


「実に、面白い組み合わせだ」


 気味の悪い表情に、思わず侑浬と侑珠を背に隠す。侑浬も、侑珠を強く抱いた。

 けれど麗孝は気に留めず、一人で語り続ける。


「獣人は生存の難しい種だ。人間どころか、獣人同士でも異獣種は相容れない。とくに肉食と草食は、双方で狩りの対象になることも多いからな。だというのに」


 周りを見渡すと、獣人たちは訝し気な表情をしていた。一斉に麗孝を睨み、嫌悪を示す者もいる。敵と認定されたようだ。

 それなのに、麗孝は嬉しそうに笑う。なぜか拳を握りしめ、満足気に頷いた。


「お前は多獣種から支持を得た。快挙と言っていい!」

「ああ……」


 無価値と言い切った理由を、即座に理解した。

 いま支持を得られたのは、侑浬と侑珠のおかげだ。侑浬は獣人にわかりやすく説明し、侑珠の愛嬌は獣人たちの警戒を解いてくれる。極論、叡秀の薬膳じゃなくても、獣人たちは喜んだだろう。


「快挙は侑浬と侑珠ですよ。あなたの言うとおりね」

「だが、子どもたちが手を貸したのは、お前だからだ。お前の功績は、異獣種兄弟の心を掴んだことにある。獣人の子にしか、できなかっただろう」

「大袈裟ですよ。僕は薬膳を教えたくて、健康になりたい二人は喜んでくれた。それだけです」


 特別なことじゃない。両親や雲嵐に習っただけだ。功績は、叡秀を生かした人にある。だというのに、麗孝は首を横に振った。そして、呆れたように肩をすくめる。


「やはり無自覚か。ま、そうだろうな。理解してれば、錦華楼では商談にしたはずだ。そこが、お前と黎涼成の大きな違い」

「……涼成が、なんだというんです」

「奴は優秀な医師だ。だが、商売人としても優れていたのさ。だから医院は成功した」


 話が飛んで、首を傾げた。どうして涼成の名が出てくるのだろう。わからないでいると、麗孝に腕を掴まれた。磨かれた麗孝の爪は、異様な艶を湛えている。同じくらい艶やかに、麗孝は笑った。


「お互い必要な物を与えあう――これを、なんというか知ってるか?」

「……さあ」


 言いたいことが、まったくわからない。思考を放棄していると、侑浬が身を乗り出した。


「需要と供給」

「え?」


 鋭く切るように言い放ち、侑浬は真っすぐに麗孝を見つめている。どこか麗孝と似た表情だ。麗孝も驚いたようだったが、すぐに口角を上げる。


「わかってるじゃないか。そう。これは利害の一致。商売の根源だよ。錦華楼の従業員は、すべて人間だ。獣人嫌いの者もいるが、獣人客も丁重にもてなす。なぜだと思う?」

「なぜって……なんで?」


 商売をして生きていない叡秀は、考えが及ばなかった。けれど、またも侑浬は簡単に答えを出す。


「おかねを貰えるから。給料が高いんだ、きっと」

「賢いじゃないか。正解だ。うちの給料は、月三両」

「えっ! 高い!」


 あまりの額に、つい叫んでしまう。叡秀の給料は七両だ。御膳房で働き始めたころは二両で、宮廷の下級官吏の平均金額だ。三両は、宮廷の初任給よりも高い。

 金銭に興味の薄い叡秀でも、これには驚きを隠せない。あんぐりと口を開けていると、麗孝は腕を組み自慢げに笑った。


「なかなかだろう? 獣人に優しくするくらい、当然やるさ」

「でも、本当は嫌いなんだろう?」


 不満げに言い捨てたのは、周囲にいた獣人たちだ。口々に「人間さまは偉いからな」などと、嫌味を言っている。しかし麗孝は楽し気に笑った。


「では問おう。あんたらは、いますぐ飢え死にする状態だとする。目の前には知らない人間。人間は心配そうな顔をして、無料で料理をやると言った。断るか?」

「それは……だが、裏があるに決まってる。人間は、無償で獣人を助けはしない」

「施したぶん、なにか礼をよこせというんだろう」


 否定的な言葉ばかりが飛んだ。日々を思い返せば、無理もない。けれど、またも侑浬は場に一線を引いた。


「人件費と廃棄費用の削減」


 迷いのない侑浬の瞳に気圧される。麗孝も鋭い笑みを侑浬に返し、わかりあっているようだった。けれど叡秀にはわからず、十歳の侑浬に説明を求める。


「ごめん。どういうこと?」

「経費削減だよ。ごみを捨てるには、おかねがかかるんだ。ごみを管理する人の給料。燃やす場所の使用料。燃やす場所へ行く交通費。でも、誰かが持っていってくれれば、出費を抑えられる」

「そう。これは施しじゃない。利害の一致だ」


 理解の追いつかないまま、麗孝に胸を小突かれる。


「お前は錦華楼で『食材を譲ってくれ』と頼んだ。だが、黎涼成ならこう言っただろう」


 気障な人物を気取るように、麗孝は両手を広げた。


「喜べ! ごみを無償で引き取ってやる。どうだ、助かるだろう! ――と」


 涼成には似ても似つかない、嫌味な言いかただ。不愉快に感じたけれど、侑浬は「そうか」と嬉しそうに叫ぶ。


「廃品回収の仕事だ!」


 太陽のごとく輝きを放ち、侑浬は笑顔でふり向いてくる。


「叡秀も言ったじゃない! 錦華楼に邪魔な物をくれって! この人は助かったんだ!」

「あ、ああ……廃棄の手間が省けていいだろうなって……それだけだよ」

「それだけのことが、お前と黎涼成に大きな差をつけてるんだぞ」

「……どういうこと」

「世の中、お気持ち議論は意味を成さない。結果がすべて。結果とは数字だ。黎涼成は経営者。経営の成果は『売上』という数字で表される。いついかなるときも、経費削減の機を探してるのさ。奴だって、廃棄は赤字項目だ」


 大きく頷いたのは侑浬だ。叡秀は、少しだけ呑み込んだ。

 どんな善行でも、商売は売上を必要とする。涼成の医院だって、薬品を買うのも給料も、売上なしでは支払えない。国営の福祉事業でもないかぎり、売上は欠かせない。

 けれど、それでは貧しい者は死ぬだけだ。助けたいという気持ちを、金に換算するのは間違っている。無価値ではない――と、叡秀は思ってしまった。

 それなのに、麗孝と侑浬は視線を交えている。理解しあえる姿は、納得できなかった。

 顔が不愉快さで歪む。麗孝の目にも映ったのだろう。はは、と軽く笑われた。


「否定してるんじゃない。視点を変えろと言ってるんだ。俺は、獣人に個人的な愛情はない。だが経営者の視点で見れば、非常に優れた人材だと思ってる。鳥獣人や馬獣人は遠方への宅配。牛や、力の強い獣人は荷運び。犬のように鼻の利く獣人は、良質の食材を見分けられる。どれも人間には不可能だ。手を借りれるなら、月三両は安い!」


 流れるように、獣人を認める言葉が紡がれた。善意は欠片も伝わってこない。自己満足をするための、勝手な要求だ。けれど、訝し気だった獣人たちから、明るい声がする。


「三両も貰えんのか? 荷物運ぶだけで? 俺は象だ。背にいくらでも乗せられる」

「俺、公佗児こんどる獣人。一度羽ばたけば、五時間は飛んでいられる。鳥の中でも長いほうだ。羽搏かないから、荷物も揺らさないよ。割れ物も運べる」

「私は豹よ。獣態になるだけで、警護には役立つの。人間は肉食を怖がるから」


 口々に己の利点を語り出す。誰一人、麗孝の自己満足を否定しない。侑浬に至っては「侑珠は可愛いから、誰とでも仲良くできるよ」と、子どもの武器を掲げていた。

 一瞬の変貌ぶりに呆然とする。しかし、麗孝は「これだよ」と笑みを浮かべた。

「生態の違いを有効活用。それが異種共生の神髄だ。そして、それこそ俺の狙い」

 くるっと回り、麗孝は獣人たちを背にした。人質に取られたような、獣人の代表に立たれたような、得も言われぬ感覚になる。麗孝は力を込めて手を握った。


「獣人の食文化を通じて、雇用制度を確立! 獣人にも職業選択の自由を作る!」

「雇用……自由……?」


 大きすぎる話に、叡秀は驚くことも追いつかない。しかし、獣人たちはすっかり麗孝の味方だ。三両もいらないから雇ってくれ、夜行性だから夜も働ける、と売り込みに必死だ。

 喜ばしい気はする。しかし、うまい話には裏があるものだ。


「なぜ、そこまでするんです。人間でしょう、あなたは。大変だと思いますが」

「経営者の野望さ。宮廷と胡雲嵐を出し抜けば、翠煌の食文化を牽引するも同然」

「獣人を利用するんですか。自分のために」

「だからなんだ? いいじゃないか。お互い、欲しい物が手に入る。獣人医療と同じことさ。それとも、お前にできるか? 全獣人に富と繁栄をもたらし、健康にすることが」


 ぐっと息を呑んだ。自分の人生すら『成功』と断言できない叡秀に、種族全体のことなんて考えられない。それに、目の前にいる獣人たちは、すでに叡秀より麗孝を選んだ。

 悔しい。獣人の子として生きてきたのに、獣人の支持を人間に奪われた。だが、それこそ自己満足だ。まさしく『無意味』だと突きつけられる。

 揺るぎない自信を見せる麗孝に、対抗できる言葉はなかった。


「……それを、錦華楼でやるってこと? だから僕らを雇うの?」

「少し違う」


 軽やかに深緑の衣を脱ぎ、叡秀へ放り投げてくる。よく見れば獣人用の衣だ。獣化してもいいように、生地を伸縮させる二重構造になっている。


「獣人専門の薬膳店を開く! お前たちは俺の従業員として、好きに料理を作れ!」

「……獣人、専門?」

「そうだ。経営者は人間。接客は獣人。店長は、どちらでもない――獣人の子」


 深緑の衣を、無理に羽織らされる。張りのある高級な生地だ。けれど、人間の加工によるの嫌な臭いはしない。人間と同等の生地なのに、獣人に適した仕上がりだ。

 人間用でも獣人用でもない衣は、叡秀には心地いい。麗孝は胸元の飾り紐を結んでくれた。組み紐の華やかな装飾は、麗孝の髪に似た艶もある。


「中途半端、大いに結構! 人と獣の境界に生きる『獣人の子』は、異種の懸け橋だ!」

「懸け橋……僕に、そんなことが……?」

「お前にしかできない! お前たちの薬膳を、俺が全獣人へ届けてやる! 人間と共生する術を教えるんだ!」


 わあっと獣人たちの声は大きくなった。すっかりやる気になっている。断る選択は、強制的に潰された。

 潰された――そう思ってしまうのは、叡秀には踏み出せない理由もあるからだ。

 雲嵐の顔が脳裏に浮かぶ。救ってもらっておきながら、宮廷で問題を起こし、結局は獣人の輪に戻る。恩を仇で返すようなものだ。

 父親の遺言にも背く。人間としての幸せを、完全に手放すことになる。

 けれど、獣人たちは笑っていた。なにを選ぶべきか、手は震える。答えられずにいると、麗孝に強く腕を掴まれた。


「獣人の生活向上は胡雲嵐の願い。だが、奴は叶えられない」

「馬鹿を言うな。雲嵐さまは獣人を想い、手を尽くしてくださっている」

「それを、お気持ち議論っていうんだ。知っているか? お前と同じ『獣人の子』は、森の中に大勢いる。俺の知る限りで、二十七人。皆、養育院を逃げた者たちだ」

「……え?」


 初めて聞く数字に、俯く顔が持ち上がった。


「獣人の子で集落を作ってる。親代わりは獣人だ。子らを飢えさせないよう、人間の寿命を生きられるよう、毎日必死に食料を搔き集めてる。獣人が、人間の子のためにだ!」

「そ、そう、なの……?」

「人里で生きた『獣人の子』は、お前と黎涼成だけ。これが、朝廷で作れる数字なんだ」


 燃えるような怒りが、麗孝から溢れてきた。沸騰した湯に浸るような、苦しさに襲われる。大気は震え、麗孝は強く大地を踏み鳴らした。


「遅すぎる! 獣人は、いま、この瞬間にも飢えている!」


 ああ、と誰かの溜息が聴こえた。

 不意に陽紗の顔が思い浮かぶ。二人は似ている。自分のためと言ったけれど、照れ隠しだ。本当は獣人を好きで、商売を通じて獣人を助けたい。ただ、それだけなのだろう。

 叡秀の謹慎を知っていたのも、雲嵐の動向を気にしていたからに違いない。御膳官としては無名の叡秀だが、『胡雲嵐の養い子』としては名を馳せている。


「雲嵐に恩を感じるのなら、なおのこと宮廷を出ろ! 雲嵐の薬膳で獣人を救えば、ひいては奴の功績! まさしく恩返しになる! だから黎涼成は独立した! 陰口を叩かれても、雲嵐の医療を獣人へ届ける道を選んだんだ!」


 思わず息を吸い込む。なぜ雲嵐の元を離れたのか、不思議だった。叡秀と違い、確実に認められ地位を確立していた。礼儀正しい涼成が、雲嵐を足蹴にするはずはない。

 やはりだ。涼成は雲嵐を裏切ったのではない。超えようとしている。

 急激に恥ずかしく感じた。周りの人間を不愉快に思い、理解も協力もせず、流されて生きていた。御膳官を誇りに生きることなど、考えもせず。

 拳で胸を叩かれた。麗孝は、獣人よりも怒っているように感じる。


「獣人の親に、胸を張れる生きかたをしろ! お前は鍵を手に入れた!」


 叫んだ麗孝の見た先は、叡秀でも獣人たちでもない。叡秀の足元で侑珠を抱えている、幼くも聡明な侑浬だった。

 飛びつくように、侑浬は叡秀の脚にしがみつく。


「やろうよ、お店! もうやったもん! 叡秀ならできるよ!」


 断言した侑浬に続いて、ぞろぞろと獣人たちも近寄ってくる。


「いいな。やってくれよ。知らん奴の店は、気乗りしねえ。けど、あんたならなぁ」

「子どもも食べられるっていうのが、すごくいいわ。健康に育ってほしいもの」

「狩りをしなくていいしね。主人が街へ仕事に出てるから、一人じゃ大変で」


 兎の耳が出ている女性は、人間態の赤ん坊を抱いている。獣人なら、まだ獣態で過ごすころだ。叡秀と同じ、獣人の子かもしれない。

 すっと、麗孝の手が伸びてきた。握手を求められていると、すぐにわかる。

 侑浬も獣人たちも、期待に満ちた目を向けてくれていた。断る選択肢もある。御膳官として心を入れ替え、やり直すほうが現実的だ。

 それでも、叡秀の手は自然と麗孝へ向かっていく。艶やかな爪を横切り、麗孝の手を握った。


「有難う。ぜひ、やらせてくれ」


 わあ、と周囲から歓喜の声が湧いた。侑浬も侑珠も、一緒になって飛び跳ねている。

 まだなにをしたわけでもないのに、気恥ずかしい。けれど麗孝だけは、当然だといわんばかりに頷いている。


「商談成立だな。俺のことは麗孝と呼んでくれ。敬語はいらん」

「わかった。よろしく、麗孝。侑浬、侑珠。二人もよろしくってして」

「俺は虎獣人の侑浬! こっちは弟で、兎獣人の侑珠! よろしく!」


 いままでで一番高く、侑珠が飛び跳ねた。やはり言葉はないけれど、喜んでいることは伝わってくる。


「そうと決まれば準備開始だ。明日お前の家へ行く。献立を考えて待ってろ!」


 うん、と返事をするのも待たず、麗孝は走って街へ戻っていった。嵐のように、とは麗孝のことをいうのだろう。獣人たちは、遠ざかる麗孝へ頭を下げている。

 飛び跳ねていた侑珠は、いつものように侑浬の腕に飛び込んだ。侑浬は「よかったね、楽しみだね」と幸せそうに笑っている。

 幸せを感じた。人間としてか、獣人としてか、はたまた両方か。明確な答えはない。けれど、久しぶりに心は高揚していた。

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