第3話 大家の石井

 両親から相続したそのマンションは、リフォームをしたり耐震工事をしたりと何度も何度も手を入れて、それだけに愛着があった。長く住んでくれている店子もいれば、数か月で出ていってしまう店子もいた。


 それでも、悪い人はいなかったように思う。


 地元の不動産屋とも長い付き合いで、有名どころのチェーン店には出していない。それでも、大体どの部屋も埋まっていた。安い値段ではないのに。


 駅から近くてペット可、というのが決め手ではないだろうかと、長毛雑種猫の愛しいフローラちゃんを撫でるたびに思う。


 大型犬はなしで、小型犬と猫、それから小鳥やハムスター、爬虫類を飼っているお宅もある。毒のある爬虫類はダメだ。逃げた時のことを想定して、大型の蛇もダメである。入居を希望される方には、近所の動物病院のマップをお渡ししてくれるようにと不動産屋さんにお願いしている。多分それも、希望者が多い理由だろう。


 さて、204号室である。


 角部屋で、日当たりもいい。人間が居つかないから、ほとんど動物が住んだことがない。前の家から一緒に来たという猫ちゃんとハムちゃんがいたくらいで、彼等も飼い主と一緒に引っ越していってしまった。それはまあそうだ。仕方がない。


 前の前の、そのまた前だったか。猫を飼っていた人が置いて行った猫タワーが、ほぼ新品でそこに置いてある。次の家には入らないのだと、泣く泣く置いて行った。


 その日、不動産屋の斎藤さんが、一人の女性を伴ってやってきた。しとしとと雨の降る日だった。204号室を見せて欲しいという。新しい入居希望者かと思ったけれど、どうにも様子がおかしい。斎藤さんは汗っかきで、良く汗をぬぐっているけれど、今日は汗をかいてもいないのにハンカチであちこちをぬぐっている。


「いや、だってね。石井さん」


 その、ほら、ね。


 なんとも意味のない言葉を、斎藤さんは繰り返す。なんとなく、それで察した。


「でもこの部屋で死んだ人はいないんですよ。この部屋を借りていて、亡くなられた方もいないはずです」


 入居者がこの部屋で亡くなった事例もないし、入居者が病院で亡くなった事例も把握している限りではない。もっと前と言われたら、もう分からない。


「だからその不思議を、視ていただくんですよ」


 九十三つくみはどこにでもいる二十代半ばの女性だ。着ているのはダークスーツで、足元もヒールの低いパンプス。長い黒髪もローポニーテールでまとめている。入居希望者の内見、と言っても本当に通りそうな出で立ちで、霊能者と言われる方が信じられない。


「まあほら、視ていただくだけですから、ね」


 結局大家の石井さんは不動産屋の斎藤さんに押し切られて、九十三さんが204号室に入ることを許した。

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