悪霊退治の会社社長ってマジですか?

鵜久森ざっぱ

第1話

第1話-1-

 幼いころ、父に連れられて野球の試合を見に行ったことがある。

 代わり映えのしないだらだらとした試合で、最後に相手チームが1点取って終わり。ドラマチックな逆転なんてそうそう起こらないよ、と父は笑った。

 だけど、てるにはわかっていた。

 スポーツだけじゃない。

 学校も、人生も、世の中も。


 照が落ち込んでいると、おばあちゃんはよく「悪い事の後はいいことが必ず起きるもの」なんて言ってた。

 きっと励ますために言ってくれてたんだろうな、とは思う。

 でも、世の中そんなふうに都合よくは回らない。特別な出来事イベントなんて都合よく起こらない。


 だから、大人しく。地味に。従順で素直で真面目ないい子に。

 そうすれば、わりと上手く生きていける。



「え、マジでここ?」


 豊橋 照は、思わず声をあげた。

 後ろは車が行きかう大通り。足元はアスファルトからの輻射熱で、日差しから隠れる場所すらない。


 父から祖父が亡くなったことを聞かされたのは、数日前。

 祖父と言っても、自分が生まれる前に祖母と離婚している人で、会ったこともない。

 その祖父が住んでいた家がどうなっているかを確かめるために、教えられた住所までやってきたのだった。

 その住所が新宿で、しかも駅から割と近い場所。

 どんな家なのかと興味津々で見に来たのに、教えられた住所の場所にあったのは、小さな鳥居。

 思わず周囲を見回す。鳥居の左右は高層マンションに囲まれていて、その間に細い参道が続いている。


「……ホントにココであってる?」


 スマホを取り出して、メモっておいた住所を確かめる。

 左右のマンションの住所表記は1つ飛んでいる。その間にあるこの鳥居が、間違いなく教えられた住所だ。


「マジかー……ここに住んでたってこと?」


 外から見える参道の奥は薄暗く、小さな本殿が見える。

 人が暮らせるようには見えないが、他にも建物があるのだろうか。どのみち、ここからではわからない。

 少し逡巡した後、照は意を決して鳥居をくぐった。




 大学を出た照が就職したのは、東京の小さな通販会社だった。

 そこは俗にいうブラック企業で、サービス残業も休日なしの連続出勤もあたりまえのヒドイ会社だった。

 デスクの並んだ島の間をうろうろと歩く中年の上司。目を付けられないように、PCの画面を見つめて黙々とキーを打つ社員たち。

 上司が通り過ぎたのを見計らって、隣の席の同僚が女性社員に耳打ちする。


「ねね、豊橋さん!あとどのくらい?」

「んー?」


 照は、疲れた顔を隣に向けた。

 この通信販売を行う中小企業は今、発注ミスと発送ミスが重なった影響で大混乱に陥っている真っ最中だった。

 すでに定時はとっくに過ぎ去っているが、30人ほどの商品管理部門は顧客への電話対応やメール応答、謝罪と発注発送のやり直しでピリピリした雰囲気に包まれていた。


「だいたい半分くらいかな」

「はっや!さっすが修羅場マスター」

「その二つ名はうれしくないかなー」


 照が疲れた顔で答える。


「オラそこ!無駄口叩いてんじゃねえぞ!」


 すぐさま怒鳴り声が飛んできて、照と隣の席の同僚は慌ててPCに向き直った。


「言っとくが、これはお前らのミスが原因なんだからな!」


 歩き回りながら、上司は怒鳴り声をあげた。

 誰もなにも言わず、ただキーを打つ音だけが響く。


「全部修正対応が終わるまで帰るんじゃねえぞ。もちろん残業にはならねえからな」


 これにはさすがに「えー」と言う声があちこちから漏れた。

 すかさず上司が怒鳴る。


「自分たちのミスで会社に迷惑かけといて残業代までもらおうとか舐めたこと思ってんじゃねえぞ!嫌ならさっさと仕事を終わらせろ!」


 再びフロアは静まり返り、またキーを打つ音だけの空間に戻った。


「元はと言えばアイツのチェックが甘いからじゃねえか」


 照の隣の席の同僚が、小さい声でぶつぶつとつぶやく。


「最近の部長、めっちゃパワハラするじゃん」

「元からそういう性格だったのが、この修羅場で出てきただけでしょ」


 照がそう返すと、同僚はイライラとキーを叩く。


「っっっっと、こんなクソブラックな職場ぜってえ辞めてやる」

「今時、どこの会社行ったってブラックだよ」


 キーを打ちながら、照は乾いた声で笑う。


「んなことないよ絶対!どっかにホワイトな職場があって、みんな楽して楽しく稼いでるに違いないって」

「隣の青芝」

「いーや、絶対転職して人生大逆転してやる」


 鼻息も荒く、同僚は言う。


「……大逆転ねえ」


 そう言って、照は小さくため息をついた。



 日付がもうすぐ変わるくらいの時間になって、ようやくトラブル対応はひと段落した。

 帰りの電車の時間を調べたりする者。応接室に毛布を運ぶ者。

 ようやく緊張が解けたフロアには、疲れ切った社員たちが行きかっていた。

 照が帰り支度をしていると、隣の同僚がコンビニから戻ってきた。


「あれ?帰るん?」

「うん、ギリギリ電車あるし」

「あ、彼氏が待ってるんだっけ?あれでしょ、営業部の新井さん」

「まあ、ね」


 照はすこし照れくさそうに笑った。


「婚約して、もう両親にもご挨拶済みなんでしょ?いーなー。豊橋さん人生勝ち組じゃん」

「ぜんぜんそんなことないって。普通だよ」


 コートを羽織りながら照は言った。


「お互い収入多いわけじゃないし、ぜんぜん勝ち組なんかじゃないよ」

「えーでもうらやましいー」


まだ声を上げる同僚に小さく手を振って、照はフロアを後にした。



(勝ち組、ねえ)


 駅前。

 人気はもうなくなり、照明だけが冷たく周囲を照らしている。


(こんなんで勝ちも負けも決まらねえっての)


 地元を出て、東京のあまり有名ではない方の大学へ。

 周りと同じように必死に就職活動をして、なんとか仕事にありついて、どうにか暮らしていける程度の収入にはありつけた。

 でも、別にやりたい仕事があったわけじゃない。今の仕事だって別に好きでやってるわけじゃない。

 でも、生きていくためには働くしかない。


(そんなの、普通のこと)


 別に特別じゃない、誰でもやっているような、当たり前のこと。当たり前の人生。

 結婚したくらいで、そんなに変わるもんじゃない。


(人生に大逆転なんかない、よ)


 物事が自分にだけ都合よく転がったり、突然トンデモない事件に巻き込まれたり、いきなり大勢に注目されてチヤホヤされたりなんて、しない。

 ごく当たり前の人間がごく当たり前に生活する、ごく当たり前の日常が続くだけ。

 その当たり前が積み重なって、世の中はできている。


(だから────)


 改札を通り抜け、ホームへの階段を昇る。


(当たり前に毎日暮らすことくらいしか、できないんだよ)



 駅を降りると、すぐに静かな住宅街が広がる。

 暗い道を歩きながら照はスマホを確かめる。


「もう寝てるかな」


 夕方に送ったメッセージは未読のままになっている。

 「帰れない」と送ったままになってしまっているけど、訂正のためにメッセージを送ると、もし寝ていたら着信音で起してしまうかもしれない。

 迷っているうちに、自宅のマンションの前までついてしまった。

 エレベーターを降り、部屋の前へ。音をたてないようにそっと鍵を開け、部屋の中へ入っていく。

 明りを付けないまま寝室の扉を開けたところで、照は動きを止めた。


 暗い部屋の中。

 見慣れたベッドの上で絡み合う、見知らぬ人影。

 二人いる。

 片方が体を起こし、目が合った。


「新井くん……?」


 照が恋人の名前を呼ぶのとほとんど同時に、女性の悲鳴が部屋に響いた。



 ────人生なんて、そんなもん。

 特別な事や良い事はめったに起こらないけど、クソみたいな出来事イベントは当たり前に起きる。

 いくらいい子のふりをしていたって、悪い出来事イベントは避けられない。

 そういう、ものなんだ。



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